毎年同じような光景を目にしている筈なのに、毎度心を弾ませてしまうのは何故だろう。

「祭りマジック」

 ぼそりと呟いた言葉は隣を歩いていた晴矢にばっちり届いていたらしく、胡乱げな瞳を向けられながら「お前頭大丈夫か」と言われた。失礼だ。毎年はしゃぎまわっているのは俺よりも晴矢の方だというのに。
 あれから、結局途中までしか終わらなかった宿題を置いて俺たちは夏の最大のイベントである地元の夏祭りに来ている。今は晴矢と二人でかき氷を買いに行った杏を待っているところだ。因みに俺たちは勉強会の途中に晴矢の家でアイスを食べてしまい今の所かき氷を敬遠してしまっている状態で。勿論杏にはふざけるなと一発ずつ蹴りを入れられた。高校三年生の男女のやり取りにしては幾分幼いが、これも俺たちのらしさで和やかな楽しい時間が流れている。

「クララ来ないって?」

 いつの間にかかき氷を買い終えて戻っていた杏がストローを何度も氷にザクザクと突き刺しながら尋ねてくる。それは氷が崩れて零れやすくなくなるからやめろと小学生のころから言い聞かせているのに一向に改善されない。杏の言い分ではこうしないとかき氷全体にシロップの味が浸透しないんだそうだ。杏が毎年買うかき氷の味はいつもイチゴと決まっていた。彼女は赤い色が好きだったから。だから俺はそれと被らないようにブルーハワイとかメロン、レモン味のかき氷を買うようにしていた。昔からそれぞれ違う味の物を買ってそれを数口ずつ分け合うのが俺たちの習慣だった。しかし晴矢も赤が好きだからなのか、稀に空気を読まずにイチゴのかき氷を買っては杏と言い合いになっている。今年は違ったな、なんて考えながら、俺は携帯を取り出して時間を確認する。ついでに、祭りに来る前に届いていたクララからのメールをもう一度確認した。

「花火は涼野と見に来るってさ。ほら、神社の境内って結構空いてるだろ。そこで待ち合わせだ」

 祭りは神社の傍で催されているのだが、如何せんこの神社に参拝するには上るのにかなり苦労する階段が存在する為あまりそこで花火を見ようとする人はおらず、それとは反対側の河原に集まる人の方が多かった。浴衣で来ている人も多いので尚の事。しかし人混みよりも階段を上る労力を選ぶのが涼野とクララらしい。そして折角だからと俺たちも彼等と一緒に花火を見る約束をしていた。とはいえ、毎年三人組で回って来た習慣は相も変わらず俺たちに当たり前という概念となってこびりついているから、その辺りの予定を合わせるのは俺の役目だった。

「花火ってあとどれくらいで上がるの?」
「30分くらいじゃね?」
「かもな」

 だからあと少し遊んだら俺たちも境内まで歩くぞと告げれば途端に杏が嫌そうな顔をする。運動神経も体力も一般女子の平均よりも余裕であるくせに何故こう面倒くさがりなのか。晴矢は晴矢で階段を上ることになんの不満もないらしく、「俺も何か食おうかな」と屋台をじろじろと物色している。

「何か食い物買って境内で食うか?」
「そうだな。その方が良いだろうな」

 晴矢はさっさと焼きそば、イカ焼き、じゃがばた、お好み焼き等々等々屋台を渡り食料を買い込んでいく。反対に俺は飲み物を買いに行き、杏には晴矢が買ったものを落とさないようにと荷物持ちの手伝いをさせに向かわせる。勿論、少しくらい二人きりになれば良いというお節介が含まれている。
 買い物を済ませて階段の下に着いた時には三人とも両手が塞がっていて、境内まで上るのにひどく苦労した。

「えらく大量に買い込んだモノだね」
「涼野、」

 やっとの思いで辿り着いた境内には呆れ顔でこちらを見ている涼野がいた。手にはアイスが握られていて、だがそれは祭りの屋台で購入した物ではなさそうで、本当にマイペースなものだとこちらも呆れの溜息を疲労で詰まった息と共に盛大に吐き出してやった。
 周囲に人気はなく、涼野とクララ以外は誰もいないようだった。

「みんなで食べるならこれくらいいるかなと思ったんだけど、二人とももう何か食べたのか?」
「いや?」
「風介君ったら此処に来る前にコンビニでアイス買ってしまったものだから屋台は全く寄り付かないでここまで来たのよ」

 買ってきたものを並べながら問えばクララが首を振る。晴矢はそれぞれの屋台で毎度割り箸を貰っていたらしく涼野と資源の無駄がどうのと言い合い、杏はすっかり溶け切ったかき氷だった色つきの水をクララと飲み合って甘すぎるだのと顔を顰めている。
 それからみんなで食事をしながらどうということもない会話をしながら時間を潰す。涼野はさっきからずっとじゃがばたしか食べていない。好きなのだろうか。

「そうだクララ、俺やっぱり教育学部のある大学に行こうと思うんだ」

 隣に座っていたクララに話し掛ける。声を抑えたつもりはないが、涼野からじゃがばたを奪おうとしている晴矢とそんな二人を叱責している杏には俺の言葉は聞こえていないらしかった。

「そう、良いんじゃないの。貴方らしくて」

 クララはペットボトルのお茶を飲みながら微笑む。貴方らしい、のらしいが俺にはまだ本当にそうなのかはわからないけれど、やってみたいと思えることが出来たのは彼女の何気ない一言がきっかけだったから、俺は小さく「ありがとう」と伝える。クララはまた微笑みながら「どういたしまして」と答える。こういうとき無駄な謙遜を挟まないところが潔くて尊敬する。無意味な言葉を重ねなくて済むから。

「クララは文学部か?」
「ええ、そのつもり」

 何となくではあったが、やはりクララには文学部が似合っていると思う。夏期講習でも文系のクラスだし、自分の得意分野をえらんだのだろう。

「風介君と同じ大学に行きたいの」
「へ、」
「風介君が遠くに行ってしまうとして、それを嫌だと思うのなら追い駆ければ良いだけの話よね」
「……」
「あの子もそうすればいいのに」

 クララの言うあの子は当然杏のことで。俺はただクララは強いなあと思いながらそうだなの一言も返せないまま未だに言い争っている晴矢たちを見つめる。俺は杏の選ぶ進路を知らない。聞けばいいだけの話だけれど、なんとなく、まだ最終決定を下していないような気がするのだ。今こうしてみんなと過ごしている杏は楽しそうだ。だけどその裏で、この先に待つ別れに怯える一面があることも俺は知っている。

「あ、花火」

 気付けば時間はあっという間に過ぎていたらしく、空には見事な花火の大輪が咲いていた。その音に漸く晴矢たちの言い争いも収まり皆無言で空を見上げる。涼野だけはじゃがばたを食べ続けながら。
 花火も終盤に差し掛かる頃、とうとう涼野がじゃがばたを食べ尽くしたことに気付いた晴矢が再び彼に食って掛かり一気に騒がしくなる。杏とクララは呆れて溜息を吐いているが、俺はひとりけらけらと笑っていた。今度はそんな俺を女性陣は珍しそうに見てきたが、小学校時代のサッカークラブ時代からお馴染みの光景に今更頭を痛めたりはしない。

「お前何ひとりで全部食ってんだよ!」
「………」
「風介君は口に物が入ってると喋らないわよ」
「行儀良い訳だ」
「取り敢えず涼野、食い終わった容器はこの袋に纏めて入れといてくれ」

 涼野にビニール袋を渡すと晴矢から「お前は本当におかんだな」と呆れられた。神社にゴミを散らかすなんて罰当たり甚だしいから仕方ないだろうにと言い返せばそういう思考回路が既に手遅れと返された。
 いつの間にか大量に買い込んだつもりの食料も底を尽きてそろそろ帰るかと各々立ち上がる。涼野とクララは神社の階段を下りると俺たちの家とは逆方向なのでそこで別れた。これから再び東京のサッカー合宿に戻る涼野とは新学期まで会うことはないだろうから「頑張れよ」と激励しておく。涼野は軽く頷いて、クララと帰っていく。ぴったりと自然に並び立って歩く二人が何故だか妙に羨ましかった。

「じゃあ俺らも帰ろーぜ」

 晴矢も明後日には東京に戻る。杏と二人で出掛けたりしないのか、だとか聞きたい気持ちはあるもののこうして幼馴染として行動しているときはどうにも聞きづらい。三人で歩きながら、最初に杏の家に着いて次に晴矢と別れる形になる。来年はもうこうやって祭りの帰り道を歩くことはないかもしれない。晴矢と別れてひとりになった途端感傷的になってしまう俺は大概弱い。

「茂人!!」

 突然背後から俺を呼ぶ声がして、何事かと振り返れば自宅の玄関前から晴矢が此方に向かって叫んだ。玄関先の外灯に照らされた表情は昔と変わらない俺たちを引っ張ってきた笑顔。

「来年は絶対じゃがばたも食うからな!」

 二カッと歯を見せた晴矢は最後にもう一度大声で「じゃーな」と叫ぶとそのまま家に入って行った。俺は暫く呆気に取られてその場に立ち尽くしていた。そして段々と晴矢の言葉を噛み砕いていく内に顔がにやけていくのがわかる。踵を返し家路を急ぐ。このだらしないにやけ顔を、誰かに目撃されないようにと足早に。


今だけは、夏の終わりを寂しく感じることはなかった。