(画家風介と画商晴矢)


「その絵は売らないと決めている」


それは晴矢が風介の下を訪れる度に繰り返される文句だった。
もう何年も前に描き上げられたその絵は、いつだって風介のアトリエの片隅、だけど絵の保存には持って来いな場所を占領している。
職業柄か、絵と云うものを値踏みする癖のついている晴矢に、風介は淡々と告げる。
その絵だけは売らない、と。
以前、晴矢と共にこの場所を訪れたとある金持ち貴族がまたえらくこの絵を気に入りしきりに売ってくれと頼み込んだ事がある。
しかし風介は決してその金持ちの出す破格の金額にも眉一つ動かさずに突っぱねた。

「これは、私が生涯で最初で最後、自分の為に描いた絵だ」

この絵に描かれているのは、一対の男女だった。赤と青の生む世界。只の幸せな二人。
だが晴矢はこの二人を知っており、風介がこの絵に込めた想いを知っている。
時間と云う流れが自分たちの前から浚っていった最愛の友を、この絵はいつまでも、自分たちに繋ぎとめていた。
だから晴矢は、毎度風介に釘を刺されながらも、決してこの絵の買い手を探そうなんて思った事はなかった。
随分大人になった。この絵の二人と同年代だった自分たちは、もう懐かしい。
自分たちを覆う老いすら当たり前になる程に。

「晴矢」
「ん」
「私が死んだら、この絵は君に譲ろう」
「は、」
「飾るも売るも、引き裂くも捨てるも君の自由だ」
「……分かった」

死期すら、もう遠くはない。風介はどこか悟っていて、どこか焦がれても居た。
もう充分に満たされる程に、生きたから。怖くはない。

「私は、この二人を世界で一番尊い夫婦だと思っていた」
「かもな」
「好きだったよ。一度も伝えてやれなかったがね」

後悔にも未練にもならない願いがある。
死後の世界なんてものがもしもあるのなら。やはり自分は彼等に会いたい。
そして晴矢に、そんな風介の感傷を止める術はない。
ふと目にしたパレットは、もう渇き切っていた。
きっと自分も、風介と同様に、死ぬまでこの絵を手放さないだろう。
そう考えて、晴矢はもう大して力の籠もっていない友の手をそっと握った。





『最良の別れ』
絵に描かれてるのはヒロトと玲名

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