(劇場支配人円堂と踊り子春奈)


初めて、外の世界に夢を見つけた。いつだって兄から引き離されたくないと、それだけが私の願いで夢だった。
珍しく、兄に誘われて訪れて見た舞台は、一瞬で私の心の底に手を入れて引っくり返した。
憧れ続けた外の世界には、やはり素敵な物が溢れている。
確信は早くおいでと私を急かし招く。
兄だけには言うまいと決めていた我儘。叶えたい夢を得た私は初めて兄に無茶を頼んだ。貴族であるが故の、無茶を。
散々溜め息を吐かれ、散々約束を求められ、私は今こうして踊り子の一人となった。
兄の知り合いだった支配人には、兄が直接話しを付けた。妾腹とはいえ格式ある貴族出身の私が乗り込むには、些か場違いな感は否めない。
支配人は、その時、真剣な目で言った。


『踊り子は踊り子、特別はプリマドンナ一人だ』


貴族だとか貧民だとか、そんなこと個人を表す表札にはならない、と。
覚悟に似た熱い気持ちが、私には確かにあった。だから迷わず頷いた。その次の瞬間、支配人の瞳は優しさに満ちていた。
認めてくれた、ということなのだろう。
あの日から早数ヶ月。今日も私は秋さんの様な立派なプリマドンナ目指して勉強中だ。
支配人は実際はこのオペラ座の経営に携わる人間。踊り子の指導は瞳子先生が行っている。
だけど支配人は頻繁に私たちの練習風景を眺めては笑っている。
お兄さんのような、お父さんのような人だと思う。因みに風丸さんは口うるさい小姑。

ある日、疑問に思ったことがある。私は、プリマドンナを夢見てここに来た。
じゃあ、支配人はどうして支配人になったんだろう、と。
支配人の顔は広い。貴族の交流場でもあるオペラ座の支配人なのだから当然かもしれない。でも中には支配人に会いにオペラ座にやって来る人もいる。
支配人と付き合いの長い秋さんでも、支配人が支配人になる前は知らないらしい。

「支配人はどうして支配人なんですか?」

偶々、支配人と二人きりになった時に聞いてみた。演目と演目が変わる間は夕方からお客が入ることはない。私たちの練習が終わればオペラ座は蛻の殻となる。
私はよく無人の客席から無人の舞台を眺めていた。
そして、その時支配人も客席にやって来たのだ。
私の質問に、支配人は最初首を傾げていたが、何度か繰り返して質問を理解したのだろう。
いつもの様に笑って答えてくれた。

「親の仕事を継ぐのは長男の仕事だ。鬼道だってそうだろ?」
「でも、支配人には夢とかなかったんですか?」
「夢、かあ」

夢ねえ、と何度も呟き、支配人は客席に腰を下ろす。
私には、その姿が何だか凄く似合っているように思えて、不思議だった。

「あったかもしれない。」

でも今は無いよ、零して、諦めたような慈しむような瞳で舞台を見詰める支配人の瞳を、私は知っている。あれは、兄が私に向ける瞳によく似ている。
それを認めた途端、私はひどく支配人を傷付ける質問をしてしまったことに気付いた。

「…ごめんなさい」

謝罪の言葉に、支配人は謝らなくていいよ、と笑って私の頭を撫でる。その手つきがまた兄似て優しくて、私は泣きたくなってしまった。


貴方はその優しさで、一体何を諦めて来たのですか?

『垣間見』

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テーマ「人外ファンタジー」
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