calling you(使用不可) | ナノ


▼ 呼吸の仕方


 マンションのロビーに設置されているソファで僕を待っていた半田は、どこか様子がおかしかった。
 リビングに招き入れてからも、重たそうに閉じた口を開こうとしない。

 むっつりと引き結ばれた唇と珍しく強張っている顔が深刻さを思わせて、とりあえず冷蔵庫から飲み物を出すとコンビニで買ってきたお弁当をテーブルの脇へと押しやる。お腹は減っていたけど、暢気に食べていられるような状況ではなさそうだ。

 がさごそと揺れたビニールの音に反応したのか、半田の目が隅に寄せたお弁当を見る。またそんなもので夕飯を済ます気かと小言が飛んでくるかと身構えたのだけど、半田の表情はぴくりとも変わらず浮かない顔のままだった。


「コンビニ、行ってたのか?」
「え、ああうん」


 それが一体どうしたのだろう。
 珍しいことでもないのに、と僕が首を傾げると半田の眉がぎゅっと寄った。


「それだけかよ?」


 淡々とした響きに含まれている刺々しさに僕は瞬きを繰り返した。
 状況がうまく理解できない。
 これはいよいよ本格的に様子がおかしい、そう思って先ず宥めようとした僕を遮って、まるで責めるような調子で半田は言葉を続けた。


「答えろよ、井端。どこに行ってたんだ?」
「……どうしたのさ? なんか変だよ、半田」


 口元に曖昧な笑みを浮かべると、半田の目が剣呑な光を帯びながら細まる。不快そうな顔からして、今回ばかりは交わされてくれる気はないらしい。

 どうしよう、こんな半田もこんな状況も、すべて初めてだ。どうすれば、うまく取りなせる? なにを嗅ぎつけられたんだ?

 答えを探すように視線を彷徨わせると、もう誤魔化されてやれねーよ、と力ない半田の声が耳朶を震わせた。逃げようとする僕に、釘を刺す為の言葉だったのかもしれない。


「おまえ、フットサル場にいたろ」


 重たいため息と一緒に吐き出された言葉が、僕から思考をもぎ取る。
 勝手に動いた視線が半田の顔を捉えたけれど、半田の視線はグラスの中のウーロン茶に注がれるばかりで、もう僕を見ようとはしていなかった。


「俺、さっき見たんだよお前のプレイ。狭いコートの中を走り回って、パスをしてシュートしてフェイントして、派手なパフォーマンスをしたかと思えば基本の動作もきっちり抑えてる。ホント、すげぇ実力だよ。あまりのレベルの差に思わず見惚れた」


 はは、と乾いた笑い声をあげながら半田はくしゃりと顔を歪めた。


「サッカー、やってたんだろ。体育では手ぇ抜いてたんだな、すぐにわかったよ。ああ、いやそんなことより……そんなこと、一言も言ってくれなかったよな」


 トーンの低い声に籠められた感情が、僕の胸を締め付ける。逸らす先の見つけられない視線を半田の視線に絡めとられて、ただ茫然と、僕は半田の言葉を受け止めるしかなかった。


「俺たちが、円堂が困ってたの、お前知ってただろ。部員がずっと足りなくて、今季の大会も出られそうになくて、やっと一年が入ってきたときはお前も喜んでくれた」
「半田、」
「どうして俺がお前にこんな話してるか、井端はわかってるか? お前に一緒にサッカーしてほしいからじゃねーよ、お前が、俺たちのことを馬鹿にしてたのが許せないんだ」
「っ、!」


 違う、と咄嗟に否定の言葉が出てこなかったことに、僕は茫然とした。

 半田の言う通りなのか?
 ―……そうなのかも、しれない。

 唇を開いてもか細い呼気しか吐き出さない僕を、半田は失望したような目で見る。

 止めてくれ、そんな目で、僕を見ないで欲しい。

 逸らすことの許されない強い断罪の視線にさらされながら、僕は自分の感情を自覚した。

 僕は、半田たちのことを心のどこかで下に見ていたのかもしれない。

 初めはたぶん、思うように「自分のサッカー」を出来る彼らに対しての羨望と恐れだった。

 僕のサッカーに対する飢えは彼らを見ていることでどんどん質量を増して、代価品を求めてフットサルに手を出した。
 そこで僕を待っていたのは、昔浴びたような喝采と称賛の声。形を失いかけていた自信は再び僕を満たしたけれど、サッカーに対する飢えだけはどうしようもなかった。

 「自分のサッカーができる」そんな彼らに嫉妬心さえ抱いた。理不尽な現状に嘆くたび、それが苛立ちに変わるたび、吐きだせない苦しさが飢えに変ってゆく。

 そして徐々に腐っていった彼らに、同情と憐みと苛立ち、そして優越感を抱いて。僕と同じようになった彼らに、僕はほの暗い歓びさえ覚えた。


 僕は半田たちを利用することで、自分の心を必死に慰めていたのだ。


 それはきっと、半田たちを下に見ていたことと変わらない。
 いいや仮にそうじゃないとしても、半田を傷つけたのは事実だ。僕の行動を客観視してみれば、半田がそう思うのも当然のことだろう。


 僕はいったいいつから、なにを間違ったんだ?


 半田は言葉を続ける。


「帝国との練習試合が決まったとき、円堂はお前を誘わなかった。断られんのがわかってたからじゃねーよ、お前を困らせるのが嫌だったからだ。俺は前にあいつに、井端にも事情があるから勧誘はしないでやってくれって頼んだ。あいつはそれを守った、井端が円堂の友達だから、俺が円堂の友達だから、円堂はあんなに困ってたのに井端を誘わなかったんだ!」


 半田の感情が、爆発した。


 僕を睨みつける目は昂った感情のせいで潤んでいて、悔しさも悲しさも、そのまま僕に伝えてくる。
 彼の言葉も感情も、鋭利なナイフとなって胸に突き刺さる。えぐれて、よじれた傷口からは鮮血の代わりに罪悪感が噴き出す。

 吐き気がした。
 そんなもの、僕が感じるにはどれもいまさら過ぎるものたちだ。

 なにも言い返さない僕が癇に障ったのだろう、半田の声が震える。


「なのにお前は、あいつになにをしてやったんだ。ただ見てただけだろ、俺もそうさ。でも悔しいよ、井端のことこんな風に言えた義理じゃないのはわかってる、でも悔しい、自分が不甲斐無い。円堂のこと裏切った自分も井端も、俺は嫌いだよ」


 半田の目から、ぼろりと涙が零れた。堪えきれなくなった滴が次々と頬を流れ落ちてゆくのを、半田はぐいぐい乱暴に袖で拭う。
 僕はそれを、ただ見ていた。半田の独白は痛いぐらい真っすぐな、彼の本音なのだろう。

 それに対してかけられる言葉を、いまの僕は持ちあわせていない。

 やがて落ち着いた半田が、赤い目で僕を見た。やがてふっと、自嘲するように笑う。


「ずっと前からそうだよな、井端は。肝心なことはなにも言っちゃくれない」
「……君を傷つけたことは謝るよ。ごめん、でも簡単に話せるような事情じゃないんだ」


 誰かに話せたら、どんなに楽だろう。でもこんなこと、いったい誰が信じてくれるんだ。違う世界からやってきましたなんて、正直に言っても性質の悪い冗談にしかならない。


「サッカーをやってたことは事実だよ、でも言えなかった。僕には、君たちのサッカーはできないから」


 この言葉も、どんな風に受け止められるかわからない。
 だからなるべく誠実に、半田の目をしっかりと見て伝えたのだけど、半田は唇を持ち上げるだけだった。


「ただ逃げてるだけだろ」


 ぼそりと吐き出された言葉に、僕は思わず、「え?」と聞き返していた。半田の暗い色をした目が、僕の顔を映して歪む。


「井端はただ、逃げてるだけだ」


 逃げてる?

 いったい僕が、なにから逃げていると言うんだ。むしろその逆で、いろんなものと戦いながら、僕は必死に向き合っている。

 だというのに、僕の事情なんて知らない癖に、なんでそんなことを言うんだ。


 よりによって、どうして半田が。


「っ、なにがわかる!!」


 気付くと、テーブルに手をついて立ち上がっていた。ガタン、と椅子が倒れた音がして、睨みつけた先の半田が驚いた顔をする。

 半田にいったい僕のなにがわかるんだ。

 『神様』だとか、元の世界のことだとか、僕自身のことだとか、ずっと不安で、訳がわからなくて、苦しくてしょうがなかった。
 本当は僕だって、いちいちそんなこと考えないでいたい。自由でいたい、なにも考えないでいたい。

 ただただ、サッカーがしたい。

 でも僕がしたいサッカーは、元の世界で元のみんなとやるサッカーであって、こんなサッカーのことじゃない。だから苦しいし、正直に言えば怖い。

 そのうえで、元凶が望む通りに訳のわからない舞台で素直に踊れって?
 そんなこと、誰がしてやるかってんだ。
 『神様』の思い通りになんか、させてやらない。

 これはそう、もう遠い昔のように感じるあの日に決めた、僕のたった一つの意地で反抗だ。


「それを、曲げるわけにはいかないんだよ……!」


 ギリッ、と音がするほど唇を噛みしめると、半田が顔を顰めた。不愉快なものを見るような冷めた目で僕の事を見る。いままで向けられたことのないような感情を帯びた目が、僕を鋭く射抜いた。


「知らねーよ、お前の事情なんて。話してくれたことなんて、一度もないくせに」
「……僕も同じってことだよ。きみたちの事情なんて、僕は知らない。だからもう、僕に干渉するな」


 豪炎寺に向けた言葉を同じように繰り返しただけなのに、胸に感じる痛みは比じゃなかった。
 どうしてだろう、息が苦しい。まるで水中の中で溺れているような感覚に唇がわなないた。

 半田は暫く黙っていた。何も言わないまま顔を俯けていたかと思えば、静かに立ち上がる。


「最低だわ、おまえ」


 半田が僕の脇を通り過ぎていく間際に聞こえた言葉に、ぶるりと身体が震えた。
 徐々に聞こえなくなっていく足音をどこか遠くで聞きながらようやく振り返ると、隙間なく閉じられたドアと広い闇だけがある。

 これでいい、これでいいんだ。

 そう思ったはずなのに、頬を熱い滴が流れ落ちてゆく。まるで心臓が握りつぶされているような痛みに、胸のあたりの服を握り締めて薄く唇を開いた。苦しさに、喘ぐ。

 ああ、どうしよう。
 息ができなくなる。

 まるで呼吸の仕方を忘れてしまったみたいだ。塩分を含んだ笑い声が零れ、乾いた唇を静かに濡らした。





[ back to top ]



「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -