(留学生貴族フィディオと王女ルシェ)


幼い手のひらに綴った、永遠を信じるおまじないを今でも覚えているなんて言ったら、君は俺を笑うだろうか。否、俺が君に直接言葉を紡ぐ日など、もう二度と無いのだろう。
またね、と最後に交わした言葉は、俺がルシェに対して初めて吐いた嘘になった。直接会うことはおろか、声すら聞けないほどに離れた二人の関係を今更どう表現すれば良いのだろう。
幼さ故に許された奔放さの先で、俺よりもずっと幼いルシェに出会った。目が見えないのだと教えてくれたルシェは、それでも多くのことを知っていた。肌に届く風の熱で時を計り、手に触れる感触で知識を肥やしていた。閉じられた瞼の下に眠る瞳は、きっといつだって輝きに満ちていたのだろう。
そんなルシェを、俺はいつだって守りたいと願っていた。幼い衝動は愚直だ。
俺はルシェを守る騎士になるんだ。
胸を張り誇らしげに語る俺を、母親は温かい目で眺め父親は渋い顔をしていたのを思い出す。
母親のそれは母性から。父親のそれは貴族としての本質から。
だけどどちらも、俺の夢は叶わないものだと断じなかったことはきっと幼い俺への、精一杯の愛情だったのだろう。「あのねお兄ちゃん、私、目が見えるようになるかもしれないの」

王宮の宮殿の中庭。俺とルシェが会う唯一の場所で、彼女は言った。
その時の俺は、きっと間抜けな顔をしていたことだろう。それくらい衝撃的な話だった。
一ヶ月後、隣国の名医を招いてルシェの手術をすることが、既に決定しているらしい。
ただその間、衛生面や術後の経過観察を含め部屋に籠もる日々が続くのだという。つまり俺とは会えなくなるらしい。
一方の俺は、丁度ルシェの手術を担当する医者のいる隣国への留学が決まっていた。
今日ルシェへ会いに来た当初の目的は、彼女にしばしの別れを伝えることだった。

「ルシェは手術、怖くないの?」
「ちょっとだけ。でもお兄ちゃんは成功するって信じてくれるでしょう?」
「勿論さ」

その時、ルシェは微笑みながら俺の右手を手繰り寄せ掌に文字を書き始めた。何て書いたのと問えばルシェと俺がずっと仲良しでいられるおまじないらしい。無意識に弛む頬を隠しもせず俺はルシェの手を握った。
留学なんてしたくない。それが俺の思考の大半を占めていた。


俺とルシェの時間はそこで止まり終わった。
ごねても白紙にならない留学に向かう前日。父親が真剣な顔で告げたのだ。俺が留学から戻ったら、家督は俺に譲る、と。俺はもう充分その力があるのだから、と。
そしてそれは。俺とルシェが引き離される合図だった。
思えばおかしな話だったのだ。王女と、只の貴族の子息が交流を持ち続けることそのこと自体が。
俺が家督を継げば王宮に入ることだって正式な手続きを踏まなければならない。その中で、王宮の中庭で寛ぐルシェの下へ向かえる理由なんて全く思い付かなかった。

だから俺は、今滞在している此処から自国に帰ることが億劫で仕方がなかった。だけど一カ所に落ち着いていることも何故か怖くて。少しでも心惹かれた物には躊躇なく食いつくようになった。

「王女の手術は無事成功したらしいな」
「……へえ、」

ある日エドガーによってもたらされた吉報に俺は気のない様な返事しか出来なかった。
ルシェは信じているのだろうか。その瞳に、俺を映す日が来ると。
ルシェは気付いていただろうか。その瞳に映りたいと願う俺がいたことに。
だけど今となっては。自国に戻りルシェの瞳を見詰める現実など存在しないと突きつけられることが恐ろしかった。
思い出はいつだって輝いて俺を未来に招く。
忘れないで、待っていて。だけど待たないで良いよ。偶に思い出してくれたらそれでいい。
一人情けなく立ち竦む俺の脳裏に、ルシェの笑顔がチラつく。
ごめんねルシェ。俺は君を守る騎士どころか忠実な下僕にだってなれそうにない。王子なんて、もっと無理なんだけどさ。


『指先だけが繋がっていた』


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