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▼ 太陽の亡骸


「それで、本題はサッカー部の件でしょ?」


 そう切り出すと、携帯の向こうから一瞬息を呑むような音がした。


「……なんでわかるんだよ」
「半田が駆け引きに向いてないだけさ」


 向こう側にも聞こえるようにくすくすと笑い声をあげると、携帯からは溜息が返ってきた。


「だいたい、僕ら同じクラスでもないのにわざわざ電話で宿題について聞いてくる方が違和感あるしね。しかも相手が半田だし」
「どういう意味だっての」
「普段から課題は真面目にこなした方がいいんじゃないかなあっていう僕からの忠告」


 思い当たる節があるのか、半田はぐっと言葉に詰まった様子で黙り込んだ。
 今ごろ浮かべているのだろう、半田の苦い顔が簡単に想像出来て自然と笑みが浮かんでくる。それでもなんとか声だけは噛み殺したのに、半田にはそれすらお見通しのようだった。


「笑うなっつの」
「僕は笑ってなんかないよ」
「嘘だね、この優等生坊ちゃんが」
「中途半田くんには言われたくないかな」
「おまっ、中途半田って言うな!」


 スピーカーからの罵声に今度は隠さず笑い声を上げると「やっぱ笑ってんじゃねーか!」とさらに怒声が飛んできた。

 だから半田はからかわれやすいんだろう。突けばすぐに返ってくる反応はマックスの言う通り確かに面白い。


「はいはいごめんって。話題逸れてるけどいいの?」
「お前のせいだろうが!」


 そのうちムキーッ! とでも言いだしそうな半田を懲りずにけらけら笑っていると疲れたように溜息を吐かれた。人の溜息を聞くのは今日で何度目だろう?


「そんで、どうすんだよサッカー部」


 憮然とした声音でようやく切り出された話題に、僕は少し沈黙を返した。


「うん、迷ってる」


 僕の予想に反して、へえ、とたったそれだけの平坦な声音が返ってきた。


「……驚かないんだ?」
「驚くと思ったのかよ」
「むしろ、いまさら図々しいとかって文句言われると思ってた」


 恐る恐る付け足すと、機械を通した半田の笑い声が柔らかく耳朶を打った。


「みくびんな。そりゃ、前のお前になら言っただろうけど、今のお前は違うだろ」
「え?」


 今の僕?

 今だろうが昔だろうが、僕はなにも変わっていない。相変わらず心の中は不安でいっぱいだし、臆病なままだ。半田は何を言っているんだろう。

 眉を寄せると、少し高い半田の声が優しく教えてくれた。


「帝国の時によくわかったよ。お前はサッカーが好きで好きで好きでたまらないんだろ。サッカーがしたい、サッカーがしたくてたまらないって顔してた。いつもは澄ました顔して笑ってるだけのお前が、闘気を剥き出しにして食らいついてるのなんか初めて見たぜ。ああ、やっぱりユニフォームを渡してよかったんだ、俺の選択は間違ってないって思った。あの時のお前は正真正銘のサッカー馬鹿だったよ」


「……円堂ほどじゃない」


 そう言うのが、やっとだった。
 半田の言葉がじわりと広がっていくたびに顔が熱を帯びていって、今はひどく熱い。こんな顔半田になんか見られたら、なにを言われるかわかったもんじゃない。電話越しの会話に初めて有り難味さえ感じられた。


「俺は同じくらい馬鹿だと思うけど。ま、でも一つだけ言わせてもらうなら、同じ過ちは犯すなとだけ」
「……過ちって、」


 咄嗟に脳裏に過ぎったのは半田との喧嘩のことだった。半田があの時僕を責めてくれなかったら、僕はきっと帝国の試合を見に行くこともなかった。

 それを考えると、いまさらぞっとしてくる。


「あ、この間井端に言ったことじゃないからな! あの時は俺も混乱してたし、ちょっと言い過ぎた。タイミングなくて言えなかったけど、悪かったな」
「ううん、謝る必要なんてない。半田が言ってくれなきゃ、僕はいまもなにも気づけなかった。そっちの方がよっぽど恐ろしいよ」


 半田との喧嘩も帝国の試合も、僕に大事なことを幾つも教えてくれた。気づけたことが「変わる」ことなら、確かに半田の言う通り僕は何かが変わったのかもしれない。


「……そっか」

「うん、ありがとう。それと、ごめんね。僕、本当に半田には感謝して」「っあーー!!! いいよ別に! もうこの話は終わりな!! お・わ・り!!!」


 いきなり叫ばれて思わず携帯を耳から遠ざけると、なにかぶつぶつ言っている半田の声が聞こえてきた。怒ってるん、だろうか。
 恐る恐る携帯を耳に近付けて呼びかけると、一瞬の間の後に矢継ぎ早に言葉が飛んできた。


「とにかく、だ! 俺が言いたいのはもう我慢するなってことだよ! お前サッカーがやりたいんだろ? だったら何も我慢することないじゃないか。好きなものを好きだと言って、したいことを堂々とすればいい。こんなこと、皆当たり前にやってることだ」
「…………」


 サッカーが好きだ。サッカーがしたい。

 それでも、胸に燻る不安はどうしようも出来なくて、言葉が口から零れることはなかった。ただ黙りこくる僕に、半田は必死に言葉をくれる。


「お前が何かを抱えてるのは話してくれなくても知ってるつもりでいるけど、これ以上我慢する必要って本当にあるのかよ。帝国の時のお前は嬉しそうで、楽しそうで、もっとサッカーがしたいって叫んでた。その熱を、お前はまた殺すのかよ」


 ……そんなの、殺せる訳がない。

 どれだけ無視をしようとしても、抑えようとしても、代わりを見つけようとしても、全部ダメだったのだ。そんなものじゃ意味がない。自分自身がよく知っている。


 「サッカー」だけが、僕の本当で唯一だ。


「なあ、井端。今度は俺とサッカーやろう」
「え?」
「一週間後、また練習試合が決まったんだ。帝国の時はお前一人だったけどさ、今度は俺と一緒にボールを蹴るんだ」


 半田と一緒、次の試合、サッカー。


 考えた途端、頭に一撃食らったような衝撃が走って目の前がぐらりと揺れた。ドクドクドク、と物凄い速さで心臓が動き出す。

 次の試合に出れる。まだサッカーが出来る。それも、半田と一緒に。


「で、たい」


 気がつくとそんな言葉を口にしていて、潤したはずの喉は全身の緊張のせいでからからに乾いていた。


「井端?」
「半田、僕はサッカーが好きだ。サッカーがしたい、本当はもうずっと焦がれてた。世界とか関係ないんだ、ここがどこだろうと、どれだけ違うサッカーだろうと、やりたくて仕方ない。嘘じゃない、これだけは僕の真実だ」


 血液が身体を駆け巡る音しか聞こえなかった。自分が喋っているはずの声さえ遠くて、いつもなら慎重に選ぶ言葉も感じるまま思うままに吐き出す。心も頭も、全ての神経が興奮に焼き切れそうで、そのくせ思いを吐きだすたびに頭の中が空になって気持ちが楽になっていく。


「……じゃあ、サッカーやるんだな?」


 イエスと答えてしまったら、僕はどうなるんだろう。

 何度も考えた答えの出ない疑問がふっと浮かんだが、僕はもうそれを手に取ろうとはしなかった。サッカーがしたい、好きだ。これ以上ないほど単純な想いが衝動となって胸に込み上げ、僕を突き動かす。


「ああ、半田と一緒に」


 笑って答えると、半田はしばし沈黙した。その間、身動きも呼吸もしていないかのように携帯のスピーカーは半田の気配を拾わない。そのほんの僅かな闇の中に、僕はそっと自分の感情の一部を埋めた。


「なに、もしかして照れてるの?」
「……そんなんじゃない」


 ふぅん、とだけ相槌を打って笑うと、半田は不機嫌そうな声を僅かに緩めた。


「お前ってホント、恥ずかしい奴」
「半田が言ったんだろ」
「言ってない」
「俺はお前とサッカーがしたいんだ! だって俺、お前がいないと……っ、井端! 俺にはお前が必要なんだ! とかなんとか」
「やめろ気色悪い! そこまで言ってねーよ! 鳥肌立っただろ!」



 うん、これがいつものやり取りだ。

 慣れ親しんだ空気がようやく戻ってきてくれたことが嬉しくて、堪え切れずに笑みを零すと半田も同じように笑いだした。




 電話を切る間際、半田が付け足すように呟いた。


「次の試合、絶対勝とうな」


 それだけ言い残して半田は通話を切ってしまった。
 ブツッ、と途切れた携帯を耳に当てたまま瞳を瞬いていると、じわじわと感情がこみあげてくる。

 まったく、言い逃げだなんて卑怯だ。


「当たり前だろ、半田」



 次の日、僕は冬海先生に入部届けを提出した。





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