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▼ 終端の希望

1.エルピス

パンドラ、それは開けてはいけない禁断の箱を開けてしまった愚かな女の名。
そしてその石は彼女と同じ名を持ち、人々に永遠という名の夢を与えると言う。
「永遠、か…」
ポツリと零された声は、誰の耳に入る事もなく静かに夜の闇に溶けて消えた。
その声に、どんな感情が含まれていたのかは口にした本人にさえ分らないけれど。

***

あぁ、今日もまた。
「…違う」
我ながら情けない声が出たと思う。
この夜の仕事をするようになってから一体何度この絶望を味わった事だろう。
けれどあの日、心に誓った志を揺らす事は無い。
『パンドラを粉々に砕く』
親父を殺した組織が長年追い求めた、不老不死を齎す宝石パンドラ。
アレを見つけ、砕くまで。彗星が近付くというあと半年後までに。

「見つけなきゃなんねぇのに…」

ぎゅっと握りしめた拳は、上等な手袋のお陰で手を傷つけることはない。
誓いは揺るがない。けれど焦りは募る一方で。
暗闇の中、先が見えない道をただ手さぐりに進む事しか出来ない現状。
「くそ…」苦々しく吐き捨てた悪態は暗闇に溶け、沈んだ気持ちは夜に取り残される。

「…ポーカーフェイスどこやった」
「!」
暗闇の中、凛とした声が耳に届く。そんな突然掛けられた声に慌てて振り向けば、器用にも片眉を上げて此方を見る男がいた。
(気配がしなかった…!)
ヤバイ連中に追われて、誰よりも気配に敏感になったこの俺が気付かない相手なんて。そう思うのに、その聞き覚えのありすぎる声で納得してしまう。
「こんばんは、名探偵。子供はこんな夜に出歩くものではない。」
腹いせに少しばかりの意地悪を言えば、返ってくるのは失笑。打てば響く返しが楽しくて堪らないのだと言ったら、彼はどんなに嫌な顔をするだろう。
「はっ、その子供の気配も気付かずにノコノコここを中間地点に選び…っ」
ひゅっ、と呼吸を不自然に吸い込む音がしたと思ったら、探偵の体が床に崩れた。
今までは不本意。そう前面に出ていた渋面は苦渋で歪み、顔色も真っ青だ。
「名探偵!」
走り寄ろうとしたところで、目を開けるのも辛いだろう瞳が睨むように俺を見る。それまで俺は、視線だけで相手の足を止める眼力があるとは思ってなかった。

そういえば、今日は随分緩い服を身に纏っていると眼前に倒れた体を見て思う。
「く、るな」
荒い呼吸の中紡がれる言葉は弱々しいのに、瞳だけが異様に光を放つ。
心臓の上を握りしめるようにしながら、不自然な呼吸と大量の汗を流し身悶える探偵を近寄る事さえ出来ずに見ている事しか出来なくて…

俺は、人間の体が瞬く間に成長するのを見る事になった。

「め、たんてい?」
呼吸も大分落ちついた様に感じて、恐る恐る声を掛けた。
苦しげに顰められた眉、閉じたままの目、揺れる胸板。
そっと開いた蒼は、見たこともない程美しくて、綺麗な瞳が俺を見てから唇を動かした
「…盗一?」
その唇が紡いだ言葉を理解するのにある程度の時間を有した。とういち?それは誰の名?怪盗キッドである俺に、今彼は何と…
(盗一、って言ったのか!?)
それは紛れもなく初代キッドを示す名前。

「ど…して、親父の名前…?」
喉が酷く掠れる。カラカラに乾いて、言葉を発するのさえままならない。どうして親父の名前を彼が?親父が怪盗だったと知っている?今さっきまで話していたのにそんな事欠片も…。疑問ばかりで脳内が占拠され、続く言葉が見当たらない。

「あぁ、そうか。…記憶が。」
小さくなった影響が大きかったか、と一人納得する相手を茫然と見る。
何故?なぜ?ナゼ?口にできずに飲み込まれる言葉。
それでも尚続けられる彼の言葉は止まらない。
「そうか、二世。お前も探しているのか」
ふと、上げられたのは先ほど全てを絡め取られた蒼。
純度の高い宝石の様に、澄んだ輝きを放つその瞳に射すくめられる。
(お前も探し、て…ッ!)

「親父を知っているんだな!」
思わず身を乗り出すようにして言う。
(二世という事は初代を知り、それが親父だと知っている。キッドが何を探しているかさえ)
彼は知っているのだ、俺の知らない事も、俺がやっている事の理由も。嘘は許さない真実だけを求めそのままを視線にこめる。ただ、その視線が相手に影響を与えているのかどうかは甚だ疑問だったが。
「…既に知ってしまったのか、快斗」
思わず飲み込んだ唾は、ただ名前をいい当てられたせいではない。彼は今俺に言ったのだ。「全てを知っている」と。

その『何か』を匂わせ、俺に決断を求めてる。
けれど決断を求めた彼こそが悲しげに伏せた瞳があまりにも…、あまりにも美しくて。
「愚かな石を求めてどうすると言うんだ…父親は戻ってきやしないのに」
伏せた眼を上げ、ひたりと此方を見据える蒼。
その口から飛び出した言葉に咄嗟に
「粉々に砕く。これは断罪じゃない、…ただの復讐だ」
答えていたのは無意識で。
その途端見開かれた瞳、それはすぐに元の表情に戻ったけれど。
「そうか…それなら。アレを壊してくれるというのなら、お前に秘密を教えよう」
妖艶に笑っているその顔が、何を言っているのかは理解できないけれど…
「秘密」という甘美な響きに高鳴る鼓動。飲みこんだ唾の音がやけに響くそんな中で、彼が

「俺は、パンドラの精霊だ」



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