calling you(使用不可) | ナノ


▼ 白光


 チャンスは、いつだって突然やってくる。望んだ者に、望まれた者に、まるでなにかに導かれているように。




 豪炎寺が、投げ捨てられた10のユニフォームをゆっくりと拾う。
 どこか覚悟を決めたような強い光を放つその瞳に、思わず唾を飲み込んだ。鋭いまでの気迫を纏った彼は、もう僕の知る豪炎寺修也ではない。そこには、ただのサッカープレイヤーがいた。


「井端」


 短く名前を呼ばれて、唇が震える。なにも答えられずにただじっと豪炎寺を見つめると、彼は薄く笑ったように見えた。


「おまえは、行かないのか?」


 挑発的な声だ。豪炎寺の熱に浮かされたような瞳に触発されるように、僕の中でゆっくりと何かが溶け始める。自然と身体が震えた。

 恐怖からでは、ない。


「行くに決まってるだろ、……豪炎寺」


 僕が笑うと豪炎寺は鼻を鳴らした。その顔は、僕の勘違いじゃなければどこか嬉しそうなものだった。


「だろうな」


 豪炎寺が、10の背番号を背負って歩き出す。ピッチに向かっていく彼の背を追いかけると周囲がざわめきだすのを感じた。


「お、おいあいつって……!」
「彼はなんと……!」


 実況が興奮気味に叫びだすのがどこか遠くで聞こえた。豪炎寺につられて動いていた僕の足が、ピッチに入る寸前でふと止まる。

 長いタッチラインを踏みこえれば、その先がピッチだ。当たり前のようにあったあの芝生ではない。それでも、それでも僕が焦がれ続けた白線の内の世界。

 戻るのなら今なのだろう。


 けれど、僕はそれを踏み越えることを選んだのだ。


 途端に、心臓がすごい勢いで動き出した。どくどく、どくどく。それは痛いほどだったけれど決して苦痛ではなかった。涙が出そうになるほど、僕はこの時を待っていたのだ。


 全身全霊で僕はサッカーに恋焦がれているのだから。


 恐る恐るピッチに足を入れる。タッチラインを超えた瞬間、不思議なことにあれほど五月蠅かった心臓が元に戻った。なにも、聞こえない。ただ、ピッチを駆ける風だけを全身で感じた。

 それをなんと言えばいいのか、僕にはわからない。でも、きっと僕はその風を、その感覚を、一生忘れることが出来ないだろう。


 僕が豪炎寺たちに近づいていくと、不可思議そうな視線が幾つも突き刺さった。ピッチを横切る最中に倒れたままの半田とも目が合ったが、意外な事に彼はなにも言わなかった。ただ、静かな目で僕を見つめて、ゆっくりと瞬きをしていた。隣で倒れていたマックスなんかは、唖然とした顔で僕を見つめたあとすぐに意地悪そうな顔でにやりと笑ったけど。


「円堂」


 嬉しそうに豪炎寺と言葉を交わしていた円堂にそう声をかけると、彼だけじゃなく集まっていた帝国学園の選手たちや審判まで一斉に僕を振り返った。制服のままでピッチに入ってきたからだろうか、ぎょっとした顔を審判がする。


「きみまで一体なんだね!」


 眼鏡をかけた、輪の中で一番年長な男が神経質そうな声で叫んだ。

 ……確か、顧問の冬海先生だっただろうか。僕はいつも浮かべている笑みを咄嗟に貼り付けそうになって、結局止めた。豪炎寺の目が、僕をじっと見ている。


「僕にも、この試合の参加を認めてくれませんか」
「……井端?」


 ひどく驚いたように円堂が目を丸くした。


 都合のいいことを、無茶苦茶なことを言っている自覚はある。
 それでも僕は、どうしてもこの試合に参加したかった。


「きみたちと一緒に、サッカーがやりたいんだ」


 僕が円堂の直向きな目を見つめ返すと少しの沈黙のあとで円堂が笑った。ひどく嬉しそうな、楽しそうな子供っぽい全開の笑み。それは僕には少し眩しすぎる類の笑い方だった。


「もちろんだ! 一緒にサッカーしようぜ、井端!」


 円堂からの許可は下りた。

 少しだけほっとすると、冬海先生が物凄い形相で僕と円堂を見ていることに気付いた。なにか言いたいのだろうけど、言葉が出てこないのか口をぱくぱく開閉させている。場違いだろうけどそれが少し面白くて笑ってしまいそうになった。

 何も言わない冬海先生の代わりに、審判が困惑したような表情で僕を見る。


「きみへの帝国側の許可は下りていないが……」


 そう言われることはわかっていた。ちらりと、黙秘を貫いている帝国の方へと視線を飛ばす。帝国の中心、キャプテンマークを付けたドレッドヘアの少年が僕をじっと見つめていた。


「構いませんよ」
「鬼道?!」


 愕然とした様子で女の子のような容姿の選手が叫ぶ。他の選手も、雷門の側でさえ信じられないという顔で彼を見ていた。

 そうか、彼は鬼道というのか。
 どこかで聞いたことのあるような名前に、僕はそんな感想しか抱かなかった。そんなことより、先程から気になることがあったせいだ。

 彼の視線。

 何故なのだろう、鬼道の視線は他とは決定的に何かが違っていた。ゴーグルの裏で、彼は僕のどこを見ているのだろう。何を考えているのだろう。僅かに漏れる雰囲気からは、そんなことしか窺えない。


「我々は、構いません」


 再度繰り返すと、さらに困惑した様子の審判と呆然とする周囲を放って、彼はマントを翻して颯爽とポジションに戻っていった。

 彼が動いたからか、同じように帝国側の選手たちもぞろぞろと引き返していく。しかし、納得しているような顔は一つもなかった。それは当然だろうと僕だって思う。

 その際、女の子のような容姿の選手に嫌な感じに睨まれたが、僕は気にせず微笑みだけを返しておいた。ひくりと頬を引き攣らせて、彼が苛立たしげに舌打ちをする。

 雰囲気的にその場で絡まれるかとも思ったけど、審判の手前か特に言葉を交わすことはなかった。直観だけど、僕と彼は気が合わないと思う。

 不機嫌全開で戻っていく彼の背中を見ているとぽんと肩に手を置かれた。振り返ると、笑顔の円堂が立っている。


「よくわかんないけど、よかったな井端!」
「……うん、ごめんね」


 なんで謝るんだよ、と円堂はおかしそうに笑う。ちくりと胸が痛んだ。


「じゃあ、ありがとう」
「お礼言うのはこっちだろ? 井端、ありがとな!」


 素直な言葉に、僕の喉が変な風に詰まった。……どうしようか、少しだけ息苦しい。

 僕が誤魔化すように曖昧に笑うと、いつの間にか集まってきていた雷門の選手の一人……幾度か遠目で見たことのある染岡くんが露骨に胡散臭そうな顔で僕を見ていた。


「おい、円堂。なに勝手に参加決めてんだよ。足りないのは一人だったろ、こいつは余計だぞ」
「染岡、そんなこと言うなよ! 井端だってサッカーやりたいって言ってんだし、なにも問題ないだろ?」
「問題大有りだろ、バカ。そもそもこんな奴が戦力になんのかよ、なんかなよっちいし弱そうだしよ」
「なっ、」


 あまりの言い様に思わず絶句すると、マックスがぶはっと吹き出した。……コイツ。睨みつけると、わざとらしく口笛を吹きながら顔を反らされる。覚えてろよ、と心の中で呟くと、


「おい、染岡」


 久しぶりに聞いたような気がする半田の声に、僕の身体が勝手に跳ねた。わざと見ないようにしていたのに、怖いもの見たさとでも言うのか、僕の視線は勝手に半田の方に向けられる。

 そこにいた半田は、なんとも不思議な顔をしていた。静かで穏やかな、でも無表情という訳でもない。僕をじっと見つめる半田の目は、どこか豪炎寺の目に似ていた。

 ……怒っているかと、思ったのに。


「そういうことはさ、井端の実力見てから言えよな。外見はこんなんだけど、意外にやるかもしんねーじゃん」
「はあ? 半田までなに言ってんだよ」


 訝しそうな声を染岡くんがあげる。呼応するように、他の何人かの選手もうんうんと染岡くんの言葉に頷いた。
 僕は正直、そんな周りの反応なんてもうどうでもよくて、目にも耳にも入ってこない。呆然と、ただ半田のことを見続けた。


「っつーかよ、そもそもだれが交代するんだよ」


 不機嫌そうな染岡くんの言葉に半田が笑う。ニカッと、なんだか円堂のような子供っぽい笑い方だった。


「俺が交代する。それでいいだろ、円堂」
「お、おう……」


 戸惑ったように円堂が頷くと、唖然とする周囲を置き去りにして半田が僕の腕をつかむ。そのままずるずるとピッチの外へ連れ出されていると、少ししてようやく雷門の選手が慌て出した。

 オイ! と、さっきの染岡くんの声が僕たちを追いかけてくるが、半田は立ち止まらない。どうしてだろう、なぜか泣きそうになった。掴まれている腕が、ひどくあつい。


「は、んだ、」
「時間ねーから、その辺で着がえるぞ」


 半田は振り返らずに、僕の言葉に淡々と返してきた。
 ピッチを出ると、慌てた様子で近付いてきた木野さんと二言三言言葉を交わし、すぐに手近な建物の陰に押し込まれる。


「いまマネージャーに予備のユニフォーム用意してもらってるけど、番号いれてある奴これしかないから、汗すごいだろうけど我慢しろよ」


 そう言ってその場でユニフォームの上だけ脱ぐと、ん、と渡された。汗と土で汚れたユニフォームを僕は咄嗟に受け取ってしまって、呆然と半田を見た。半田は僕の顔を見て、きょとんとした後に笑う。


「なに、おまえ。なんで泣きそうなの」
「は、半田は、僕と代わってよかったの?」


 なんでこうして普通に話してくれるのかとか、さっきは庇ってくれたのかとか、色々言いたいことはたくさんあった。けれど、僕が一番聞きたいのはそれで。

 あんなに悔しそうにしていた半田が、ぽっと出てきた僕に出番を譲ってしまって、本当にそれでいいのかと。
 半田は、僕の問いかけに笑みを消した。


「ま、正直良くはねーな」


 頭をがりがりと掻いて、少し眉を寄せると半田は仕方なさそうに笑った。


「でもま、あいつらには悪いけど一足早く俺も楽できるし、いっかなーってさ」
「半田、」
「いいからさ。あんまごちゃごちゃ言うなよな」


 頑張れよ、そう言って半田は、僕の肩をぽんと叩いた。叩かれたところから、じんわりと何かが染み込んでくるような、そんな気がして身体が震える。


「……当然、だろ」


 ぎゅっと、生温かくて汚らしい、汗と泥が染み込んだ6番のユニフォームを握り締めると半田が笑った。


「見せてくれよ、おまえのサッカー。期待してるぜ?」
「……半田はそういうの、似合わないよね」


 うるせー、と拗ねたように半田が唇を尖らす。自分でもなんとなく思っていたのかもしれない。半田は頬を少し赤くしていて、照れ臭そうだ。


「ごめんね、半田。ありがとう」


 半田からの返事はない。けれど、それでいいんだ。

 ごしごしと目元をこすって顔をあげると、僕は笑った。半田は目を細めて僕を見ている。


「見てろよ、僕のサッカーをさ」





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