▼ いけすかない奴!
「あ」
「げ」
それは本当に偶然だった。
チュウさんの誘いで久しぶりに少し遠くのフットサル場に行ってみたら、なんとなく覚えのある髪色をした人がいた。風に揺れる、ほんのりと青みのあるセミロングの銀髪。
この世界はやたらと派手な頭の人が多いけど、この色合いは僕の知り合いにも一人しかいないほど貴重なものだ。物珍しさも手伝って少し離れた距離からフェンスにもたれかかっている彼(もしかしたら彼女かもしれない)を見ていると、視線に気づいたようにその人が振り返った。
風に巻き上がる銀髪、整った顔を覆う浅黒い肌、不機嫌そうな独眼、釣り上った眉。……どこからどう見てもその人は僕の知り合いに間違いなく、そして知り合い以外のカテゴリには一生入らなさそうな人だった。
しかし知り合いならば尚更、目が合ったからには一言挨拶をするのが社会生活を送るうえでの常識だろう。例え相手があからさまに嫌そうに顔を顰めたとしても、僕が笑顔で近づく事におかしな所はない。
「やあ、久しぶり」
「なんでおまえがこんな所にいんだよ」
僕の挨拶は実に小気味よく流され、泡のように空中に溶けて消えてしまう。
……コイツ絶対友達いないタイプだな。
毒づく心中を貼り付けた笑顔で覆い隠すと、それはそれは美しい女顔から舌打ちが飛び出してきた。
「さっさと答えろ」
「……知り合いに呼ばれたからだよ」
溜息混じりに答えると、彼のオレンジ色の目がすっと細まった。警戒するように辺りを窺いながら、僕への視線が強さを増す。
「知り合いって、円堂たちのことか?」
「違うけど。どうして?」
「そうか。ならいい、失せな」
………………。
うん、いや、何も言うまい。僕の方が彼よりも大人なのだ、ここは堪えろ。早くチュウさんに合流して、予定通りフットサルに興じた方がここにいるよりも遙かに有意義な時間となるはずだ。そうと決まれば、こんな奴とはおさらば……
なーんて、そんなこと思うはずがない。
腕を組んで、またさっきのような体勢に戻った彼(言うまでもないだろうが僕の存在はガン無視だ)の腕を無遠慮に掴んでさっさと踵を返す。チュウさんには後でお詫びのメールでも入れておけばいいだろう。
「は、オイ?!」
「きみ暇そうだしちょっと僕に付き合ってよ。ちなみに答えは聞いてないのでノーセンキューでお願いしまーす」
「はあ?! お前なに言ってんだふざけんなっ、腕離せ優男!!」
優男。
元の世界ではわりあい頻繁に聞いた言葉をセレクトするなんて、やっぱり彼は僕と相容れない何かを持っているらしい。
「あはは、それ久しぶりに聞いたなあ……ピーチクパーチク囀りやがっていい加減大人しくしとけよ眼帯小僧、埋めるぞ」
にこにこ笑顔で言い切ると、綺麗な顔が音を立てそうなほど見事に固まった。やっぱりこういうセリフは咄嗟の時には有効らしい。うん、実に勉強になることばかりだ。
やり口はどうあれ大人しくなった彼をそのままずるずる引きずっていると、暫くして呆れたような顔で「……お前、それが地か」と言われたけどそこはきっちり否定しておいた。失敬だな、僕はわりとイイ子なのだ。
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「で、結局コレなんだな」
馬鹿じゃねーの、と目で言いながら彼はボールを蹴る。その返し方は粗暴でただ何気なく蹴っただけのようにも見えるが、僕の足元にすっぽりと納まる辺り彼のレベルの高さが窺える。もっと荒削りなものをイメージしていただけに、ボールと一緒に飛んできたセリフにも唇が曲がった。
「うるさいなあ。きみってホントに文句ばっかりだよね」
「お前は意外とふてぶてしいな」
「きみには負けると思うけど」
軽く睨まれたけど気にしないでボールを蹴り返す。
白黒のサッカーボールではなく、それより一回りか二回りほど小さいフッサル用のボールだ。サッカーボールと比べて小さいうえにバウンドもそれほどしない、わりと厄介なボールなのだけど彼はやけに手慣れたように扱っている。
「もしかしてフットサルやったことあるの?」
「時々部活帰りに源田達と行くんだよ」
「ああ、大型犬か……」
「は? 大型犬?」
「ああ、いや気にしないで。こっちの話だから」
笑って首を振ったが、なおも彼は訝しそうに眉を寄せる。そしてしばらく考えていたかと思うと胡乱気な眼差しで僕を見た。
「お前さ、オレ達の名前ちゃんとわかってるのか?」
「え?」
「だから、名前だよ」
呆れたように彼は溜息を吐く。それにちょっとだけムッとしつつ、「じゃあきみは僕の名前わかるの?」と聞きかえすとさらに溜息を吐かれた。
「井端邦晶だろ。あとは、雷門中の主なメンバーぐらいだったらわかるな」
「……ほんとに?」
「こんなしょうもないことで嘘言ってどうすんだよ」
「あはは、そうだよねー」と同意しながら、じんわりと冷や汗が滲み出る。やばい、どうしよう。
……正直に言って、彼の予想通り僕は鬼道と源田くん以外の帝国メンバーの名前を覚えていない。それはもちろん、目の前の彼だって例外ではなかった。ド忘れとかではなく本当に覚えていない、というかそもそも知らないのだ。
「それで? おまえの番だが」
彼がボールを蹴りながらひどく意地の悪い顔で笑う。その顔は僕の答えなどわかりきっている、という風で正直に告げたらどんなリアクションが返ってくるのかすぐに想像はついた。しかし僕に他の選択肢は残されていない。
「……名前、教えて下さい。オネガイシマス」
しぶしぶ頭を下げると彼は弾けるように笑いだした。
「信じらんねー! おまえってホント面の皮が厚いやつだな! 名前も知らない相手によくそんだけ振舞えるわ!」
腹を抱えながら苦しそうに涙まで浮かべて思いっきり人を小馬鹿にしてくれる彼に僕の頬がひくりと引き攣った。
「きみも相当だと思うよ」と言いながら、やつあたりを込めて強くボールを蹴る。しかし彼はなおも笑いながらそれをかるく受け止めた。こういう奴こそいけすかない、って言うんじゃないかな染岡くん……。
「っていうか、自己紹介してもらった記憶がないんだけど」
「オレだってお前にしてもらってねーよ」
「じゃあなんで知ってるのさ」
「情報収集は基本だろ?」
片方の口の端を上げてシニカルに笑った彼に「ふぅん」とだけ相槌を返す。弱小の雷門相手に? とは聞かずにおいた。訊ねたところで、どうせ彼は答えはしない。
すっかり笑いを引っ込めた彼はステップを踏むようにしてボールを強く蹴る。軌道は明らかに足元ではなく僕の顔面だ。慌ててジャンプして胸でトラップすると彼を睨む。
「オレは佐久間次郎っていうんだよ、優男クン。トクベツに自己紹介してやったんだから、よーく覚えとけよ?」
艶っぽく微笑んだ佐久間は口さえ開かなければただの美形なのに。まったく残念な人だなあ、と思いながら肩を竦めてニッコリ笑い返す。
「案外渋い名前なんだねえ。もっとキラキラしたものかと思ってたよ、それこそそのお綺麗な容姿にピッタリの」
「は、言ってろ甘ちゃんが」
僕の皮肉にも佐久間はかるく笑うとジーンズから携帯を取り出し、なにか操作を始める。しかしほんの数秒も経つと用が済んだのか、無造作にジーンズのポケットに携帯を突っ込んでいきなり背中を向けた。
「もう行くの?」
驚いて聞いかけると、佐久間は嫌そうな顔を貼り付けながらも振り向く。こういう所がある辺り、彼は結構律儀な人間なんだろう。
「おまえが勝手に連れてきたんだろうが。オレは人待ちだったんだよ」
「へーそうだったんだ、ごめんごめん」
「謝る気がないなら言うんじゃねえよ、一々ムカつく奴だな」
チッと佐久間は舌打ちをする。
……ホントに残念な美形だ。どう育てば一体ここまでガラが悪くなるんだろうか。不思議に思いながらも一応の礼儀として、「それじゃあね、付き合ってくれてありがとう」と声をかけると、既に歩きだしていた佐久間はピタリと足を止めた。
そして肩越しに振り返ると皮肉っぽく笑う。彼の銀色の髪が風に揺れながら日の光を煌々と弾いた。
「そういえば言い忘れたが、オレは借りを二倍で返す人間なんだ。次に機会があったら今度は本気で潰しにいくから、その時はよろしく」
獰猛な獣のような、それでいて美しい微笑みを残すと彼は僕の返事も待たずに歩き出す。華奢な背中を見送りながら、僕の口元にじんわりと笑みがのぼった。ふふ、と笑い声が漏れる。
「楽しみにしてるよ、佐久間クン」
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匿名様へニ万打御礼。
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