▼ 嘘を吐き出す
赤い鳥が羽ばたくのが見えた。
暗闇の中だというのに、その鳥の動きがよく見える。あたしに纏わりつくように、ふわりふわりと周囲を舞って、手を伸ばそうとするとするりと交わすように離れていく。それが憎いと思った。
体中の赤い羽毛が淡く光ってでもいるのかもしれない。炎の揺らめきのようにも見えるその温かで美しい色に、鳥を憎んだあたしは、なぜか強烈に惹かれていた。
ああ、なんだったろう。
鳥に見惚れる中、ふいにそんな言葉が胸に落ちた。
自分はアレとよく似たものを知っている、そんな気がした。
「……センパイ、〇〇センパイ」
「ん、」
ゆさゆさと、あまり遠慮のない揺さぶりに自然と瞼が上がった。なによう、と半分寝ぼけたまま口にすると、起きてください、と言われる。
なにか大事でも起こったのだろうか。そう思って少しだけ目を開けると、見なれた赤毛と無表情がそこにあって、ああなんだいつものアレか、と納得した私は奴とは反対側に寝返りを打った。
「おやすみー」
「起きて下さい、〇〇センパイ」
「うっさいわね、いいから寝かせてよ」
「襲いますよ」
「おーおー、若くていいねぇ、お盛んだねえ」
もぞもぞと足を丸めて、寝易い姿勢を確保すると「じゃ」と言い放って睡魔に意識を委ねる。端からとろとろと溶けるような心地よさに思わず笑うと、急にぐいっと胸倉を掴まれた。
「うおっ?!」
驚いて目を開けると、相変わらず無表情の、それでも僅かに膨れた感じのマスルールの顔がドアップで存在していた。
「襲っていいんすか」
「いいわけあるか、タコ。あたしは眠いのよ、おわかり坊ちゃん?」
「タコでもないし、坊ちゃんでもないっス」
「じゃあ盛りのついたマセガキね。とっととこの手をお放し」
ふん、と鼻を鳴らしてあたしの胸倉を掴んだままの手を叩くと、渋々といった様子で離される。解放された襟元の乱れを適当に直すと、ついでに頬にかかる髪も掻き上げた。ダルイ、というのを隠すことなく身体全体で表現してマスルールを見ると、図体だけはご立派なこの男はじっとあたしを見ている。
その視線の強さは、この男の強さと相俟って獣を連想させた。飢えた獣。なんてピッタリな言葉なんだろうか。
「ヤりたいなら娼館にでも行きゃあいーじゃない。八人将サマだもの、色んな女がこぞって相手してくれんでしょ」
「あんたじゃなきゃ嫌だ」
「馬鹿じゃないの。どんな女が相手だってヤることは一緒でしょーが」
馬鹿にしたようにニヤニヤ笑いでマスルールを見上げると、「ああ」と淡々と頷いたあとにぐいっと顔を近づけてくる。
「同じなら、なおさらあんたがいい」
間近で睨みあうはめになったマスルールの特徴的な目は髪と同じ、燃えるような赤い色だ。ああ、この目で覗きこまれると常々思う。
「相変わらず薄気味悪い色」
あたしがマスルールの目の色が嫌いだと言ってから、こいつは時々こんな風に嫌がらせをしてくるようになった。ぶるりと震えて鳥肌の立った腕を擦り、マスルールから距離をとろうとすると今度は両肩を掴まれ、気付いた時には既に床の上に押し倒されていた。人の腹の上で馬乗りになり、無表情のままただ瞳をぎらつかせるマスルールを思いっきり馬鹿にするように、口の端を歪めてみせる。
「ちょっと、なんなのよ。あんたの相手なんかしないって言ってんでしょーが」
「もう、黙ってください」
「はあ?」
眦を吊り上げ、文句を言おうと息を吸い込んだところで唇を塞がれた。微かに開いていた隙間からすばやく舌が侵入し、食らうように、貪るようにただ奪われる。唾液と吐息の音ばかりが耳に残り、それが気に喰わなかった。瞳も閉じずにただマスルールの近過ぎてぼやけた顔を見ていると、不明瞭な視界の中でどこか見なれた赤が浮かび上がる。
ああ、だからこの色が嫌いなんだ。
温かで美しい、赤い色。もうずっと前から恐ろしかった。この色に飲み込まれるのだけは、どうしても嫌だったのに。
あたしの口の中を好き勝手蹂躙してくれる支配者サマとやらに牙を剥く。びくりと震えた舌があたしから出ていったことに満足して笑うと、憎々しげに睨まれた。顔を逸らしたマスルールが血の混じった唾を吐く。
あたしも口内に塗り広げられた血の味のする唾を吐こうかどうか迷ったが、結局飲み込むことにした。
喉を滑り降りていくそれはやっぱり血の味ばかりで、甘くも、美味しくもなく、ただ生温くてマズイだけだったからすぐに後悔したけど。