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 目を開ける前に眠りから醒めた事を自覚して、瞼を通して日の光を感じる。自宅とは異なる匂いに、そういえばカメールビーチのモーテルに泊まったんだっけ、と半分微睡みの中で思い出し、襲撃も無く新しい一日を迎えた事に安堵した。
 安っぽいシーツの海でゴロリと寝返りを打ち、心地良い暖かさの中で大きく伸びをする。そこまでして、私は布団を蹴り上げる勢いで飛び起きた。

「…なんで?」

 寝起きで掠れた声が溢れる。
 昨夜、ルパンと次元とで誰がベッドで寝るかをジャンケンで決めた。結果私の一人負けとなり、ソファーの上で眠ったはずだ。ルパンと次元が不満を口にしながらも、平等な勝負で決めた事なので大人しくベッドに横になった所も確認している。
 しかし私が今居るのは間違いなくベッドの上であり、寝ていたはずのソファーは空。更に言えば隣に並んだもう一台のシングルベッドも空。
 男二人の気配は室内にはなく、静かな朝の空気と微かに漂って来る海の匂い。ポツンと一人取り残されたベッドの上で、私は思わず頭を抱えてしまった。
 そんな馬鹿な。私がベッドで眠っているという事は、ルパンか次元のどちらかがここに運んだのは間違いない。寝惚けてベッドに移動したなんて事はあり得ないはずだ。私は夢遊病なんて患っていないし。この際どちらがベッドに運んだとかそんな事は問題じゃなくて、私がそれに気付かなかったという事が大問題なのだ。
 二年前までの私なら人が近付く気配で必ず起きたし、ましてや触れられたり運ばれるなんて事をされて起きないはずがない。それが、気付かなかったですって?のうのうと朝までぐっすり?昨日飲んだビールに強い睡眠薬でも入っていた?
 あり得ない…
 この二年間は私が思っている以上に一般人へと染まって…と言うより、染み付いていたはずの裏社会の緊張感という物が、消えてしまっているらしい。あの殺人鬼がいつ襲撃に来るかも分からないというのに、熟睡しきってしまった事実に愕然としてしまった。
 少しでも冷静になる為に、まずは起きよう。着の身着のまま眠ったので、少し乱れたワンピースを直しつつ顔を洗い、男二人はどこへ行ったのかとモーテルのドアを開けた。

***

 ソファーの上で眠りについたルイから、寝息が聞こえ始めるまでそう時間は掛からなかった。
 明かりを落としたモーテルの室内で、古いテレビが煌々と光り、先程まで映画を映していたはずだが、いつの間にか通販番組がダラダラと流れ始めていた。番組のアシスタントをしている金髪の女が、大袈裟なリアクションをする姿は、逆に胡散臭さを強調する。リモコンに手を伸ばしてプツリとテレビを切ると、室内は一層暗くなった。

「おい」
「んー?」

 隣のベッドで俺に背を向けて横になっているルパンは、ピクリとも動かなかったが起きているのは分かっていた。
 手にしていたリモコンをベッドサイドのミニチェストに放り投げると、その衝撃でベッドランプがオレンジ色の明かりを灯す。

「運んでやれよ」

 誰を、とは言わなくても分かっているだろう。しかしルパンは布団を頭の先まで被り、俺の視線をシャットアウトした。

「俺様今日は朝から盗聴に忙しくて寝てねぇーの」

 そしてくぐもった声がその中から発せられる。
 ルイにチップと称して渡した一ドル硬貨は、使い勝手が悪く店にも嫌われる為に使用する人間は少ない。その思惑通り手放される事はなく居場所と音を拾い続けていた。
 ホテル滞在をするつもりでいたが、ルイの家周辺は住宅街だった為ホテルは無く、その代わりに手頃な空き家が偶々アパートの直ぐ近くにあった。その空き家は家具すら無く不便その物だったが、そこを根城にしたのは正解だった。恐らく、ビーチ近辺のホテル滞在にしていたら襲撃に間に合わなかっただろう。
 何より、ルイの家のドアベルの音を聞いた時点でルパンの勘が働いたのだから、その点に関しては感服する。

「ちっ…」

 その働きを知っている以上、俺がとやかく文句を言えるはずもなく、何よりこうなってしまったルパンは梃子でも動かない。俺は舌打ちを一つルパンに投げ付けベッドから這い出ると、運ぶべき相手の元へと足音を殺して近付いた。
 ソファーの上で丸まっている姿はまるで猫の様だった。出来れば俺の気配を察知して起きてくれ。そう思いつつ手を伸ばすがルイは深い眠りの底にいるらしく、狸寝入りでもしてんじゃねぇだろうな?と疑いたくなる程にピクリとも動かなかった。瞼は硬く閉ざされ、まつ毛が揺れる事もない。
 膝裏と背中に手を回してもそれは変わらず、胸中で溜息を吐きながら軽い身体を抱き上げた。そのまま俺が使っていたベッドまで運び、全く起きる気配がない事に呆れた溜息が溢れる。
 またいつ襲撃が来るか分からねぇってのに、呑気なもんだな。

「外出てくる。後で代われよ」
「はいよー」

 流石に三人揃って眠りこけるつもりはない。それはルパンも同じらしく、先程と打って変わって俺の意図をすんなりと汲んだ。
 確かモーテルの目の前に潮風で錆びついたベンチがあったはずだ。そこで見張りを兼ねて酒と煙草でも決め込むか。そう思い立ち、冷蔵庫から缶ビールを一本取り出して、俺は部屋を後にした。 
 幸いにも懸念していた事態は起きず、朝を迎えた。ルパンとは三時間交代で眠り、俺が二度目の見張りを終えようとする頃には朝日が登り始めていた。そして更に二時間程眠り俺とルパンが活動を開始しても、ルイは相変わらずベッドの上から起きる気配が無かった。
 ちょっと出掛けてくると言い残してルパンはふらりとどこかへ行ってしまい、女一人が寝ている部屋で寛ぐ気にもなれず、ベンチで何本目かの煙草に火を付けた時だった。

「おはよう」

 モーテルのドアが開き、ようやくルイが起きてきた。軒先で大きく伸びをする姿を横目で見やると、昨夜巻いてやった包帯の白が太陽の光に晒されやけに眩しく見えた。
 二年前はずっと隠されていた腕が、今はこうして何も隠す物はないとばかりに伸びているのが、視覚的にどうも慣れずに調子が狂う。

「次元だけ?ルパンは?」
「どっか出掛けた」

 まさかこの状況下でビーチの女を引っ掛けに行ったって事はないだろうが、ルパンが行き先も告げずに出掛けるのは珍しい事ではない。
 それを分かっているのか、ルイはそれ以上掘り下げる事もなく俺の前へとゆっくり回り込んで来た。一体何の用なのか。煙草を一本くれとでも言うつもりか?いや、コイツが煙草を吸っている所は見たことが無いから、それはないだろう。

「なんだ?」

 見上げると気まずそうに目を数回瞬かせ、迷いに迷った唇が開かれる。

「私をベッドに運んだの誰?」

 なんだ、その話か。
 問い掛けて来るルイの顔には、僅かながらに戸惑いと焦りの表情が浮かんでいる。俺もルパン程ではないが、相手の表情からある程度の事は読み取れる。そういった観察眼も持ち合わせていなくては生き抜けない世界にいるせいか、必要のない時にまでそのアンテナは機能する。
 恐らく、今の今まで気付きもせずに眠りこけていた事が、ルイにとって大分ショックな出来事だったらしい。

「いいじゃねぇか誰でも。お前は一般人なんだからよ」

 気にすんな。そう言って煙草を燻らせるが、ルイは複雑な表情を浮かべたまま、暫く俺の前から動かなかった。

***

 ルパンがモーテルに帰ってきたのは丁度太陽が天辺に昇った頃。片手に三人分のベーグルサンドの入った袋をぶら下げて、それを昼食代わりに私たちは作戦会議を始めた。
 わざわざチャイナタウンからモントレーまで追い掛けて来た事を考えても、これで終わりなんて事はないだろう。そうなれば、ダラダラと追い駆けっこをするのは趣味ではない。仕掛けるのか迎え撃つのか、二つに一つ。

「そもそも、アイツ何者なのよ?ルパン達が先にやり合ってたでしょ?」

 私はあの日、血の臭いを嗅ぎ付けてチャイナタウンの路地裏に足を踏み入れた。それから聞こえた次元の銃撃音。元はと言えばこの二人があの殺人鬼のストーカースイッチを入れてしまったのではないか。
 ソファーに座ってベーグルサンドに齧り付く。生ハムとクリームチーズの相性が抜群で、ピクルスのアクセントが癖になる絶品だった。私の隣で同じく咀嚼を続けるルパンは、ごくりと喉を鳴らして嚥下すると、口の周りに付いたマヨネーズソースをペロリと舐め取った。

「俺たちだって偶々居合わせたんだよ。仕事の話をした帰り道が、あの現場だったってだけでな」
「過去の恨みとか、何か思い当たる節はないわけ?」
「そんなもん挙げ始めたらキリがないっての。それを言うなら、ルイだって追われる理由何かあるんじゃねぇの?」

 それこそ私だって挙げ始めたらキリがない。と、言いたい所だけど、私がしてきた仕事はそれこそ暗殺稼業なので、基本的に世間の目に留まるような派手な事はしていないし、仕事の痕跡だって残さない。仮にどこかで足が付いていたのだとしても、私があの日突然チャイナタウンの路地裏に姿を表すなんて予見出来なかったはずだ。それに私に恨みがある人間なら、もっと早くにモントレーのバーにでも襲撃に来ていたに違いない。

「少なくとも、ルパンより狙われる理由は持ってないわよ」
「けどあの暗器、見ただろ?」

 その一言に、私の内側がザワリと嫌な波を立てた。
 あの殺人鬼がチャイナタウンで見せた右手首に仕込んだ暗器。あれは、私が以前使用していた物と非常に酷似していた。それは間違いないし、ルパンも次元も気付いているだろう。まさか私が捨てた暗器を拾って自分の物にしました、とか、偶々作った暗器がそっくりでした、なんて事はありえない。
 そんな偶然に偶然が重なったような何の説得力もない仮定に、私は頭を振った。

「仮に昔の仲間だったとしても、私と面識がある人は全員死んでるわ」

 亡霊の類じゃあるまいし、今更過去の生業を掘り返されるのは勘弁してほしい。
 すると、ベッドに寝そべったまま暫く口を開かなかった次元が、もぞりと起き上がる。

「まぁ、考えられるのは現場を見ちまった俺達を消すのが目的って所だろうな。一番弱そうなのから狙ってんだろ」

 一番弱そうで悪かったわね。そう言い掛けた言葉をぐっと喉元で抑え込み、無理矢理ため息へと変換させた。事実なのだから仕方ないし、手段としては間違っていない。

「誰にも見られずやりたかったら、もっと場所と時間を考えろっての」

 ルパンは半ばヤケクソ気味に手にしていたベーグルサンドを丸呑みして、殺人鬼のやり方にクレームを付けた。
 しかし次元は「出会っちまった不運を呪うんだな」とあっさり切り捨てたので、ルパンは唇を尖らせて益々不機嫌を露わにして、尚もブツブツ何かを呟いている。

「いずれにせよ、いつ現れるか分からない奴を待ち惚けすんのは俺は御免だぜ」
「どうやって仕掛けるつもり?神出鬼没すぎる相手に」

 次元は食後の一服なのか、テーブルの上に放り投げてあった煙草を手に取ると、ジッポライターを点火して煙を吐いた。私の問い掛けに対して、思案顔を浮かべたかと思うと、その視線を意味あり気にルパンへと投げる。その意味深なアイコンタクトに私は首を傾げた。

「ルパン、何か考えがあるの?」
「まぁ、手段がないってワケじゃねぇんだけどなぁ」

 珍しく歯切れが悪い。次元はその内容を分かっている様子だし、私だけが会話に付いていけないみたいで面白くない。言ってよ、という意味を込めてルパンを睨むと、困ったように頬を掻いて視線を泳がせた。
 ああこれは、間違いなく私にとって良からぬ内容だ。そう直感するものの、その内容はさっぱり検討が付かない。囮役でもしろと言うのか、それとも…

「ちょーっと、ルイに俺たちの仕事に付き合ってもらう…とかな」
「仕事?」

 思わずおうむ返ししてしまったけど、ルパンの言う仕事が世間一般で言う仕事と同義語ではない事ぐらい、分かっている。それなのに頭の片隅では、もしかしたらごく普通の就労の事を言っているのかも、なんて可能性に縋りそうになってしまう。
 そんな考えが過ぎってしまうほど私の頭の中は平和ボケしてしまったのかと、自分に対しても嫌悪感が生まれて、思わず顔を顰めた。

「実は今、一個仕事受けてる最中なのよ。サンフランシスコの美術館にお邪魔する予定なんだわ。仕事の期日までは後十日。派手に予告状ばら撒けば、アイツの目にも留まるだろ。それなら襲撃のタイミングも読みやすい」

 その仕事というのが、チャイナタウンで受けた物なのだろう。誘き寄せるには持って来いのタイミングであるし、誘いに乗って来るとしたら、恐らく殺人鬼側も本腰を入れて挑んでくる筈だ。仕事を妨害してでも手を出して来るかもしれない。
 どこの誰かも分からない人間相手に、いつまでも追い駆けっこはしたくない。このままでは私に平穏な日常が返って来ないのは明らかだけど、その平穏の為にまた裏社会に片足を突っ込めって言うの?

「この案を飲むかどうかはルイの判断に任せるぜ。もし参加するってなっても、その手を汚させる役割には回さねぇよ」

 私の迷いを汲み取って、ルパンはそう付け足した。
 そうは言っても、手が汚れる汚れないの問題ではない。二年前に国境よりも太く線引きをしたはずなのに、絶対にもう交わることはないと思ったのに…じゃあ今回だけ仕事します、だなんて都合よく頷けるわけがなかった。
 ルパンはいつになく慎重な面持ちで私の目を真っ直ぐに見た。

「分かってるだろうが、一人でモントレーに帰る方がリスクが高い。昔のよしみだしな、同行している限りは守ってやれる」

 守ってもらわなくても平気!そう言ってしまいたかった。二年前の私ならそう即答していただろう。
 それが出来なかったのは、今の私は一般人なのだと嫌でも思い知ってしまったからだ。いくら信用している仲間内とは言え、睡眠中に近付かれた気配にも気付けず、触れられたにも関わらず起きる事すら出来なかった。いくら寝る前にお酒を飲んだからと言って、この有様は酷すぎる。
 二年という月日の流れは私が思っている以上に長かったようで、腑抜けさせるには十分過ぎる時間だった。
 大人しく従って守ってもらうには同行しかない。でも、同行即ち仕事に関わってしまう。天秤に乗せられた選択肢はあまりに不安定で、私は口を閉ざしたまま何も言葉を発せられなかった。


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