ソロモン・グランディの嘘 | ナノ





 
昼食を食べ終わってから、風丸は特別暇をしていたわけではない。それなのに何故か軍手を嵌めて、埃っぽい倉庫の空気に顔を顰める破目になっていた。

録り溜めしていたドラマでも観ようとチャンネルを弄っていたのが悪かったのか、そもそも父親が休日出勤をしていたのが悪かったのか、家族揃って物を溜めこみやすい性質だからなのか。思いつく限りの原因を頭に並べてみたが、一向に風丸の視界を塞ぐ段ボールは減る気配すら見せない。

自然と風丸の口からは溜息が漏れていた。

ちなみに望はチャンネルを弄っていた時までは一緒だったのだが、肝心のドラマが観られないとなると「頑張ってねー」と言い捨てて笑顔で消えた。こういう時、幽霊は意外に薄情な顔を見せる。

胸の内で望に対して毒を吐きながら風丸は手前に積まれた段ボールの一番上のものから開けた。
中身の分別と空気の入れ替え、掃き掃除に拭き掃除。仕事量の多さに辟易としたが、分別に関しては風丸自身のもの以外には触らなくていいらしいので夕方までかければ終わるだろう、と風丸は前向きに考えることにした。倉庫と言ってもたいした広さはないし、風丸に関するものは全て手前に置いてあるということだった。


「うわ、懐かしいものばっかだ」


最初の段ボールの中には風丸が幼少期に遊んでいた怪獣やヒーローの玩具が詰められていた。その中には石やどんぐりの入った瓶といった変わり種も幾つかあって、そういえばよく家に持ち帰っていたなあ、と昔を思い返してくすぐったいような気分になる。
一通り中身の確認を済ませると、特別愛着のあったものだけ除けて不要なものは段ボールごととりあえず外に出す。

そうした作業を何回か繰り返し、洋服や靴、玩具に思い出の品を、残すもの・不要なものに選り分けるとそれだけであっという間に二時間ほど経っていた。合間合間に掃き掃除も拭き掃除も行ってはいたが、冬の太陽は傾くのが早い。慌てて次の箱に手を伸ばすと、中身は全く見覚えのないものばかりだった。


「なんだこれ」


ごそごそと段ボールの中を漁ってみたが、なんだかやけに古びたものばかりでカビ臭い。茶色く変色した英字の踊る広告や、レコード盤、それに何枚かの白黒写真。祖母の物だろうかとも思ったが、段ボールには誰の名前も書かれていない。少し考えて、ようやくそれがとうに亡くなった祖父のものだと気付いた。

白黒の写真の中で、幾人かの若い男女が肩を組んで楽しそうに笑っている。その青年たちの内、誰が祖父なのかはわからなかったが、どの笑顔も幸福そうなのは間違いなかった。

なんとなく段ボールを漁る手を止めて、風丸は自分の家を振り返った。祖母がいるだろう部屋の辺りを透かすように見て、やがて視線を落とす。

倉庫の奥には未だに段ボールが幾つも積み重なっている。これだけ手前の方にあるということは、最近になって祖母が整理したということなのだろう。どんな思いで、どんな心地でそうしたのだろうか。

考えてみても、風丸にわかるはずがない。手に取っていた写真を丁寧に戻すと、風丸は段ボールを奥の方に置いた。家に飾ることも考えたが、ここで祖父が眠っているのならそっとしておいてあげたかった。





「望ー」
「はあい」


数泊置いたあと、望がどこからか顔を出した。
風丸は倉庫内の片づけを無事に終え、夕食を食べて自室でのんびりしていた所だった。几帳面な風丸らしく、ベッドの上でも行儀よく足を揃えて座っている。


「お掃除お疲れさま!」
「うん。あのさ、望ひまだよな?」
「あれ、それって疑問形じゃないよね」


「うん。だって、俺を見捨てただろ」とにこやかに笑う風丸に、望の顔が見る見る青ざめていく。風丸は笑いを噛み殺すのに苦労しながら「わたし逃げたんじゃないよ! どうせ一郎太くんのそばにいてもお手伝いできないもん! わたしひまじゃん!」などと言い訳をする望を見ていた。


「なあ、望」


風丸が笑いを含んだ声で呼びかけると、忙しく動いていた唇がピタリと閉じる。黒い両目が緊張したように風丸を見ていた。


「花火しよう」

「…………はなび?」


間抜けな顔をした望に、ついに堪え切れなくなって風丸が噴き出した。「あ、え?」と慌てた顔をした望は次第に眉を寄せて唇を曲げる。風丸にからかわれていたことにようやく気付いたらしかった。


「一郎太くんって性格悪いよ!!」


いかにも憤慨しています、といった様子で叫んだ望にとびっきりの笑顔を返す。望のそういったところが風丸の幼い嗜虐心を擽るのだが、あいにくこの幽霊は鈍感だった。


「で、花火やらないのか? まあ、倉庫で見つけた古いやつだし、そもそもホントに出来るかわからないんだけどさ」


少し決まり悪そうに付け足した風丸に、望は顔を輝かせて笑う。


「もちろんやりたい!」
「望ならそう言うと思った。ちょっと季節外れな気もするけどー……いまさら望に季節なんて関係ないもんな」
「あ、それどういう意味よぅ」
「そのまんま」


笑いながら風丸はコートを着て庭に出た。母親からは「音の出るものには火を付けない」という約束で、ライターと水の入ったバケツを用意してもらっている。

縁側に座ると、あからさまに望は期待を籠めた眼差しで風丸の手元を覗き込んできた。花火セットのビニールを破き、説明書に沿って音の出ないものを選ぶと風丸は少し緊張した手つきでライターを押す。

すぐに、夜闇にポッと炎のオレンジが揺らめいた。ライターを押し続けている親指にわずかな熱を感じる。ゆっくりと炎に芯を近づかせると、少しして細く白い煙があがった。


「あ……」


望が残念そうな声をあげる。
火が点いたかのように見えたのだが、ただ芯が焼け落ちただけだった。元々期待はしていなかったのだが、なんとなく気落ちしてしまう。溜息を吐いてゴミになってしまった燃えカスをバケツに放ると、風丸は気をとりなおして次の花火に火を点けた。




結局、最後に残った線香花火にしか火が点くことはなかった。
この花火はどうにも地味過ぎる気がして風丸はあまり好きじゃない。それでも、全部シケていて結局出来ませんでした、というオチよりかは幾分マシかなとも思ったが、やはりあまりいい気分ではなかった。

ポト、とオレンジ色の火の玉を地面に落として沈黙する花火に思わず溜息を零す。なんというか、あまりに寂し過ぎる気がした。風丸の正面に回りこんで火の玉をじっと見つめていた望が顔をあげ、不思議そうに首を傾げる。


「どうかしたの?」
「あー……花火やめにするか?」
「え、なんで、やだ!」
「やだって……線香花火なんか見ててもつまらないだろ」


風丸が困ったように眉を顰め、用済みとなった花火をバケツに投げ入れる。風丸の脇にはまだ幾つかの線香花火が残っていたが、それらに火を点けるのはあまり気が進まなかった。

どうしようか、と考えていると望が突然真剣な顔になって身を乗り出す。ぎょっとして風丸は身体を反らしたが、望は全く気にしていない。


「わたしは好きなの! 線香花火!」
「なんで、っていうか顔近いんだけど」
「儚いけど、なんかこうじんわりしてて、オレンジ色の火の玉があったかい感じで、えーと、とにかく好きなの!」


「いや、だから顔近いって……」風丸は口の中でごにょごにょと文句を言ったが、望は真剣な目で風丸を射抜いている。はあ、と曖昧な相槌と共に風丸が折れる方が早かった。


「線香花火よりも、もっと派手な方が好きそうなのに……」
「わたしは線香花火でいいの!」


「そういうもんなのか?」と首を傾げながらも次の花火に着火する風丸を見て、望はこっそり笑った。あの時には言えなかった、言いたくて言いたくて、ずっと後悔していた言葉を大事に舌先に乗せる。


「ありがとう、一郎太くん」


火の玉と同じオレンジの両目は笑顔の望を映しながら不思議そうに瞬いた。