(貴族マークと町娘リカ)

リカと出会った時の記憶は、実はもう朧気で何となくでしか思い出せない。
だけどリカを好きになった時の記憶なら今でも鮮明に思い出せるのだ。
尤も、今振り返ればきっとあの時好きになったのだと思う、というのが正しいのだけれど。

「カズヤには感謝しなくちゃいけないんだ」
「ふーん、」
「でも礼なんて言ったら嫌な顔されると思う」
「そうなん?」

形式上、夫婦である二人がこうして午後のティータイムを共にするようになったのはここ数週間の間でよく見られるようになった光景である。
交わされる会話は殆どがマークから口を開く。それにリカが言葉を返す。マークが提供する話題はやはり貴族社会に関するものが多い為、リカの返事は味気ない。リカはリカで自分の提供出来る話題が下町関係のものしかないと気付いているからおいそれと喋ることは出来ない。嫌味を言っているように受け取られたら、その誤解を解く自信が、リカにはない。
元いた世界に帰りたいかと問われれば頷くだろう。だがマークが嫌いかと問われれば首を横に振るだろうから。
曖昧なことばかりだ。その曖昧さが穏やかさに繋がってリカをこの屋敷に繋ぎ止めているような気もする。それは、いけないことではないのだろう。
塔子に言ったら、こんな中途半端を咎めるだろうか。

「マークは、」
「…何?」
「おかしいな」
「……そうか?」
「そんで物好きや」

ティーカップを小さく揺らしながら、俯きがちに笑うリカを、マークはじっと見詰めている。
マークはきっとリカの泣き顔に惹かれたのだ。一之瀬への恋心を散らせようと一人静かに涙していたリカの姿を見たとき、マークはリカを欲しいと思った。そしてその欲に従った結果として今がある。
だけど。今、マークはリカに笑って欲しいと思っている。俯かず、前を見て、出来ればその大きな瞳に自分の姿を映して、そして笑って欲しいのだ。

「明日は庭でお茶にするか」
「…ん」

拒まれない誘い。こんな小さなことにも、未だ慣れない。
どうすれば良いのか、どうなりたいのか、それも鮮明ではない。
だが仕事に戻ろうと席を立つマークに、リカが小さく微笑んで手を振ってくれるから、たぶん自分たちは不幸な夫婦などではないのだと思う。
今はまだ、これで十分。


『穏やかな日』


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