(王族豪炎寺と劇場支配人円堂)


あの大きな背中が、悲しみで染まり信じられない程小さくなったのを見たのは、たった一度だけだった。
そのたった一度を、豪炎寺は勿論、当事者である円堂までもが忘れようと躍起になって、それからの日々を駆け抜けてきた。

「躍起になるから、上手く忘れられないのかもな」

穏やかな気候の昼下がり。
久々に円堂の部屋を訪れた豪炎寺を前に、呟かれた言葉は弱い。
オペラ座の一角、この円堂の自室に入ることの出来る人間は少ない。元来円堂がこの場所に長居しないとゆうのも理由の一つだが、豪炎寺の知る限りでは鬼道くらいしか心当たりはない。

「焦らなくても良いだろう」
「……そうかな」

忘れなくて良いとは言ってやれそうになかった。傷口が癒えて前を向き歩き出すことが忘却ならばそれは決して罪ではないと思う。
だが、こんなことを考えながら。円堂はいつか、自分の過去すら受け止める為に再びその辛い記憶を振り返るのだろう。

「片付いてるな」
「ああ、秋が掃除してくれたんだ」
「プリマドンナか」
「豪炎寺にはそっちのが伝わるか」

円堂の軽口に口元を緩めながら、豪炎寺は記憶の片隅にある秋の姿を思い浮かべる。
豪炎寺が秋に出会ったのはまだ彼女がプリマドンナとして世間から脚光を浴びる前のこと。当然と言うか、円堂からの紹介だった。基本男女間の恋愛感情に疎い自分から見ても、秋が円堂に惹かれているのは明白だった。そしてこれもまた当然、円堂は秋の気持ちには全く気付いていなかった。それは今でも変わってはいないだろう。
そんな円堂が、秋を、彼にとっては懐かしく辛く愛しく忌まわしい記憶を色濃く残したこの部屋に入れた。それは、秋が円堂の内側に入り込み始めた何よりの証拠だった。
過去は消えないし変わらない。だが決して永遠ではない。時に過去を抱えながら裏切ることだってある。それが本人の現在と未来をより良く変えるなら、豪炎寺はそれで良いと思う。

「円堂、お前は此処にいろよ」
「何だよ急に」
「何だろうな」
「何処にも行かないさ。行く理由もない」

全て伝わっている。そう訴える円堂の瞳を眺めながら、豪炎寺は円堂にやはり此処にいて欲しいと思う。
円堂の過去に眠る少女の為などではなく、自分の為に。
円堂の弱々しい背中を、彼の中の孤独を知りながら、知るからこそ、豪炎寺は円堂に只の友人として己の背中を預けたいと思うのだ。
だから自分は、この部屋に通うことを止めない。


『貴方を塞ぐ強さの脆さを知っている』


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