▼ チョコレート色の
「えっと……コレ、僕にくれるの?」
ありがとう、という短い言葉をなんとか口にしてにこりと笑うと、元から赤かった女の子の頬がまたさらに赤くなってしまった。
なんだか熟れたリンゴみたいだ、とふと思う。
「あの、その、甘いものが……お嫌いでなければ……!」
「ああ、もちろん嫌いじゃないよ。大事にいただくね」
名前もクラスも学年も知らない女の子は、僕のたったそれだけの言葉にふんわりととろけるような微笑みを浮かべた。そして心底嬉しそうな笑顔で頭を下げると、少し離れた所で見守っていた友達の所へと帰って行く。
僕の手元には、綺麗にラッピングされた箱だけが残った。
真っ赤な頬や一心に見つめてくれる熱の籠った目なんかを、嫌いだとか鬱陶しいだとかそんな風に突き放せる人間がいたらお目にかかってみたいものだ。
けれども。
手元の箱を抱えて教室に戻る道のりの間にも冷やかしの言葉や好奇の視線やらを集めながら、溜息にもならない吐息を小さく吐きだす。ホームルーム前の微妙な空き時間のせいか、廊下はいつもより人が多い。いや、人が多いのはそのせいだけじゃないのかもしない。
全ての原因はこの小奇麗な箱と女子の放つ甘い匂いだ。そんな気がして、僕は今度こそ溜息を吐いた。
教室の扉を無造作に開けると、それだけでクラス中の人間が一斉に僕を振り返った。
ぎょっとしてクラスに入るのを躊躇っていると視線はすぐに外される。けれど、クラスメイトのほとんどが(特に男子だ)似たり寄ったりな表情を浮かべていたのが気になった。
不思議に思いながら自分の席につこうとすると、その前に一郎太くんに呼びとめられる。一郎太くんはわざわざ僕を引き留めたわりに、物凄く不機嫌そうな顔をしていた。
「あの、どうかした?」
「……預かりもの」
え、と聞き返す暇もなく普段はゴミを入れるのに使っている大きな袋を押しつけるように手渡された。透明なビニール袋からは綺麗にラッピングの施された色とりどりの箱達がひしめきあっているのが見える。ちょうど、僕がいま抱えている箱と同じようなものだ。
ひくり、と頬が引きつるのを感じた。
「あの、これはもしかして……」
「ああそうだ、全部お前宛てのチョコだよ! なんで邦晶の代わりに俺が呼び出されなきゃならないんだか」
憤慨そうにそう言うと、一郎太くんは僕を睨みつけてふんと顔をそむけてしまった。
……どうやら、相当怒らせてしまったらしい。
無造作にゴミ袋に突っ込まれている所にも一郎太くんの怒りをひしひしと感じる。とにかく、これ以上藪を突いてヘビを出すような真似はごめんだ。
ありがとう、と小さく伝えてそそくさと自分の席へと退散した。
そう、今日はバレンタインデー。小綺麗な箱の中身と女子たちの放つ甘い匂いの正体はチョコレートだった。
バレンタインデーというイベントに関して、僕が思っていることを一言で表すのなら「厄介」という単語に全て凝縮できるだろう。
バレンタインデーという、男子にとってはある意味自身のステータスが問われるイベントで直接評価に繋がる「チョコレート」を貰えることは喜ばしいことだ。女の子たちが丹精込めて作ったもの、選んだものを貰えるのだから素直に嬉しい。
それでも、「厄介」だという気持ちに嘘はない。もっと極端に言うなら、「めんどくさい」のだ。
前ほどのときめきも嬉しさもないのは気のせいではないのだろう。こう言っては悪いのかもしれないが、僕からすれば未だ中学生の彼女たちは良くも悪くも子供にしか見えない。
先程のリンゴのように火照った少女も、まだ恋に恋をするような年齢だった。僕は自分をそれほど人の機微に敏い人間だとは思っていないけど、それでも彼女の憧れの眼差しに僕への「恋心」を感じることが出来なかったのもまた一つの真実だと思う。
一郎太くんに押し付けられたこのビニールの袋の中にも、僕への「恋心」とやらがどれだけ潜んでいるのか甚だ疑問だ。また「恋心」があったとしても、その気持ちに応える気は端からないのだから、大量の義理チョコを貰っているのと同じなのだ。
手元に残るのは、消費に困る大量のチョコレートの山だけ。
ビニール袋の中身の有り様に見かねたらしい女生徒から貰った紙袋へと、淡々と箱を移す作業をしながら去年のことをふっと思い出していた。去年も似たようなことを考えていて、それをぽろっと半田に零した時のことである。
「そんなのどうでもいいじゃねぇか! 俺なんかお情けでもらったアポロ一粒だぞ!! 義理だろうとなんだろうと俺はまともなチョコが欲しい!!!」と半田はのたまっていた。オプションとして、涙目+青筋だろうか。やけに必死な形相だった。
そこで僕が大量のチョコレート消費に協力させたら僕の言ったことを半分以上理解してくれたので、持つべきものはやはり友人である。
それでもぐちぐち「でもやっぱチョコは欲しい……! こんな大量にはいらねーけど」等と言っていたので今年も彼の胃袋には大量のチョコレートが納まってくれるだろう。
今年は去年よりも数が多いので、頼もしいことだ。
さて、どうやって半田を呼び出そうかな。等と考えていた僕の上にふっと影が落ちた。顔を上げると、呆れ顔の豪炎寺が立っている。
「おまえ、それ全部チョコレートか?」
「せんべいとかの変わり種がなければね」
「……それは多過ぎだろう、いくらなんでも」
「そういう豪炎寺だってかなりもらってると思うけど」
今しがた教室に戻ってきたらしい豪炎寺は箱を数個抱えていたが、彼の机の上にはその何倍かの箱が乗っている。それを手で示して教えてあげると、豪炎寺はさっと顔色を変えた。
「いつの間にこんなに……」
「豪炎寺が呼び出されてる間だと思うよ。よかったね、これで僕ら同じ穴の狢だ」
にっこり微笑むと、豪炎寺の顔にじわりと汗が滲んだ。きっと僕らに集中している殺気立った視線を感じているのだろう。
去年の僕がそうだったように豪炎寺は居心地悪そうにしばらくもぞもぞしていたが、やがて諦めたのか溜息を吐いた。人間、潔いことこそ美徳である。
僕が移し替えの作業を再開させると、豪炎寺が思い出したように僕を呼んだ。
「なに?」
「さっきそこで染岡と会ったんだが、その時にコレを渡してほしいと」
豪炎寺が制服のポケットから小さく折りたたまれた紙の切れ端を取り出したので、不思議に思いながらも受け取る。
「俺にも見てほしいそうだ」
「ふぅん……」
なんでわざわざ僕と豪炎寺? と思いながら紙切れを開くと、そこにはただ一言『りあじゅうばくはつしろ、そしてしね』と恐ろしく汚い字で書かれていた。それも下の方にわざわざ連名で、「染岡、松野、目金、半田、影野、円堂」とご丁寧に書かれている。
……あいつらはバカか?
「これ絶対円堂意味わかってないで書いてるんだろうなあ……」
円堂の席を見たがやはり空席だった。普段ならホームルーム終了と同時に教室を飛び出せるよう待ち構えているのだが、染岡くんにでも掴まっているのかもしれない。災難な奴だ。
「……井端、少し出てくる。ホームルームには出られないかもしれないが、担任の先生には気にしないでくれとだけ伝えておいてくれ」
「ん、わかった」
ひらひらと手を振って殺気漲る背中が教室を出ていくのを見送る。今日は部活のないオフの日だけど、染岡くんたちは練習以上に過酷な目に合うだろう。ファイアトルネードに追いかけ回される図を想像して、吹き出しそうになるのをなんとか堪えた。