▼ 宴が始まる
さっきまで晴れ渡っていた空が急に曇り出し、装甲車のような車が校門の前に静かに止まった。
開いた扉から地面に真っすぐ敷かれた赤い絨毯の上を歩いてくるユニフォーム姿の少年たちは、アウェーにも関わらず不敵な態度を崩そうとしない。その堂々とした振る舞いは試合の前から雷門の生徒を圧倒していた。
帝国学園のご登場、らしい。
ざわめく周囲からそんな単語を拾って、帝国学園の選手たちに目を向けた。向かい合っている雷門の選手たちと違って、彼らはかなり個性的でなんとも柄が悪そうである。
その中でも特に奇抜な格好の男の子に、僕の視線は自然と吸い込まれていた。高い位置で結ったドレッドヘアに、ゴーグル、赤いマント。どこかで見たような気がした。
もしかしたら、この世界の主要人物なのかもしれない。派手なインパクトを残す彼を見れば見るほどそう思った。帝国学園の選手たちを率いるように先頭に立っていることから、彼があのチームのキャプテンなのだろう。周囲とは纏っている空気も違う。
けれどまあ、なんとも芝居がかった登場の仕方だ。どこかの軍隊のように威圧的な態度も、此方を完全に格下だと思いこんで歯牙にもかけていないあの姿勢も全てが鼻につく。
あの調子ではいつか足元を救われるだろう。自分に自信を持つことは大事だが、サッカーの試合は百パーセント選手の実力だけで勝敗が決するものではない。
『神の見えざる手』。時にはそんな風に呼ばれるものが介入するときもある。だからこそ本当の王者というものは、勝利の為にはどんな格下にも驕らず己の全力をぶつけるものだ。少なくとも、僕はそう教わっている。
アップを始めた帝国の選手たちをそのまま眺めていると、確かに個々が素晴らしい能力を持っている集団だというのは理解出来た。ドリブル一つとっても、その高い実力は窺い知れたがその半面無駄な動きが多い。帝国にとっては純粋なアップというより、雷門に対してのパフォーマンス的な意味合いが大きいのだろう。
その帝国の動きに肝心の雷門側はというと―……完全に呑まれているのだから試合の結果も薄々想像出来た。
これでは帝国が過信の恐ろしさを知るのは暫く先になるだろう。
そんな事をぼんやり考えながらグラウンドに視線を滑らしていると、背中に6と書かれたユニフォームが引っ掛かった。こげ茶色の髪に、ぴょこりと飛び出た双葉の形。見間違えるはずがない、半田だ。
僕は暫くそのまま彼を見ていたが、それなりに距離があるのだから半田が気づくはずもない。気づいたとしても、彼は僕に声をかけたり手を振ったりなんてしないだろう。あの日から僕たちは、視線すら合わせていないのだから。
お互いが別のクラスなのが幸いしてか、今までほとんど顔を合わせることがなかった。一度だけ移動教室の時に擦れ違ったけれど、その時も半田は僕に一瞥すらくれない。
でも僕は振り返らない半田の背中を知っているのだから、我ながらなんとも未練がましいことだ。そうなるように仕向けたのは僕だし、いまさらどうこう言えるような資格はないはずなのに。
溜息を吐きだすと、無理矢理視線を引き剥がす。刺すような胸の痛みには、もう慣れていた。
試合を観戦する為にちょうどいい場所を探していると、木の陰に隠れている見慣れた後ろ姿を見つけた。豪炎寺だ。どうやら彼もこの試合を観るつもりらしい。頑なに円堂の勧誘を拒んでいた彼が、いったいどういう心境の変化なのだろうか。
暫く悩んだが、結局僕は豪炎寺に近づく。傍に寄ると、気配に気付いたのか鋭い目つきで彼が振り返った。僕を見とめると僅かに目が見開かれる。
「井端?」
「……豪炎寺も観戦?」
少しの沈黙のあとで、豪炎寺はああ、と短く答えた。僕もだよ、と答えながら木を挟んだ隣に座ると豪炎寺の視線を一層強く感じる。戸惑っているらしい。
それはそうだろう、僕たちはずっとお互いを避けてきたのだから。
それが今さら、隣に座って一緒に観戦なんておかしな話だろう。けれど僕は、豪炎寺の姿を見つけた時に思ってしまった。この試合を観るのなら、彼の傍がいいと。
記録上では僕の転学前の学校であるという帝国学園について、僕はネットでも調べられる表向きのことしか知らない。サッカー部にまつわる黒い噂や、四十年間無敗を誇ること、その上に君臨する総帥と呼ばれる監督のこと。
自然と情報はサッカー関連のものばかりが集まったが、そのどれもが不自然極まりなかった。この世界の元であるゲームのシナリオに帝国学園が関わっていることは先ず間違いないと思う。それぐらいは、普段ゲームをしない僕でも予測出来る。
そんな学校と、円堂には悪いけど弱小と名高いうちのサッカー部が試合をするのだから何かがあるのは間違いない。なるべくなら僕だって関わりたくないけど、不安の芽は少ない方がいい。試合を観ていることでそれがわかるなら、その方がよかった。
……単純に半田のことや、円堂たちが気がかりだったのも勿論ある。けれどいまの僕が、それを素直に表に出していいとはどうしても思えない。前のように何喰わない顔で「頑張ってね、僕も応援してる」なんて、そんな白々しいことはもう言えなかった。
僕が何も言わないでピッチを睨んでいると、少しして豪炎寺は「もうすぐ始まるな」とだけ言った。僕の存在を受け入れてくれたらしい。僕はうん、とだけ相槌を打った。すぐに付け足したありがとうの言葉に返事はない。豪炎寺の傍は静かで、優しいものだった。
****
雷門側でなにかハプニングのようなものが起きたようだけれど、それでも試合は始まった。
始まったはいいのだけど―……。
「圧倒的過ぎる……」
あまりのレベルの違いに、雷門側の選手たちがただひたすら痛めつけられているだけの試合展開になっていた。後半が始まってからはさらに酷い。
デスゾーン、というらしい三人組の必殺技を皮切りに次々と超常現象のような、普通では考えられない光景がピッチの中で繰り広げられている。此方でのサッカーを極力避けていた僕にとっては、目の前で行われているものが同じサッカーだなんて信じられない。いいや、信じたくない。まるでブラウン管越しに映像でも見ているような、そんな気分だ。
けれど、まだそんな呑気な感想を思えている内は良かったのだ。
僕は次第に、沸々と煮えたぎるような感情が腹の中で渦巻くのを感じていた。
「円堂……!」
帝国のサッカーは下劣以下だ。円堂はまるで的かなにかのように力の籠ったボールに幾度も晒され、立ち上がる力を奪われてピッチに伏せている選手たちはみんな満身創痍になっている。
けれど円堂の目は、諦めてなんかいなかった。幾ら帝国の選手たちに笑われても、点差がどれだけ開いても、円堂の目は真っすぐにピッチとボールを見つめている。
その強さは、他の誰よりも一際僕の目に鮮やかに映った。
逃げているだけ、見ているだけの僕とはまるで違う。僕は持っていないものを、円堂は持っているのだ。
(……僕は一体、こんなところでなにをしているんだろう)
ふいに脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。
傷ついていない体とボールを蹴れる足、技術も知識も経験も十分にある。僕はサッカーをやれる。円堂たちの手助けができる。
なのに、どうして僕はここで円堂たちのことを眺めているだけなんだろう。
耳にこびりついて離れない半田の言葉が、耳の奥で反響する。
『最低だわ、お前』
……半田も円堂も一郎太くんもマックスも、みんな僕の友達だ。嫌いだと言われても、なんて罵られても、やっぱり僕は彼らのことが、どうしようもない程好きらしい。
彼らに手を貸すのに、初めから理由はそれだけで十分だったのだ。
友達が目の前でボロボロにされたら、僕だって相手を殴り返したい。そのことに、難しいことを考える必要はどこにもない。
『神様』だとか此方のサッカーだとか、わからないことだらけで拭いきれない憎悪も不安もあるけれど、それでも僕は。
よろよろと立ちあがった半田が相手の技で容赦なく吹っ飛ばされていく。悔しそうに顔をくしゃくしゃにして、這いつくばりながらでもボールを見つめる半田に、僕は初めて思った。
もう逃げたくはない、立ち向かう強さが、一歩を踏み出す勇気が欲しいと。強く強く、そう思った。