物心付いた時には既に一緒だった。なんてありきたりな言葉だが、俺と晴矢と杏の関係を端的に表すならばこれ以上最適な言葉はなかった。初めて出会った時のことなんてもう覚えていやしない。それ程長い時間を一緒に過ごしてきた。要するに、幼馴染。晴矢は中学に上がったくらいから照れくさいのか只の腐れ縁だとぼやくようになったが、それでも俺達三人で一緒に行動することに何の変化も訪れなかった。
 高校一年の夏、訪問の連絡も到着のノックもせずに俺の部屋に突然やってきた晴矢が、サッカーの試合でゴールを狙うのと同じくらい真剣な瞳で杏のことが好きなのだと告げた。其時の俺は大して動揺することもなく大切な幼馴染の恋路に手を貸すと決めた。晴矢の努力と、俺の陰ながらの助力の甲斐もあって、一年の冬には晴矢と杏は晴れて恋人同士になった。
 あの晴矢に対して勝気な態度をとってばかりだった杏が、晴矢からの告白に俯いていても分かるくらい顔を真っ赤にしながら応えるのを、野暮とは思いながらも物陰からそっと見守って、俺は初めてこれから訪れるかもしれない自分達のいつでも三人一緒という関係の変化について思い至った。そして言いようのない寂しさと胸の痛みを覚えながら、それは俺の身勝手さだと心の奥に押しやって、お互い顔を真っ赤にしながら照れ臭そうに付き合うことになったと報告をしてくる晴矢と杏に心から祝福の言葉を贈ったのだった。
 まるで俺の小さな不安は杞憂だったと言わんばかりに、晴矢と杏が恋人という関係を築いても俺達が三人で行動するパターンが崩れることはなかった。憂いていたのは俺の方だが、流石にこれはと申し訳なくなって一度それとなくもっと二人の時間を作ったらどうだと聞いたことがある。晴矢と杏は間髪入れずに何を今更と呆れてみせるのだから仕方ない。内心、俺としてもまだ三人で一緒にいられることに喜びと安心に似た感情を抱いていた。
 だけど、二人が恋人同士ということも事実だから、俺は一つだけ配慮することを決めた。俺達が三人並んで歩くとき、絶対に俺は真ん中を陣取って歩かないと。今までは、晴矢と杏が隣同士になると普通の会話がエスカレートして売り言葉に買い言葉の応酬になり、それが更に酷くなりと拳や蹴りを繰り出すという喧嘩に発展することがままあったので、俺が真ん中を歩いて二人を宥めることが多かったのだが、二人の関係はあの頃とは違う。俺のそんな自己満足でしかない気遣いに二人が気付いていたかどうかは分からないが、兎に角それから俺は並んで歩く晴矢と杏を横目で眺めながら歩くようになった。
 幸せそうな二人の隣に立つ俺は、周囲から見たら同じように幸せそうには映らなかっただろうけれど不幸とだって映らなかったに違いない。俺の日常はいつだって晴矢と杏の傍にいてこそ成り立つものだったのだから。


 そんな風に日々を過ごしながら、気付けば俺たちは高校三年生になっていた。季節は夏。高校生活最後の夏休みを前に、この学校はごくごく普通の公立校なので進路について今からがっついて目を血走らせているような人間はいなかった。皆それぞれが身の丈に合った進路を選んで無難に合格を獲得するような学校なのである。尤も、これは俺の目から見た大半の様子からの推察なので、ちゃんと努力している人間は今からでも見えないところで努力しているのだろう。結局、人それぞれなのだから。
 ちなみに俺達三人の在籍するクラスは俺の推察に漏れず今から受験勉強漬けに嘆くように人間はいない。どちらかというと、この最後の一年、学校のイベント全ての最優秀クラスをかっさらって記念にしようと意気込んでいる馬鹿が集まっているようなクラスである。余談だが、大抵その中心には晴矢がいたりする。
 俺自身、進路についてはそれほど深く真剣に将来を見据えて選ぶなんてことは全くしておらず、家から一番近い大学への進学を第一希望に考えている。それでも公立だし、なかなか評判も良い方だ。もしくは電車で十数分で着く隣町にある大学か。しかしこちらは私立なので、出来れば前者の方に指定校枠で入ってしまいたいというのが本音だった。きっと、方法云々は別としても、晴矢と杏も同じ様な範囲でしか大学を取捨選択していないだろうと思い込んでいた。
 いつ考えても同じように楽観的な内容しか浮かばない。ぼんやりと次の授業の準備をしていると、いつの間にか隣りに杏がやって来ていた。珍しく黙り込んで俯いているが、椅子に座っている俺からは彼女を見上げる形になるのでその表情ははっきりと見て取れた。杏は具合でも悪いのかと焦る程に顔面蒼白でといった風で、今にも泣き出しそうな表情をしていた。驚いて、教室を見渡して晴矢を探したが見つからないので、俺は仕方なくもうすぐ授業が始まる教室から杏の手を引いて出た。教師と顔を合わせると面倒なので職員室から教室を繋ぐ廊下を避けて、実習教室などの多い棟の空き教室に避難した。保健室に行くべきかとも案じたが、自分で行かずに俺の元に来る以上体調不良ではないのだろう。俺に手を引かれて歩いている間、杏は必死に涙が零れないようにと耐えていた。杏は、人前で泣くのが大嫌いだった。
「どうした?」
 問いかけながら、内心俺は半分以上答えを決めつけていた。きっと晴矢と喧嘩したのだろうと。どちらも相手に一歩譲ることを知らないから、恋人になっても時々衝突してはそれが激しくなってしまう。最近あまり盛大にやらかしてはいなかったのだけれど、もしそうならば自分が仲介に入れば良いかと、その程度に考えていた。
「……晴矢が、」
「うん、」
「晴矢が、大学東京にっ、行く、って」
「え?」
 予想外の言葉に、間抜けな空気ばかりの声しか出て来なかった。杏は、それだけ言うのが精一杯だと必死に嗚咽を漏らすまいと唇を噛み締めた。
 当たり前を当たり前として享受していられるのは、迫り来る未来に何の注意も払っていないからだ。この時、俺は進路がどうとかいいながら、結局は俺と晴矢と杏の三人で共に在る現在を基準にしか物事を考えていなかったのだ。迫り来る未来は、容赦なく俺達を引き離そうとしていたのに。