短編(使用不可) | ナノ


▼ 保育士と豪炎寺


保育園の庭は大人からすれば広さもなく、遊具も少ない。けれど、小さな子供たちにかかれば狭い砂の庭はたちまち無限の遊び場に変わる。

今日も今日とて元気に遊び回る園児達を、私は豪炎寺さんと一緒に見ていた。


ちなみに、この豪炎寺さんという方は私のような保育士でも用務の方でもなく、ただのOBだ。

プロリーグで活躍なさっている超一流のサッカー選手をただのOBと呼んでいいのなら、の話しだが。

しかし、園児の定期検診を彼のお父様が担当してくださっていること、そのお父様と園長先生がご友人同士であることを考えるともしかしたら関係者の内に含まれるのかもしれない。

彼自身子供が好きらしく、私がこの園に赴任してくる前から園に顔を出しては子供たちにサッカーを教えていたらしい。

テレビを通して何度か見たことのある有名なサッカー選手が突然保育園に現れた時はさすがに驚いたけれど、豪炎寺さんの存在に慣れるのにそれほど時間はかからなかった。


……かからなかったのだけど。


隣でほほえましそうに園児たちを眺めている豪炎寺さんを意識すればするほど、私の頭の中はたった一つの単語でいっぱいになる。
思わず心臓の辺りを抑えると、見つめ過ぎたのかこっちを振り返った豪炎寺さんと目があった。

心臓の鼓動がいっそう、速くなる。


「〇〇先生? どうかされたんですか?」
「あ……」


ダメだ、言ってしまいたい。

柔らかな声音に誘われて、小さく唇が開く。
どうしよう、これ以上抑えられそうにない。ドクドクと激しく打ちならす心臓の音が耳元から聞こえた。期待からか緊張からか、冷たい汗が手の平を濡らす。


言いたい、言ってしまいたい!


「……〇〇先生?」


名前を呼ばれた瞬間、私の中のなにかが弾けた。


「豪炎寺さんはショタコンなんですか?」

「ショ……!?」


いつもは固く引き結ばれている豪炎寺さんの唇が、ぱかっと開いてわなないた。キツく釣り上がっている真っ黒い両目も、いまは円くなって私を凝視している。

間違いなく、豪炎寺さんは動揺していた。


動揺するということはやましい事があるからで、ということは、やっぱり彼はそういう方面の人なのだ。


そもそも豪炎寺さんほどのサッカー選手が、いくら子供が好きとはいえボランティアで週三も園に通ってくるわけがない。

全部子供たちが目当てだったのだ。

いくら大事な「お客様」とはいえ、そんな犯罪者予備軍の人間をみすみす招き入れていたなんて園の信用にも関わってくる。
これからは金輪際この園に立ち入らないよう私から本人に忠告しなければならないだろう。

私がぱっぱと考えを纏めていると、それまで反応のなかった豪炎寺さんがいきなり吠え出した。


「違う!! 俺はショタコンなんかじゃない!」
「じゃあロリコンですか」
「それも違う!!!!」


「俺は犯罪者でもその予備軍でもそもそもそんな性癖も断じてない! ノーマルだっ!!」一息で叫ぶと、豪炎寺さんは激しく肩を上下させた。いいシャウトだ。


「……本当に違うんですか?」
「ああ!」
「神に誓って?」
「アフロディにだって誓ってやる!!」
「シスコンですよね?」
「その通りだ!!! って違……わない……」


ぐぅっ、とうめき声をあげて悔しそうに膝を着いた豪炎寺さんの肩を、私はそっと叩いた。

俯いてしまっていた豪炎寺さんは期待をこめた眼差しで私を見上げる。


「とりあえず、今日のところはお帰りくださいませ」
「な……!?」
「出口はあちらにございます、出てけペド野郎」
「その目を止めろぉおおおおおおおおおおおおお」


ついに豪炎寺さんの両目が潤み出した。
同じように、私の顔にべったり張り付いていた愛想笑いも溶けたのだけど、言い訳をするのに必死になっている彼はそれに気付いた様子はない。


「違う違うんだ〇〇、俺は確かにシスコンだ。夕香のことを愛している。だがペドフェリアとかショタコンとかロリコンとかではなくてだなそう言うなれば俺は真性のシスコンであって鬼道もこれには同意をだな」


「豪炎寺さん」私が彼の名前を呼ぶと、淀みなく動いていた彼の口がぴたりと閉じた。

ほんの少しの静寂が下りる。外からは園児達の歓声が聞こえてきた。膝をついている豪炎寺さんに合わせて、床にしゃがみ込む。


「すみません、冗談です。わかってますよ、豪炎寺さんは優しいひとです」


覗きこんだ彼の真っ黒い両目はゆらゆら不安そうに揺れていたが、私が笑っていることに気付くとなにか眩しいものを見たように、そっと細まった。


「……〇〇」
「えーと、怒りました?」


「すきだ」


……生憎、咄嗟に返せる言葉の持ち合わせなどあるはずもなく。

少しの沈黙のあと「あー、それはまた、唐突ですね」となんとかそれだけを言った。


……「すき」ってなんだ。


うまく言葉が飲み込めずにぐるぐる混乱し始めた私をじっと見つめたまま、豪炎寺さんはまた口を動かした。


「最初はほとんど一目惚れだった。俺が持っていたコネも力も使えるだけ使って、〇〇目当てでここに通っていた。子供もサッカーもだしにして、必死に話しかけて〇〇と打ち解けていく内に、またどんどん惹かれていった」


「もう一度言う、〇〇が好きだ」


私の思考は、その頃には既に停止していた。

完全に固まった私を置いてけぼりにして豪炎寺さんはさっさと立ち上がると、ジーンズについた埃を叩きながらぼやくように呟く。


「こんな予定ではなかったんだが、つまらない誤解をされるより素直に気持ちを伝えた方がマシだからな」
「……」


…………。
ああどうしよう、目眩がする。

とつとつそんなことを語られても、まるでお芝居のセリフを聞かされているような感覚だ。

そもそも、彼の言う「〇〇」とは誰のことだ。

確かに私と同じ名前のようだけど、私は彼のような人に一目惚れされるほどの器量良しではないし、必死に近付くほどの人間でもない。私はどこにでもいる、ちょっと人より子供が好きなだけの普通の女だ。

私がとりとめもない事を考えていると、目の前に大きな手の平が差し出された。


「いつまで座り込んでいるんだ、もうすぐ昼休みが終わるぞ」


おかしそうに笑った彼の言葉に急に我にかえって、慌てて彼の手を掴んで立ち上がる。初めて触れた豪炎寺さんの手は大きくて骨張っていて、そして少し汗をかいて冷たくなっていた。


「豪炎寺さんの手って、冷たいんですね」
「……普通、緊張ぐらいするだろう。好きな女に告白しているんだから」
「ああ、それもそうですね……」
「なんだ、その反応は」


不機嫌そうに眉を寄せられたが、よくよく見ると豪炎寺さんの浅黒い肌には赤味がさしている。


豪炎寺さんは緊張していた、らしい。

何故って、好きな女に告白したかららしく、それもその好きな女というのは〇〇という女性らしい。


「はあ」と生返事をすると、溜息を吐かれた。


「俺は、お前に告白したんだ。目の前にいる、××〇〇に。ちゃんとわかってるのか?」


どうやら、私への告白だったらしい。
わたしへの、告白。


…………告白?


「あ、ああああああああ、な、なるほど!」
「わかってはいたが、予想以上に鈍いな……」


ぼんやりとただの感想を口にしただけだったのに、なんというか、こちらの方が予想外だ。繋いだままだった手が急に気恥ずかしくなってきて慌てて離すと、おかしそうに笑われる。


「あの、豪炎寺さん、」


気まずさになんと声をかければいいのかわからなくなって、言葉の途中で口が閉じてしまう。


どうしよう、告白なんかされたの、初めてだ。しかもこんなイケメンから。いや、イケメンは関係なくって、でも私は豪炎寺さんをそんな風に見たことはなくて、だったらやっぱり振るべきで。
振るということは、豪炎寺さんとはもうお別れということだろう。だってもう、豪炎寺さんが園に来る理由がなくなる。


豪炎寺さんと、お別れ。


反射的に、それは嫌だと思った。

それがなぜなのか、いまの私にはまだ答えが出せない。


混乱する私を救うように、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。はっとして庭を振り返ると、子供たちは後片付けを始めている。そうだ、今は仕事の途中だ。


「今日のところは私も帰りますね、〇〇先生」
「え?」


にっこり微笑んでいるその顔はいつもの「豪炎寺さん」で、自分のことを俺と呼ぶ先程までの豪炎寺修也はどこかに消えていた。
唐突な展開に思考が追い付かなくて、呆然と豪炎寺さんを見ていると彼はあっさり扉に向かっていく。


本当にこのまま帰るんだろうか……。
帰って、しまうんだろうか。


ほんの少し惜しむような思考に捕われかけた時、見透かしたように豪炎寺さんが振り返った。


「俺はエースストライカーの名を泣かすつもりはない。またな、〇〇」




その後の豪炎寺さんがエースストライカーのままでいられたのかは、私と豪炎寺さんだけが知っている秘密だ。




――――――
お仕事しましょ様に提出






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