ソロモン・グランディの嘘 | ナノ





 
「ああ、もうそんな時期か」


円堂からのメールで思い出したそれに携帯を眺めながら呟くと、床でごろごろしていた望が顔を上げた。


「そんな時期って、なにが?」


「花火大会だよ」そう返して、風丸はぽちぽちとメールの返事を打ち始める。そのせいで、望の目つきが変わったことには気づかなかった。


「一郎太くんすとぉおおおっぷ!!!」


「うわあ!」


いきなり望が身体ごと突っ込んできたので、風丸は悲鳴を上げて咄嗟に避けた。望は幽霊なので風丸が避けなくてもどうってことはないのだが、こういうのは条件反射である。座っていたベッドから転がり落ちた風丸に、望はびしりと指を突きつけた。


「お友達と行っちゃダメだよ!」
「はあ?」


風丸が打ちつけた腰を押さえながらしかめっ面で望を見上げると、幽霊はいつになく真剣な顔をしている。風丸は面食らった。いったいなんなんだ。


「一郎太くんはわたしと一緒に花火大会に行くんだから!」
「いや、なに言ってるんだよ。おまえと行くぐらいなら円堂と行った方が、」
「その名前は出さないでぇえええええ!!!」


首を左右に振りたくる望の姿に半ば引きながら「悪かったから落ちつけ」と宥めると、幽霊は半泣きになって風丸を見た。目が潤んでいる。そんなに円堂が怖いか、と風丸は呆れた。風丸には一生理解出来そうにない気持ちである。

それに風丸と望が仮に二人で花火大会に行ったところで、周りからは風丸が一人で来ているようにしか見えないのだ。そんな羞恥プレイは御免である。風丸が諦めろ、と言おうとすると望の顔がくしゃりと歪んだ。


「だって、わたし、一郎太くんと花火見たいんだもん!」


幽霊が駄々をこねるように涙声で言うのと、風丸の部屋がノックされたのは同時だった。


「一郎太、なに騒いでるの?」


母親が怪訝そうな顔で入ってきて、床に転がっている息子を見るとさらに訝しそうな目を向ける。風丸は慌てて起き上がりながら「なんでもないんだ」とうそぶいた。幽霊が騒いでいるのには聞こえないフリである。


「ちょっと円堂と電話しててさ。母さん、なにか用?」
「騒がしいからなにごとかと思って見にきただけだけど……。ああ、お夕飯もうすぐだからもう下に降りていらっしゃい」


「うん、わかった」と頷きながら、風丸は部屋の隅でビクビクしている(円堂の名前が出たせいだろう)幽霊に目を向けた。相変わらず情けない顔で、しょんぼりと眉を垂らしながら風丸のことを見ている。「花火大会、行きたいのに」拗ねたように唇を尖らせた幽霊に風丸は溜息を吐いた。仕方ない。


「ねえ母さん」
「なあに?」
「花火大会なんだけど、友達に誘われててさ。今年は友達と見てもいい?」


母親は意外そうな顔で目を瞬いた。近くの河川で打ち上げられる花火大会は、毎年一家揃って屋上から眺めるのが風丸家の恒例行事だったのである。しかし母親は意外そうな顔をしながらも、こくりと頷いた。


「いいわよ、もう一郎太も中学一年生だものね」
「ありがとう」


母親はしたり顔で何度も頷きながら、「はやく降りていらっしゃいねー」と階段を下っていく。なにか勘違いをされたような気がしたが、風丸は訂正することが出来なかった。望が嬉しそうに突進してきたせいである。風丸は慌てて衝突を避けた。


「だからそれもう止めろって!」
「一郎太くん、わたしと行ってくれるんだよね! お友達ってわたしのことでしょう!」


目をキラキラと輝かせる望の顔は心底うれしそうだ。風丸より年上のくせに、幽霊のくせに、望は感情を剥き出しにして喜ぶ。その顔を見ていられなくなって、風丸はぷいっと顔ごと逸らした。


「知らない」
「えー! なんでよう、ま、まさかあの子のことじゃないよね……! 違うよね!!」


風丸の気も知らず、望は一人でわあわあと騒いでいる。風丸はなぜか熱を持ってしまった頬を悟られまいと、「さあな」とぶっきら棒に答えながらメールの返信を打った。


『ごめん、今年はもう先約が入った』


いつもより、花火大会の日が待ち遠しくなった。