よーん
俺はラジアス、こんなナリをしちゃいるがれっきとした男だ。斯々然々あって女の身体になっちゃいるがメンタルは昔のまま。そんなこんなで今も生き方にぎこちない時があるが、そもそもずっと女でいるつもりはないからいいんだ。
肉体が悪魔の実の能力で変態しているなら解除はやりようがある筈だ。ホルホルの実は能力者が力を使い続ける一時影響型ではなく、発動すると対象に効果を発揮し続ける常時影響型だから、もしかすると能力者のエンポリオ=イワンコフが死亡したとて継続して男に戻れない可能性もあると俺は情報収集を続けている。三年経っても戻れていない時点で情報収集が芳しくないのはお察しだが。
ストーカーお嬢さんの被害が収まらない今日も、俺はカクくんの家で任務に当たっている。造船所は夜勤もあるが先日の夜通し作業から一変、カクくんは昼間の定時勤務で帰れるようになっていた。行程の遅れを取り戻したうえに後行程の納期も余裕を作ってしまったそうで、将来有望な若き大工職の職長はピンチをチャンスに変える偉業を成し遂げた。さすがカクくんだ。
俺としちゃ居ない方が独りで家ん中で過ごすにゃ気楽なんだけど、演技でも話題作りだとしてもニコニコと仕事の話をするカクくんは船大工という仕事が性に合ってるんだろうなって。
……残り一年くらいで捨てちゃう地位にあんまり固執してもつらいだけなのに。残されたガレーラの連中も深入りしたカクくんもそうだ。カクくんは割り切ってるって言いそうだけど、とてもそうは思えなかった。ロブ=ルッチくんはその辺スッパリ線を引いてそうで潔いよ、俺もあれくらい政府に盲信出来たら心持ちが楽なのによ。とは言うけど俺は武器商人の戦争屋。潜入先を壊滅させに行く仕事しかしてねェから思い出す顔なんざほとんど無いがよ。
さて、カクくんが偽装で仕事してる間じゅうずっと家にいてもしょうがない。行動しなきゃ収穫もゼロなんだから、CP9の皆にまで「昼行灯」なんて呼ばれるのは癪だし、ってェわけで俺は散歩に繰り出している。
二週間でカクくんの家周辺とガレーラカンパニー周辺の地理は完璧だ、水路と陸路の扱いに困ったけれど近道回り道ってやってくのも新しい発見があって暇潰しには良い。バレバレの尾行でついてくる俺よりうんと格下のエージェントを煙に巻き、大通りに躍り出る。あ、ブルーノさんだ。
そのまま街の散策を続行する俺と、わざと目を合わせてこないブルーノさんとすれ違いざまに掌へ握らされるメモ。あとで確認したらブルーノさん経由で渡された報せの送り主はCP8所属の頃の同僚で、今は海軍でガープ中将の下に潜入しているはずの女の子からだった。
エージェントは大の通信機器マニアで支部の放送局をコードネーム通りライブジャックし、ガープ中将という海軍の重要人物が携わる情報を政府に筒抜けに横流ししてくれる優秀な後輩だ。
彼女から連絡が欲しいとの一報に、俺は隠し持っていた諜報員専用回線の電伝虫を持って島の外れの平野に来る。剃でほぼ姿を消して来たので尾行はないし、周囲に建物は無く海賊が密入国してくる入り江も遠い。盗み聞きの心配がない状態で電伝虫をダイヤルアップする。仕事中じゃねェといいな。お、出た出た。
『ノースブルー特産の電伝虫、ショートアイズアイスブルーデンデンの特徴は』
「ええっと……電波強度、温室、暗号化ノイズに最も優れ最高の電伝虫素体であるが外気温氷点下の地域でしか生息不可のため一部の冬島での利用制限がある」
『……はい、こちらライブジャック。お久しぶりですガンショップ』
「よ。任務中だけどどうした?緊急か?」
『緊急というより、先輩に至急教えておこうかと』
「え、まさかそれって」
『ホルホルの能力を無効化させる手段が見つかりました』
通信ののち、盲点だったと反省する俺は諜報員ライブジャックから聞いた情報を纏めていた。
彼女が手に入れたのは支部で捕縛した海賊の情報で、本来なら所属のCP8に報告して終わりのところ、わざわざ俺に一報くれたのは彼女が俺の正体≠知っているからだ。
俺は女になってから一度だけCP8時代に後輩だった彼女に連絡を取った事がある。なんて事はない、海軍に潜入中の彼女が裏切ってないかCP0からの抜き打ちの探りだったが、難なく答えたライブジャックは報告の最後に『ところでラジアスさん、随分と声質が変わりましたね。CP0は新種の電伝虫でも抱えているんでしょうか。とても気になります』と、自身の興味にのせて正体を見破られたのだ。
俺が銃火器のエキスパートならライブジャックは通信機器のエキスパートだ。それに彼女は音や音波を聞き分ける才がある。彼女にすりゃ俺の性別が変わって声のトーンが変わっても口調に言い方の癖、その他もろもろでばれてたってわけ。
広められたくないだけで箝口令を強いてるでもない俺は彼女がに事情を説明し、解決の糸口を求めて情報の依頼をしてた。それも三年前になるが、まさかここで依頼達成してくれるなんて実に優秀な後輩だよ。ガープのとこに潜入なんて俺より重要任務を任されるのも頷ける。
で、手に入れた情報だがグランドラインで猛威を振るう海賊の捕縛の知らせだった。海軍が海賊を捕まえるなんざ日常の話だが、捕まった海賊は懸賞金も数百万程度の雑魚、特記すべき情報はなさそうだが妙な能力を使うってんで念のため海楼石の手錠をはめたらしい。すると屈強な男の姿をしていた海賊はみるみるうちに女に変わり、革命軍の構成員のひとりに姿を変えたそう。
そう、盲点だった。悪魔の実の能力なら海や海楼石で相殺出来るのは当たり前で、俺は女になってから内勤に変わって海に入った経験もましてや海楼石製の道具を扱う機会なんて無かったから気付かなかった。ライブジャック曰く普通の悪魔の実の能力と違って海の干渉が瞬時に効くわけではないそうで、革命軍の女も手錠を着けてから五分ほどかけて変態を遂げたらしい。だったら船で海水を浴びても海に落ちても、すぐ乾いてしまえばそのまま。手錠だって一定時間触れてないと効果は出ないと。
しかしやっと戻れる。俺の玉体が返ってくる。これで弱々しい女の子の身体ともおさらばだと喜んだのも束の間、ライブジャックはもうひとつ情報をくれた。
『拘束を解いたら性別が戻りました。おそらく能力が一時的に遮られるだけで、根本解決は能力者にホルモンバランスを戻させるしか無さそうです』
そりゃないぜ……。しかし一時的でも治るもんは治る。早速試したいところだが現在は任務の真っ最中で、緊急回線まで使って連絡をくれたライブジャックに感謝はしているが、知ってしまうと堪え性が無いのが俺の欠点。人目もあればカクくんの事もある。任務を終えCP0に戻れば海楼石のアイテムはいくらだってあるのだから向こう一ヶ月、早ければ二週間もかからず俺は戻れるって考えれば三年の苦労が報われるってわけだ。
それをカリファさんに話したのが一昨日、彼女にはお嬢さんの行動の状況確認でやり取りをしていたからついポロッと喋ってしまった。俺の正体を知ってるってのもあったが、まさかそれから二日して帰宅したカクくんが海楼石の端材を土産に持って帰ってくるなんて思わなかったし、彼は仔細を教えられてないから「こんなもん何に使うんじゃ」と俺を疑いの目で俺を見た。
そうだ、ガレーラカンパニーって造船所だもんな、政府や海軍のカームベルト越境のための船に仕込む海楼石があったって不思議じゃなかった。砕いて練り込んだり精錬したりするんだから、別に手錠の形をしてなくたっていいもんな。
海の波動を抑えるためか、ネジを入れておくような小さな容器に入った海楼石の石ころ、カクくんが渡したそれに苦々しい顔のまま俺は唸った。今は使えない、カクくんいるし。試すなら一人か、他のCP9メンバーがいるところがいいだろう、何が起きるか分からねェし人はいてほしいとこだが……ここは任務地だ。俺の個人用件に付き合ってくれそうな雰囲気じゃない。
自分の荷物のスペースに海楼石を置いて、俺はカクくんに礼を述べた。くすねて来てくれたんだろう。ありがとな。
「なんじゃ、ルッチにでも使うのか?いくら海楼石の力があったところでお前の力量じゃ奴に触らせる前にサイコロカットにされるのがオチじゃ」
「しませんよ!怖い事を言わないでください」
「そうなのか?てっきりルッチに気があるのかと思うとったが……わし仕込みの誘惑で妙な自信つけて行くんじゃないのか。つまらん」
「どこをどう見たらそういった感想が出てくるんですか」
「お?だってお前さん、報告の後に毎度のように残って話しておるじゃろ。わしもカリファも気遣って早く出ていくんじゃぞ」
「カクくんに置いていかれてたわけじゃないって今知りましたよ」
監視が無い今日はカクくんは遠慮なく俺に毒を吐き、どこをどうしたらロブ=ルッチくんに気があるみたいな展開になるのか頭が痛い。俺はこれまでロブ=ルッチくんとは疎遠だったけどあいつお気に入りの諜報員とは仲が良かったんだ。エージェント、ブリンクの姉御が悪魔の実の能力で十人の分身を作ってロブ=ルッチくんの昂りのサンドバックにしながら「あー、あたしいま六回目の死を迎えたわウケる〜今日のルッチのペースやば〜」って遠い目をしてるの見たらあんな野郎とお近づきになんてなりたかねェよ。盛りのついた猫かよ……猫だわな。
「じゃあラジアスに気があるのか?」
「だから無いって言ってるでしょうその殺気どうにか引っ込めてくれませんか正直な話ビビッて失禁寸前なんですけど」
「わしそういったプレイはちと……」
「怒りますよ!!」
――……―…―――
「やってみたら?効果があるか分からないんでしょう?」
「ええ……」
再びの報告の場。カクくんとロブ=ルッチくんとブルーノさんの三人はガレーラカンパニーに侵入したお嬢さんの取り巻きエージェントの処理に奔走してて不在だった。極秘任務中のエリアとはいえ個人の依頼で政府の仕事を妨害するなら処理するしかなく、下っ端連中は尻尾を振る相手を間違えちゃったなとお気に入りのバターラムを一口。あちらは終わり次第解散となっており、今夜はカリファさんと俺だけの顔合わせだ。ブルーノさんに教えてもらったバターラムをカリファさんと飲みながら、情報交換を終わらせた彼女は「体は戻れたのかしら?」と訊いてきて、それにまだ試してないんだと答えた返しがさっきの提案だった。
「海楼石持ってないしよぅ」
「あらここに欠片が」
「……なんで持ってんの」
「能力者に飲ませて尋問すると早いのよ」
「ヒェ〜頭いい」
粉状にした海楼石を吸わせるとか拷問あるんでしょ?怖ェ〜よ。俺はカナヅチも海に嫌われるのも御免だから悪魔の実の能力者は遠慮したいと思ってる。そもそも俺くらいのエージェントに確保した悪魔の実なんて回っては来ないだろうが。
「もとのラジアスの大きさだと……ブルーノの外套があったわね。被って様子を見たらどう?そのお洋服が破れるとまずいでしょ」
「うーん」
悩んでいる俺を置いてカリファさんは酒場の奥からブルーノさんの防寒ローブを持ってくる。勝手知ったる勝手に苦笑しつつ、彼の上背でもすっぽりのサイズなら男の俺も入るだろうと、カウンターに差し出される外套にこの場に彼女だけなら試してみるのもありかなと思ってしまうな。
ブルーノさんならいざ、失敗して落ち込む俺にトドメを刺すだろうロブ=ルッチくんも居なければ、見られると非常にまずいカクくんも不在。そしてもしもの時のカリファさんが居てくれる。
「まだしばらく帰れないってのに、待った挙げ句ぬか喜びじゃさすがに憐れだわ」
「あとは?」
「好奇心ね」
「おいおい、そっちメインじゃねェかよ」
クスクスお上品に笑うカリファさんの手にあった海楼石がカウンターに置かれる。
「あっち向いてましょうか?セクハラになってしまうものね」
「俺は気にしねっす。カリファさんこそ俺の粗末なモン見えたらすんませ」
「ふふ。セクハラだわ」
女の俺じゃ床に大量の生地を余らせる大きさの外套を羽織り、その中で着用していた衣服を剥いだ。下着はともかく服は足りないってんでカクくんがぶつくさ文句を言いつつ買い与えてくれたもので、破れてしまったりで失うのは気が引けた。
よし、それじゃいってみるか。カリファさんが見守るなか、海楼石の小片を手に握り締め、深海に触れているような不思議な感覚に時が経つのを待つ。おや……変わらない、か?
「そう簡単にはいかな、」
「あら、成功じゃない」
「え?」
カリファさんの言葉にはっとして彼女を見ると、なんと視線の高さがまるで違う、カリファさんが遥か下方にいた。おかしい、腕は女の子のままなのにって戸惑う間に海楼石を握った方の二の腕がボコリと膨れる。
元の太さの五倍はありそうな大木のような腕が現れ、驚いてローブを捲って身体を見下ろせば、腰、足に向かって骨格ごと変態していくではないか。不思議と痛みもなくくすぐったい程の違和感だが見た目がやたらグロテスクだ、ゾオン系だってこんな気持ち悪い変化の仕方はしないぞ。
海楼石を起点に膨らんでいく身体は五分もかからず変化が緩まり、最後に足の指がボンとでかくなって止まった。これで元通りって事だろうか。カリファさんに局部を見せるわけにはいかないので外套の中の自分の肉体を確かめてみれば、少々だらしなくなったお腹と胸に目を瞑れば以前のまま俺≠ェそこに。
「戻った……!!」
俺の身体!俺の肉体!俺の声!嗚呼っ俺の息子!!ひっさしぶりだなァ!
海楼石を離すわけにはならねェから、空いてる片っ方の手でペタペタ全身を触ってみりゃ、女の子じゃ無かった筋肉の硬さがある。ライブジャックの情報通り俺はホルホルの実の能力を海楼石で打ち消し戻れた、これは大きな進歩と発見である。
「おめでとうラジアス」
「ありがとうカリファさん、俺ぁこれでもとの──」
エージェントに。身体から顔をあげてカリファさんに笑いかけようとした俺は直後、笑みが硬直する。彼女の背後に走る空間の亀裂が楕円状に広がりドアが開いた=B
咄嗟の判断が行えず固まる俺に、ドアドアの能力から這い出してきたロブ=ルッチくん。肩には二人分の足がぶら下がってて、だらりと垂れているそれがエージェントの死体だと気付くのは容易かった。
「なんだ、まだ居、」
「なんじゃなんじゃ、後がつかえておるんじゃから早く行け」
俺の姿を確認して瞠目するロブ=ルッチくんを押し退けたのはカクくん。両手に半身ずつの死体を掴んでて、嵐脚で真っ二つにしただろうそれは切り口からはみ出す臓物が揺れていた。
手にした海楼石を取り落とすのとカクくんと視線が交錯するのはほぼ同時で、彼も手から死体をベチャリと落として信じられないものでも見るように目を見開いた。後ろでブルーノさんが死体を床に落とすなと怒っていたが、耳鳴りがしてよく聞こえない。
「ラジアス」
ただ、カクくんが俺の名前を呼ぶ声だけははっきり聞こえた。
「なぜここに居る?いつ来たんじゃ?まさかわしに会わずに帰ってしまうつもりではなかろうな?」
「かっ、カクくん俺、えっと」
「……?」
ばれた。カクくんにばれた。いっそこのまま元の姿でいればよかったのに落とした海楼石は暗がりの何処かに転がってしまって、駆け寄るカクくんがどんどん視線が近くなっていって、最後には見上げる位置になる。つまり、俺は女に戻ってしまったってわけで。
「ジェーン=ドゥ、これはどういう事じゃ」
目だけで殺しかねないカクくんの覇気に身を竦みあがらせ、よろよろと後ろに後退りして尻餅をついた。ローブの裾からぬらりと出た足は女のもので、腕も細ければ胸も柔らかく、一瞬で仮初の姿になってしまった俺は絶望した。弁明しないと、どうしよう。
「あの、いや、どう説明したもんか……の、能力です!」
「海楼石持っといて能力は言い訳が苦しいぞラジアス」
「ルッチ、ややこしいから黙っておけ」
「ふん」
いらん茶々を入れてくるロブ=ルッチくんをブルーノさんが制してくれたのはいいが、彼が俺を「おい」でも「お前」でもなければ「ジェーン=ドゥ」でもなく名前で呼んでしまったのがまずかった。
「ラジアスじゃと?ルッチ、説明しろ」
「隠してた本人に訊け」
鼻で笑うロブ=ルッチくんは担いだ死体をカリファさんが持ってきた死体袋に詰めている。お前のせいで言い訳出来なくなっちゃっただろ!って怒ろうにも、長い足を畳んでしゃがんだカクくんから発せられる圧で声が張れない。
「正直に答えろ。貴様は誰じゃ」
バターラムで温まっていた喉がからからに乾いて張り付く。何かしら言おうと喘いで、言う事が出て来ずカクくんから目を反らし、どう答えるのが正解なのだろうかと考えを巡らせる。カクくんに正体がばれたくなかったのに、ばれたくないから色々やってたのに、ばれた時の事を全く考えてない俺は、だから三流エージェントなのだ。
いっそジェーン=ドゥだと騙し通してしまえば。ロブ=ルッチくんのことは後で言い訳するとして、誤魔化して今は乗り切ろう。カウンター下に貼られた剥がれかけのポスターを見上げた俺は、カクくんの大きな手に顔を掴まれて正面を向けさせられた。怒気を含むカクくんの目と合わせられる。
「顔を反らすなラジアス」
「いや俺、じゃなかった私は、」
「ばつが悪くなると顔を右にやって視線を俯角三十度、のちに仰角六十五度にする癖。わしが間違えるとでも?」
「俺、ラジアスっす……」
言い訳とか不可能じゃんか。頬っぺたを片手で挟まれて唇をピスピスしてる俺にカクくんは大きくため息を吐いた。「お前ら知っとったのか?」という問いかけに他の三人が肯定すると、更に大きなため息を吐いて両手で頭を抱えてしまった。
「はぁ、なんでまたラジアスが……考えが追い付かん」
「カク、ひとまず死体処理だ。スパンダム長官に送りつければなんとかなるだろ」
「あっ俺も手伝、」
「ラジアスはまずお洋服を着ましょうね」
ブルーノさん達が死体袋を詰める作業に下っ端の俺が名乗りを挙げると、俺の衣服を携えたカリファさんが白魚のような手を翻して俺を手招きした。そうだ、俺ったら全裸。ブルーノさんのローブがあるからいいけど全裸じゃねェか。すっかり忘れてた。
動かないカクくんをちらりと見てからローブの裾をたくしあげてカリファさんの方へ行き、カウンターの影とローブの中で着ていた服を直す。相変わらずブラジャーだけは上手くつけられなくて、薄暗い室内なのもあって難航していると、カリファさんが手伝ってくれた。遠慮なく乳を引き上げてカップに収め、フロントホックを引っ掻けてくれる。ありがとうございます……。
「胸のサイズが合ってないわ。苦しいでしょう」
「後ろで留められなくてさぁ。前で留めるのこれしかねェから」
「カクにオーダーメイドさせて買わせなさいよ。いくらでも買ってくれるでしょ」
「ええ……それは……」
無い、と言いかけた俺は少し寂しい気分になる。俺≠セったらカクくんは引け目を感じるくらいいくらでも買ってくれただろうけど、今の俺じゃあな。
女の子の着てる服だったら露出が無くてがっかりするような服装をして、俺はカクくんにばれてしまった焦りよりもカクくんに狼狽えられた態度にショックを受けているらしい。俺からすれば最悪の別れをし、カクくんにすれば最悪の再会をした。この亀裂はどれくらい深くまで入り込んでしまったのか。
首もとまで釦を留め、死体を片付けて床の血飛沫にモップがけするカクくんに声をかける。カクくんは俯いて、帽子のつばに隠れて表情を見せてくれない。
「かか、カクくん疲れてるっしょ、俺、今日は帰らないからゆっくりしなよ」
「なにを言うておる」
「あら。それじゃあうちに来る?」
つ、とあがった帽子に鋭い視線が刺さる。悲鳴をあげかける俺をカリファさんが後ろに引っ張って抱き締めて、首筋に当たる弾力感溢れる乳房に俺は今度こそギャアと悲鳴をあげて飛び退いた。
「俺、いちお男だからさ!!ブルーノさんかロブ=ルッチくんならまだ、」
「馬鹿言えラジアス。お前、ルッチが殺しのあとやべェの知ってるだろ。ブリンクならともかく何回死にたいんだ」
「俺は構わんぞ。まァ、興が削げば朝まで無事かもな」
「そういう事だ。うちはここの上だし空き部屋もあるから、泊まるなら使え」
「ひん。ありがとブルーノさん」
いっそ野宿だっていいんだけど、外気はひどく落ち込んで寒いから屋根と壁のある場所ってなるとな。その辺のヤガラの背中を借りてもいいが、あいつら放っておくととんでもない場所に連れてくからうっかり深く寝た日には知らない水路だ。
ブルーノさんの好意に甘えて借りてたローブの埃を落として畳んで、そうだ落とした海楼石も探さなきゃならないとカリファさんを振り返れば、至近距離に立つ壁。じゃなかったカクくん。
「待たんか」
抱えたローブを取り上げられ、投げられた先はブルーノさん。そして俺の空いた腕をカクくんが掴んで引き寄せる。
「ラジアスはわしと一緒に帰るんじゃ」
有無を言わせない凄みがあったけど、俺は小さく首を振る。
「お、俺の得体が知れないと気持ち悪いだろ、大丈夫だからさ」
「……ブルーノ、すまぬが帰り道を開けてくれんか」
無視されたし。ブルーノさんにも見えるくらいぶんぶんと大きく首を振り直しても、彼は一瞥してカクくんを見つめるだけだしカクくんに至ってはこちらを向こうともしてくれない。最後の良心と思ってカリファさんを探してれば、代わりに目が合ったロブ=ルッチくんが鬱陶しそうに手を払ってきた。
「いいのか。ラジアスを責めないか?」
「事情があったのは見れば分かる。明日は監視が入る、話すなら今夜しかないんじゃ」
「そうか。ラジアス、ちゃんとカクに説明してやれよ」
「いや……わ、わかった」
ああ俺、八方塞がりじゃねェか。ドアドアの能力が裂いた空間にカクくん家の近所が見えて、引きずり込まれるようにして俺は空間を越えた。
――……―…―――
「わしの知らん間にそんな事があっんじゃな」
目を合わせてくれないカクくんはテーブルに寄りかかって、静かな口調で話している。穏やかとも無関心とも受け取れるそれに俺は反応の仕方に迷って、ただ思うがままに出来事を語るしかなかった。
ジェーン=ドゥとラジアスが同一人物なのは納得してくれたんだろうか。カクくんは「そうか。わしが居らんで、頼る辺もなく大変じゃったのう」とにこりともせず言って、それに俺は答えられなかった。
先に寝ろ、血腥いからシャワーを浴びてから寝る。カクくんが洗面所に消えてく後ろ姿を見送って、俺は一人残された部屋で吐きそうなくらいの胸の苦しさを覚えて喘いだ。
四年ほど前の、カクくんとの別れ際は最悪だった。俺はカクくんに合わせる顔がなくて、任務が終わらないのを喜んでる節すらあった自分に気付いている。
けれど今はどうだ。俺はカクくんから嫌われるのをひどく恐れて、引かれた一線に怯えて嘆いているじゃないか。
よろよろと覚束ない足で寝床に向かう。横になるのはゲスト用か、カクくんのか。俺はマットレスを掴んでから悩んで、それを手放した。そしてカクくんのベッドに身を沈めて、ふぅと息を吐いて、吸う。
洗剤の淡い香りに混じってカクくんの匂いがする。俺の大好きなカクくんがそこにいるみたいで、子供の頃から俺を守ってくれた憧れのお兄ちゃんがそこにいるみたいで安心した。
何にもしてないのにどっと疲れたな。先に寝てろと言われてもカクくんを待つつもりだったのに目を閉じたらとっぷり眠りに落ちてしまい、日の光に起床を促されて身体を起こすと時刻はとっくに朝を過ぎて昼になりそうで──カクくんは?ぼんやりした頭で彼を探してももう出勤時間が過ぎているんだから居るはずもなく、そしてベッドで寝た形跡もなくて俺は、どうしたら、いいんだ。
一覧へ戻る