▼ お仕置き
飛鷹くんの自主練習に付き合うようになってから結構な時が経った気がする。
一応補足しておくと、彼と僕は最初から知り合いだった訳ではない。僕と飛鷹くんのイナズマジャパン入りが決まった時に響木監督に紹介してもらったのだ。その時に時々でいいから彼の練習に付き合ってもらいたいとお願いされて、以降彼とは毎日のように顔を突き合わせている。
古い不良のような鋭い見た目と違って律儀で真面目で、すごく良い人だ。なによりも丁寧だし礼儀もある。本当にこれで不良だったのかと疑問を持つほどだ。
自分のドリンクに口を付けながら首にかけたタオルで汗を拭う。休憩に入った僕と違って飛鷹くんは未だに練習を続けていた。
飛鷹くんが足を振り上げるたび白と黒のボールが壁に当たって跳ね返る。もう何時間も同じ事を繰り返されているそこには、ボールの擦れた黒い痕が決して狭くない範囲で点々と刻まれていた。まだまだコントロールの甘い証拠だ。
飛鷹くんもそれがわかっているのだろう。戻ってきたボールを足で受け止めて、少しだけ悔しそうな顔で壁を睨んでいる。
「飛鷹くん」
新しいドリンクを鞄から取り出して呼びかけると、彼は顔だけを僕に向けた。足は未だにボールの上に置かれたままで、それがなんとなく苦笑を誘う。
「なんですか」
「きみも休憩にしたら? そろそろ辛いでしょ」
「ほら」と言いながら取り出したドリンクを差し出すと、飛鷹くんは眉を寄せた。受け取ろうとする動きが見られないので首を傾げると、彼の目がふいっと逸らされる。
「……俺はまだ平気です」
「あーうん、飛鷹くんのやる気は認めるけどね。でも身体はそうでもないと思うよ」
「平気です」
頑なに受け入れようとしない彼に頬を掻くと、小さく「すみません」という謝罪の言葉が飛んでくる。彼のつり上がった目は目の前の壁でも、ましてや僕にも向けられてもいない。
……僕だって、飛鷹くんの気持ちがわからないわけじゃない。サッカー初心者がいきなり世界相手に戦おうというのだから、焦って当然だ。
でも、それとこれとはやっぱり話は別なのだ。
「ちょ、ちょっと井端さん!」
抗議の声を上げる飛鷹くんに構わず、彼の腕を引っ張って空き地の端の方に向かう。言って聞かない奴を言葉で説き伏せようなんて、そんな無駄な労力は使うつもりないんだよね。
「腕を離してください!」
「んー、なんで?」
「だから、俺はまだ練習を続けると……!」
「僕は許可してないよね。監督者の言うことには従うものでしょう」
「違う?」と笑いながら首を傾げると、飛鷹くんは眉間にシワを作った。けれど彼の腕から力が抜けたので、渋々でも従ってくれるということだろう。
僕らが荷物を置いている所まで来ると、彼の腕を解放して手近な廃材の上に座らせる。そして、自分の鞄からタオルを取り出し、それで汗を拭っていた彼に持っていたドリンクを渡した。「ありがとう、ございます」「うん」という短い会話のあと、僕はその足元に屈む。
「あの、井端さん……?」
ドリンクを受けとった姿勢のまま、戸惑ったような表情を貼り付けた飛鷹くんを見上げて僕はにこりと笑いかけた。
「あのさ、ちょっと脱いでくれる?」
「は……?!」
がちん、と音を立てそうなほど飛鷹くんが固まる。
「あ、下だけで大丈夫だよ。痛くないように頑張るからさ、じっとしててね……?」
「っ、」
ふふ、と唇を吊上げながら彼の膝の上にそっと両手を乗せる。途端にビクン、と跳ねた膝の筋肉をなぞるように指先を動かし、ゆっくりと右手をずらしてふくらはぎに触れる。そのままふくらはぎの形を確かめるように撫でながら彼の靴下に手をかけると、焦った声で名前を呼ばれた。
「なに?」
「なにって、その、な、なんのつもりですか?!」
「なんのつもり?」そんなこと、言わなくてもわかりそうなものだけど。
ふくらはぎと靴下の間に指を入れ、するりと足首まで下げる。ついに剥き出しになった彼の足が頼りなげに揺れて、靴裏で砂利を掻く音がした。ああ、靴も邪魔だなあ。そう思いながら、心地よい熱と柔らかな肌を求めてそっと触れる。僕の手よりも熱を持ったそれが心地よくて、うっとりと瞳を細めた。ごくり、とどちらの物とも知れない喉を鳴らす音が聞こえる。
「決まってるよ、そんなの」
彼の下肢へと頭を沈めながらくつりと喉奥で笑った。
「きもちいいことさ」
一拍の沈黙のあと、思いっきり突き飛ばされた。
完全に地面に尻をついた体勢で飛鷹くんを見上げると、耳まで真っ赤に染めた顔で僕を見下ろしている。いつもは固く引き結ばれている口元もぱかっと開いていて、中々見れない貴重な間抜け顔をしていた。思わず笑ってしまうと、彼は途端に青や赤に目まぐるしく顔色を変えながら叫ぶ。
「お、俺にそんな趣味はねえ!」
「一度やってみたら気持ちいいかもよ?」
「やっ?!」
「うん。飛鷹くんもクセになったりして」
乾いた唇を舐めながら挑発するように口の端を持ち上げると、堪えかねたように飛鷹くんが勢いよく立ちあがった。
「俺はホモじゃねえ!!」
顔が赤いまま、それでも断固拒否といった様子で飛鷹くんは僕に宣言をする。その目はどこまでも本気の色をしていたけれど。
「いやまあ、こっちだってそんな趣味ないよ」
あっけらかんと言い放った僕の言葉を彼はうまく飲み込めなかったのか、きょとんとした顔をする。どちらかというと鋭い顔立ちなのに、その無防備な表情がかわいらしくて笑うとあからさまに顔を顰められた。
「だってあんた、さっきその……や、やるとか、脱げとか、きもちいいことだとか、ンなこと言ってたじゃねえかっ!」
「ああ、マッサージのことだよ」
「……マッサージ?」聞き返してきた飛鷹くんの眉間に作られたシワがこれでもかというぐらい深くなったが、訝しそうな目にも笑顔で頷く。
「経験あるかもしれないけど、あんまり筋肉を酷使すると足が攣りやすくなるんだ。だからマッサージしてあげようかなって」
「……じゃあ、さっきのは」
「飛鷹くんの筋肉の調子を確かめてたんだよ。少しふくらはぎの筋肉が硬くなってたから、やっぱりマッサージしておいた方がいいね」
「無理は禁物ってこと。焦るのもわかるけど、練習のし過ぎでいざって時に使い物にならなくなったら元も子もないだろ」あくまで穏やかな口調で言うと、僕の目を探るようにじっと見ていた飛鷹くんが勢いよく頭を下げてきた。
「す、すんませんでした! 俺の練習に時間割いて付き合ってくれてる井端さんに、あ、あの……」
恥ずかしい、と言わんばかりに必死に頭を下げてくる彼に「いいって、気にしてないよ」と返事をして立ちあがる。尻についた土を一通り払うと、なおも申し訳なさそうな顔をしている飛鷹くんの両肩に手を置いて再び廃材の上に座らせた。
「あの、」とまた謝罪でもしようとしたのか口を開きかけた飛鷹くんを制し、「むしろね」と笑う。
「勘違いしてくれなかったら僕が困ったよ」
「…………は?」
ぽかん、という表現がぴったりな顔を見せてくれた飛鷹くんに、にぃっと唇を釣り上げとびきり意地悪そうに見えるだろう顔を向けた。
「僕の言うこと素直に聞かない悪い子には……お仕置きが必要でしょ?」
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