ソロモン・グランディの嘘 | ナノ





 
「ねぇ、一郎太くん」


放課後の部活中。
ドリンクを飲みながら休憩をしていた風丸の隣で、それまで珍しく大人しかった幽霊が首を傾げた。


「ん?」


ドリンクボトルから口を離し、立ったままの望を見上げる。彼女は一点をじっと見つめて、困ったように眉を寄せていた。


「あの子のこと、気づいてる?」


誰にも見咎められることはないので、望は人差し指を突きたてた。望の指さす先にあるものに、風丸は思わず苦笑を零す。


「ああ、望も気づいたか」


小声で返した風丸に、「そりゃあ、ね」と望は伸ばした人差し指をうろうろと彷徨わせる。指の先、此処から少し離れた木立の隙間からキラキラ零れている金色に、望は「うぅん……」と奇妙な唸り声を上げた。


「あれでもし隠れてるつもりなら、幽霊なんて勤まらなさそうだと思わない? あんな調子じゃあの子みたいのにいつの間にか払われてお陀仏しちゃうパターンだよ、可哀想に……」


心底同情してます、といった風に望は顔を歪めた。

……いつものことだが、彼女はどこか論点がずれている。

込み上げてきた笑いを噛み殺す為、風丸は再びドリンクボトルを咥えた。

まさかあの“キラキラ”も、本物の幽霊からそんな「不名誉」な評価を貰っているとは露ほども思っていないだろう。

くつくつ震えそうになる喉に味の薄い清涼飲料を無造作に流し込みながら、風丸はそっと辺りに視線を向ける。
此処からほんの少し離れた所で休憩している部員は、風丸の存在に少しも気を配っていない。このままぽつぽつと会話を続ける以上のことをしなければ、不審に思われたりもしないだろう。

ほっと胸を撫で下ろして、風丸は視線を外した。まだ夏の暑さを残す生ぬるい風が汗ばんだ肌に当たって気持ちいい。
僅かに瞳を細めながら、風丸はふいに頭を過ぎった考えに内心で溜息を吐いた。

望と一緒にいると、風丸はよく周囲に気を配らなければならなくなる。だからつい、考えてしまうのだ。

マンガやアニメで見るように、心や頭の中で会話が出来れば楽なのに、と。未だに望とだけ話せる理由もわからないので、それは高望みという奴か、或いはマンガやアニメの見過ぎなのだろうけど。

しかしそれが実際にあれば、楽なのは間違いない。なにより、いつでも望と気軽に話すことが出来るのは風丸にとって大きな魅力だった。望との会話はどれも他愛のないものばかりだが、なぜか他の誰との会話より楽しい。


「望にしては中々センスのいいアドバイスだな」
「……一郎太くん、それ、バカにしてない?」
「そんな訳ないだろ」


何喰わない顔で言い切ると、望はじとっとした目をした。どうやら風丸の言を信じていないらしい。


「ねぇ、でもさ」


望は麦わら帽の下から“キラキラ”をそっと見つめる。


「気付いてるんなら、なんで放っとくの?」


望の不思議そうな声に風丸が答えようとした。けれども、最初の言葉が形になる前にピーッという笛の音が二度グラウンドに響く。短い休憩の終わりの合図だ。

風丸はボトルの蓋を閉めると、急いで立ち上がった。「後で話すよ」、そう言い残してトラックに向けて駆けだす。

小さくなっていく背中を見送った望は、結局答えを知ることが出来なかった不思議なキラキラをじっと見つめた。







「で?」
「……なにが?」


疲労の残る気だるい身体を引きずりながら今日の晩御飯を考えていた風丸は、望の主語を省いた短い言葉が何を指しているのか咄嗟に理解することが出来なかった。

きょとんとした顔を見せた風丸に、望が大げさなまでに溜息を吐く。


「だからさ、あの“キラキラ”ちゃんのこと。部活が終わったら教えてくれると思ってたのに、その反応ってことは一郎太くんすっかり忘れてたでしょ」


むぅ、と頬を膨らませた望に風丸は「ああ、なんだそのことか」と拍子抜けした顔を見せた。
風丸のその反応に、望はふんと鼻を鳴らす。


「一郎太くんにはどーせその程度の話よね!」
「だから、悪かったって。あれは近所の小学生だよ。最近よくああしてうちの練習見に来るんだってさ」


「俺も先輩に聞いただけだけど、害はないししばらく放っとくことにしたんだって」と風丸が締めくくると、望は「ふぅん」と、どことなく棘を含んだ相槌を返してきた。


「……で?」
「でって、なにが?」


相変わらずつっけんどんな態度を崩さない望に、風丸はなにも考えないまま首を傾げた。疲れているせいか、望の言動をまともにとり合ってやる気力もない。

望はそれを見透かしたように声を張り上げた。


「だから! 一郎太くん個人はそれで終わりかって聞いてるの!!」
「は? 望なに興奮してるんだ、落ち着けって」


らしくない乱暴な言い方に、風丸はその時ようやく望が不機嫌なことに気付いた。しかし宥めようとかけた言葉にすら、望は眦をきつくする。


「なあに、落ち着けですって! わたしは十分落ち着いてるわよ! ああもう、一郎太くんのばか! ほんっと、大ばかよ!!」


興奮した様子で望は風丸を詰る。いきなり罵られた風丸といえば、最初こそ驚いた顔を見せたが次第に表情を歪めた。


「……なんでいきなりそんなこと言われなくっちゃならないんだよ。俺望になにかしたか?」
「っうるさあああああい! とにかく一郎太くんは救いようのないバカなんだわ、あっちにふらふらこっちにふらふらして、ああもう、信じらんない!! ばああああか!!」



……なにかおかしい。

いつもと明らかに違ういまの興奮した様子もそうだが、そうではない。普段押し込められていた何かが、望の中で溢れているように見える。望にもコントロールできない何か。

風丸がとにかく望を落ち着かせようとすると、望は頑なに首を振って拒絶した。


「もうやだやだ聞きたくない、一郎太くんなんかだいっきらい!!! 嫌いなんだから!」


嫌い。


彼女の口から飛んできた言葉が風丸の頭を埋めつくして、一瞬でなにもかもを焼き払っていった。


「っ、いい加減にしろバカ幽霊!!」


気がつくと、風丸は声を張り上げて怒鳴っていた。

はっとして望を見ると、怯んだ様子で風丸を見ている。


「……望」


名前を呼ぶと、望は唇を噛みしめて悔しそうに風丸を睨んだ。そして両手で麦わら帽のつばを引き下げると、引き結ばれた唇を残してその影に隠れてしまう。


「そうよ、どうせわたしバカだもの。……幽霊、だもの」


小さな声でそう呟くと、青白い幽霊はコンクリートの塀の向こうへと溶けて消えた。