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▼ あいにく六十億分の一



「邦晶、サッカー部行くだろ?」


 はっとして顔を上げると、大きめのスポーツバックを肩に下げた一郎太くんがきょとんとした顔で僕の机の前に立っていた。


「どうかしたのか? 珍しくぼーっとして」
「ああ……、昨日の試合の疲れが残ってるみたいでさ」


 ごまかすように笑うと、一郎太くんは納得したように頷いた。


「確かにあれはキツかったよな。でもま、過程はどうあれ結果的に勝ててよかったよ。ちょっと恰好は悪いけど、これで廃部は免れたわけだし」


 一郎太くんの言うように、確かに雷門は勝利した。

 けれど、帝国との試合の幕切れは一方的で唐突なものだった。

 円堂からボールを受け取った豪炎寺がファイアートルネードという炎を纏った必殺技をくりだし、点をもぎ取るまではよかった。不可解なのは、それでも俄然有利だった帝国がその場で試合を放棄したことだ。
 そもそも何故ウチのような弱小校に練習試合を申し込んできたのか。帝国の目的を探る所か、謎は余計に深まった気がしてならない。


 それに、あの鬼道という少年。試合が終わってからも声をかける機会はなかったが、彼のことも気になる。


「おい、井端?」
「え?」
「え? じゃないだろ。ぼーっとして、大丈夫か?」
「あ……うん。そういえば、円堂は?」


 彼らは常に行動を共にしている訳ではないけど、それでも一郎太くんが一人でいるのにはなんとなく違和感がある。円堂を探してがやがや賑わう教室に視線を滑らせていると、一郎太くんは苦笑してドアを示した。


「あいつなら一番乗りで出て行ったよ」
「ああ、なるほど」


 円堂らしい、と一郎太くんと同じように苦笑を浮かべながら机の上に積んでいた教科書をカバンに詰め込む。それなりに膨らんだカバンを持ち上げると、一郎太くんが首をかしげた。


「ずいぶん身軽なんだな。それでタオルとかスパイク入るのか?」


 普通の指定カバンの僕と一郎太くんのスポーツバックでは比較するまでもなく、大きさも膨らみ方もまるで違う。本当なら一郎太くんのようにスポーツバックの方がなにかと便利なのだが、今日は少し違った。

 入れてないよ、と素直に言うと一郎太くんがきょとんと目を瞬かせる。


「なんで入れてないんだよ? サッカー部には必須だろ」
「ん、それはわかってる」


 笑いながら頷くと、一郎太くんがますます訳のわからなそうな顔をした。

 どうにも怪訝そうな顔の一郎太くんの背中を軽く押すと教室を出る。円堂を待たせるのは悪いからね、と笑いかけると放課後の喧騒で賑わう廊下の中でもよく響く声が一際大声を出した。


「わかってるんなら、わざと忘れたのか?」
「あはは、わざとって酷いなあ。最初から僕が持ってないとかは思わないの?」
「タオルもドリンクも持ってないって?」
「そうかもよ?」


 階段に足をかけながらくすくすと笑い声をあげると、一郎太くんはさらに憮然とした声を出した。


「勿体ぶってないで、さっさと教えろよ邦晶」
「んー、勿体ぶってるというより……、」


 弱ったなあ、と声には出さずに呟くとまだ半分以上残っていた階段から軽い気持ちで飛んだ。すぐにやってきた僅かな落下の感覚のあと、しっかりと両足で踊り場の床を踏みしめる。
 上履きと床が擦れてきゅっと音が鳴った。

 放課後と言っても、まだホームルームが終わったばかりの時間帯だ。階段の交通量は比較的多く、ぎょっとした顔で僕を見る周囲の生徒たちにへらりと愛想笑いを送る。それだけで僕に注がれる視線はいくらか量を減らした。

 さて、と階段を見上げると取り残された形の一郎太くんは階段の上からぽかんとした顔で僕を見下ろしている。


「このままうやむやにはしたくないんだ。その為に少しだけ時間が欲しくてさ。明日には答えを伝えるから、今日は待ってて欲しいって円堂に伝えておいてよ」


 笑って言うと、一郎太くんは片方の眉を持ち上げてなんとも言えない顔をした。少しの沈黙の後でやがて溜息を吐きだすと、円堂は、と何かを言いかけて一郎太くんは口を噤む。


「どうかした?」


 首を傾げると、一郎太くんはまた溜息を吐いた。

 僕らはそのまま無言になってもその場から動こうとしなかった。明らかに通行の流れを遮っている僕らを邪魔そうに見ながらも、周囲の人間も誰も立ち止まったりしない。誰もが自分たちの時間の中であくせく動くだけだ。

 それらがふいに途切れる切れ目を狙ったように、一郎太くんが素早く飛び込んできた。ダンッ、と大きな音を立てての着地に僕がヘタな口笛を吹いて囃し立てる。


「さすが」
「それはどうも」


 お互いに軽口を叩きながら玄関まで向かうと、サッカー部の部室に向かう一郎太くんが去り際に言葉を投げつけてきた。


「円堂も俺も、またお前とサッカーやりたいぜ」


 返事はせず、僕はただ口元に曖昧な笑みを刻んだ。




****

 カバンから教科書を取り出して一通り整理すると、明日の課題を片付けてしまおうとプリントを広げる。簡単な英語の文章と、それに対する五つの問題が載っていた。

 元から英語は得意という程でもなかったが、これでも私立の比較的偏差値の高い高校に通っていたのだ。いまさら中学生レベルの問題に手こずる筈がなく、シャーペンの先は淀みなくアルファベットを描いていく。

 最後の問題の答えまで止まることなく書き込んでいると、あと少しという所でシャーペンの芯が折れた。力を込め過ぎたのだろう。

 そのままカチカチとシャーペンのノックを叩いたが、中々芯が出てこない。結局僕は途中で折れた短い芯の隣にそっとそのシャーペンを寝かせてあげることにした。


 ふと気がつくと、壁の時計はいつの間にか夕暮れ時を指していた。
 薄いカーテンを引いた窓からは橙色の光が射しこんでいて、部屋全体に淡い色をつけている。


 その光景を、僕は少しも綺麗だとは思わない。


「……ちょっと休憩にしようかな」


 なにか飲もうと自室を出てキッチンに向かう。
 廊下を過ぎ、広々としたリビングを横切ると目当ての冷蔵庫までまっしぐらに進んだ。

 開けてみると相変わらず冷蔵庫の中身はスカスカで、最低限の調味料とスーパーのお惣菜、日持ちするレトルト食品、それから飲み物ぐらいしか入っていなかった。そこからお茶のパックを選んで取り出すと、コップに注ぐことなく口づける。

 行儀が悪いことは自覚済みだったが、叱ってくれるような人間はここにはいない。ただただ、がらんどうな空間だけがそこにある。

 一通り喉を潤すと、元通り冷蔵庫に戻した。戸棚を漁ってポテトチップスの袋を取り出すとそれを持ってまた部屋に戻る。

 リビングよりも自分の部屋の方がまだ気が楽だった。居心地とかそういうものではなく、単にリビングよりも自分の部屋の方が狭いという、そういう理由で。


 また勉強机の前まで戻ってくると、机の上に置いていた携帯電話が青色のランプを付けて点灯していた。
 電話があったらしい。履歴を辿ると半田真一と表示されていた。

 それだけで、半田の用事がなんなのか想像がついた。今日のこのタイミングということは、サッカー部についてだろう。


「サッカー、か」


 ……昨日の試合が終わってから今までずっと、僕は迷い続けていた。


 円堂や一郎太くんはこのまま僕がサッカー部に入ると考えているようだったけれど、昨日の帝国戦への参戦はサッカー部に入部したいという気持ちの現れからでは決してない。むしろ、そこまで考えられるような気持ちの余裕はなかった。

 それでも、サッカーがしたいという思いは本物だ。タッチラインを越えた時、ようやく自分が戻ってきたとさえ感じられた。
 この世界に来て初めて、心からそう思った。

 円堂や一郎太くん、マックス、それに半田。
 彼らの側は居心地がいい。何も考えないで、このまま流されてもいいのかもしれないと思えるほどには。

 けれど、そんな中途半端なことはしたくなかった。サッカーに向き合うと決めたなら、真剣な姿勢で立ち向かいたい。それが皆への礼儀だと思うし、なによりそうでなければ僕自身が耐えきれなくなる。


 サッカーや“神様”への不安、猜疑心、恨み。


 今だって自分の手でコントロールしきれないそれらは、僕がサッカーを始めることによってきっと一層膨らんでいく。


 ……僕は不安なのだ。


 絶え間なく、僕の心を蝕んでゆく黒いシミがいつか僕を覆い尽くし、壊してしまうのではないかと。ぼんやりとそんな未来が瞼に浮かぶたび、僕は怖くなる。


 「サッカー」が、怖くなる。


 ぎゅっと握りしめた携帯が軽快な音楽と共に震え出した。慌てて液晶を開くと、半田真一と表示されている。自分の唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた。


「……はい」
「お、やっと出たな」


 携帯のスピーカー越しだといつもの半田の声より少し高く聞こえて、知らない人と話しているような錯覚を覚える。
 さっきは出られなくてごめんね、と謝るといいよ別に、と笑い声が返ってきた。


「な、それよりさ。英語の宿題出てるだろ? それ終わってるか?」
「英語? うん、出てるよ。あと少しで終わる」
「お、さすが井端! 俺さあ、その三問目の問いの意味がわからなくて」
「え? ああ、そこは―……」


 半田に説明しながら、プリントの最後の空欄を新しいシャーペンで埋めていく。折れた芯と仲良く寝そべるシャーペンは物言わぬまま僕を見上げていた。 

 少しして、半田が納得したような声を上げた時には空欄を埋め終えていた。凡ミスさえしていなければ文法も単語も問題ないだろう。


「ああなんだ、やっぱり意味取り違えてたのか! サンキューな、井端!」
「いえいえ」


 僕も昔同じところで引っかかったことがある。懐かしいな、と思い返しながら白々しい半田の声に僅かに苦笑を零した。


「それで、本題はサッカー部の件でしょ?」





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