▼ 一陣の風
真っ正面から女の子みたいな……もう眼帯少年でいいや。から睨まれ続けていて、気を抜くと溜息を吐きそうになる。彼は僕がセンターラインに置かれたボールの前に並んだ時からずっとこの調子だ。
折角可愛らしい顔をしているんだから、もっと笑うなり愛想をよくすることを僕としてはお勧めしたいんだけど。
……そう、せめて今だけでもいいからそう振舞っていてほしい。
それでなくとも、隣の染岡くんからも睨まれていて居心地が悪いのだから。
「さあ、雷門は目金に代わり新たな10番に豪炎寺が、半田に代わり6番に井端が登場です!」
実況の声が大きく響くと、審判が構えた。ようやく始まるらしい。
「お前なんか、どうせ鬼道を落胆させるだけだ」
ぼそりと聞こえてきた声に目を向けると、眼帯少年は忌々しそうに顔を歪めていた。鬼道になにか言われたのだろうか。
「さてね。お楽しみはこれからだよ」
どちらにしたって、いまの僕に鬼道も帝国も、すべて関係ない。
ただただ微笑むと、舌打ちが返ってきた。顔に合わない柄の悪さである。染岡くんにも引けを取らないんじゃないだろうか。
そんな事を考えていると、ピーッ、とホイッスルの音が鳴った。
さあ、試合の始まりだ。
染岡くんのタッチでボールを受け取ると、僕はそのまま走り出した。
流れていく景色の中で敵と味方のユニフォームを捉えたが、残念なことに僕の動きについてきてくれるような味方は一人もいない。意外なことに、10の背番号もどこにも見えなかった。
「はっ、そんなもんか、よッ!」
すぐに地面を抉るような激しいスライディングをかけられたが、空中でボールをキープしたままひょいと避ける。
怯ませるにはいいパフォーマンスだけど、やっぱり精度が低い。こんなの大したことないはずだけど、仕掛けてきた敵さんはひどく驚いたような顔をした。
……僕は舐められているのかなあ。
多少なりとその顔にはカチンときたが、気にせず駆けあがる。余計な感情は、身体に変な力が入る原因になりやすい。
トップスピードに乗る為さらに加速しようとすると、眼帯少年が僕の横に並んできた。お互いの肩と肩がぶつかりあうが、元の世界の高いレベルで揉まれてきた僕からしたら生ぬるいチャージでしかない。
いくら真面目にやっていても、少し華奢な体格の彼では正式なチャージでは意味がないだろう。ただでさえ、僕はボディーバランスには自信があるのだから彼にとってはなおさら相性が悪い。
「っ、」
再度チャージをかけられそうになったのでスピードをがくりと落とす。
そのまま右に抜こうとすると、眼帯少年は切り返しの早さで僕にくいついてきた。片方の瞳が鋭く僕とボールを見つめている。
「はっ、多少はやるようだが……!」
「申し訳ないけど、僕は試合中に私語をする性質じゃないんでね」
無理矢理右に抜けようと身体を倒すと、その動きを察して眼帯少年はすぐに反応した。どうやら、本当に反射神経はいいようだ。
ただ、今回はそれが仇になるけど。
「っ! くそっ!」
踏み出した左足を軸にボールをその後ろでターンさせ、左に蹴り出す。身体の動きを素早く切り替えて蹴り出したボールに追いつくと、そのままトップスピードに乗った。
途中で気付いたのか体勢を立て直そうとしてきた時には流石に驚いたけど、眼帯少年とはこれでおさらばだ。最後に聞こえた悔しげな声が僕の足をさらに軽くする。
ペナルティーエリアの手前、バイタルエリア付近になると流石に相手MFが纏めて食いついてくるようになった。
数人を一人で抜くのは難しいだろう。まだ無茶はしたくない。
ボールをキープしたまま視線を滑らせると、後方からマックスが上がってくるのが見えた。
「マックス!」
鋭く名前を呼んでボールを下げると、マックスが覚束ない足取りで、それでもきちんと受け取ってくれた。なんだか慌てた様子のマックスに不安になったが、マックスならわかってくれるだろう。
呆然としている相手MFの間をすり抜けると、一気に加速する。僕の後輩には及ばないが、これでも足には自信がある方なんだ。
「馬鹿が! DF奴を囲め、佐久間と辺見は9番からボールを奪え!」
「は、はい!」
鬼道だろうか、指示の声が飛んだがもう遅い。
「マックス!」
再度名前を呼ぶと、マックスが僕に向けてボールを蹴り上げたのが振り返らなくてもわかった。DFがボールを奪おうと走ってきてるけど、全然遅い。
僕の目には、ゴールと、そこに立ち塞がっているGKしか見えていない。両手を広げ、腰を落として僕のシュートを待ちわびているゴールの守護神。
ああ、なんて久しぶりの感覚なんだろう……。わくわくする、どきどきする!
自然と笑みが口の端に乗った。余計な感情なんていまは不要なのに、湧きあがる喜びがどうしても抑えきれなかった。
GKが僕の顔を見て目を見開くのが見えたけれど、僕の意識はもう飛んできたボールへと切り替わっている。
シュートコースを素早く選定すると、マックスのパスで加速した重いボールをファーサイドへと一直線に叩きこむ。GKと駆け引きをするような余裕はなかった。
「くっ、」
狙いを読まれていたのか、僕の蹴りをうけてさらに加速したボールへとGKが飛び出す。
グローブに触れるか触れないか。
そう見えた次の瞬間にはGKの指先で狙いが逸らされ、ボールはピッチの外へと消えていった。
「……あーあ」
「ああっ惜しいっ!!! 井端のシュートは僅かに狙いを反らされゴールの外へっ!! しかし素晴らしい活躍だああ!」
流石強豪校のGKとでも言えばいいのだろうか。
負け犬の遠吠えのような感想を覚えてしまって、溜息が出た。正直に言えば悔しいが、半年もまともなサッカーをやっていなかったのだから当然かもしれない。狙いも甘かった。反省点は色々とある。
しかしいつまでも此処にいても仕方がないのは確かだ。さっさと離れようと足を動かそうとすると、邪魔をするように後ろから肩を掴まれた。
当然、僕の後ろに味方がいるわけがない。不審に思いながら振り返ると、案の定相手GKが僕の肩を掴んで立っていた。
「……なに?」
僕のシュートを潰してくれた相手GK様はなにやら難しい顔をしていたけれど、すぐに上向きではない僕の機嫌に気付いてくれたらしい。
一瞬ひるんだ様なのに、それでもそのまま会話は続行される。
「すまない。その、名前を聞いてもいいか?」
……そういうの、普通は後にしない?
試合中になにを考えているんだと胡乱気な眼差しを送ると、相手GKがわたわたと慌て出した。
「あ、ああいや! 俺は源田幸次郎と言うんだ。お前の名前を聞いておきたくて、その、」
どこか窺うような眼差しが僕の頭の上から注がれてくる。
(気に喰わないことに)僕よりずっと体格のいい奴にそんな風にされるのは正直微妙だ。
今度こそ隠さずに溜息を吐くとびくりと震えられる。
……大型犬というフレーズがぽんと頭に浮かんで、さらに微妙な気分になった。
「あー、源田くん?」
「あ、ああ!」
ぱあっと源田くんが笑顔満面になる。たかだか名前を呼んだだけなのに、この反応はなんなんだろう。
犬だな、と失礼なことを思いながらいつものように微笑んだ。
「僕は井端邦晶ね。それと、試合中に私語はお勧めしないよ」
それじゃ、と言うだけ言ってペナルティエリアの外に向けてすたすた歩き出す。彼は中々いい犬……じゃなくて、いいGKだとは思うけど試合中の私語はどんな相手でも慎むべきだ。
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「すごいな邦晶!」
「うん、ホントにやるねぇ」
僕がMFのラインに戻ると、興奮した様子の一郎太くんとにやにや笑いのマックスがそう声をかけてきてくれた。近くの染岡くんも、鼻を鳴らすだけで文句を言われたり睨んだりはしてこないので今の単独プレイで彼らの心象は大分変わったらしい。
ちらりと離れた所にいる豪炎寺に目を向けると、意味あり気に笑われた。
……確信犯か。彼は僕に追いつけなかったのではなく、ついてこなかっただけらしい。多分、僕の見せ場を作ってくれる為だろうけど余計なお世話だ。
ふんと顔をそむけると、一郎太くんが首を傾げた。
「邦晶?」
「今は試合中。私語は厳禁」
「お、おう……」
きっぱりと言い切ると、笑みを引っ込めてすごすごと一郎太くんが引っ込んでいく。それにも構わずじっと相手側を睨んでいると、ひそひそ声が聞こえてきた。マックスと一郎太くんだろう。
「邦晶って、試合になると性格変わるんだねー」
「だな……」
…………。
昔からよく言われることだし、周囲もわかってくれていたのでつい同じ感覚で接してしまっていたけど。
はあ、と溜息を吐きだすと一郎太くんの気配が固くなったのがわかった。
「……ムカつくことに決められなかったけど、ありがとう。褒めてくれたのは素直に……あー、嬉しい、よ」
「うわっ、なにそれ邦晶照れてんの? いまさらツンデレとか流行んないからね?」
「マックス、黙れ」
ツンデレがどういう意味かは知らないけど、バカにされてることだけはよくわかった。
「……ははっ、うん。いや、本当に邦晶はすごいよ」
おかしそうに一郎太くんが笑いだすので、なんだかむず痒くなって。つい黙り込むと、今度はマックスが盛大に笑い転げた。
……彼は笑い上戸かなにかなの?
自然と口からは溜息が出たけど、案外嫌な気分じゃないんだから重症だ。
くすぐったい気分に微かに笑みを浮かべると、そんな和やかな空気をぶち壊すように染岡くんから怒声が飛んできた。
「おいッ! おまえらいい加減にしろ、試合はもう再開されてンだぞ!!」
染岡くんの声に慌てて視線を戻すと、源田くんが鬼道に向けてボールを蹴り上げたところだった。
慌てて大体の選手の位置を確認するが、帝国は完璧にポジショニングを取っている。デスゾーンを使う気なのは、すぐにわかった。
ああ、やってしまった!
いまさら後悔してももう遅い。
視界の端で豪炎寺が相手ゴールに向けて走り出すのが見えたが、帝国からボールを奪うこともしないでただフィールドを駆ける彼がいったいなにを考えているのか、僕にはわからない。
しかしいまさら走ったところで技の阻止なんか出来るわけもなく、あっさりとデスゾーンの発動を許してしまった。
三人がかりでボールを蹴るという、正直なんとも……流石ゲームの世界とでも言えばいいのか、ひどく効率の悪そうな技が黒い光を帯びてゴールへと向かっていく。
なす術なくボールの行方を見守るだけの雷門の選手の間に鋭く緊張が走った。僕の背にも、冷汗が流れる。脳裏に浮かんだのは、痛めつけられる円堂の姿だった。
けれどただ一人だけ。
ゴールの前で構える雷門の守護神は、相変わらず真っすぐに前を向いた目を光らせて構えていた。彼がボールに手を伸ばすのが、やけにゆっくりと見える。
「円、堂……」
どうせダメだろうと思っていた訳ではない。それでも、しっかりとボールを受け止めた円堂をすぐには信じられなかった。
ニッと嬉しそうに笑った円堂が、そのボールを一直線に豪炎寺に向けて放る。
一陣の風が、グラウンドを駆け抜けていった。