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▼ 春嵐を告ぐ


 静寂を切り裂く荒れた呼気と、アスファルトの地面を踏みつける足音だけが聞こえていた。

 早朝の冷たい空気が僕の頬を撫でて、景色と一緒に後ろへと流れていく。もうすっかり見慣れた、朝の景色だ。

 いつもの公園に辿りつくと足を止める。クールダウンの為に狭い公園の中をゆっくりと歩きまわると、汗ばんだ四肢に冷たい風が絡んだ。
 心地よさに目を細めと、ふと視界の端で鮮やかな色の幕が翻る。


「あ、」


 走りこみのせいで乱れた呼吸とは違う息が開きっ放しの口から零れた。視線はソレに釘付けになる。


「桜……」


 昨日までは気付きもしなかったが、それは確かに桜の花だった。観客は僕だけなのに、桜は色鮮やかに染まった自分を誇るように大ぶりの雨を惜しげもなく降らしている。
 春の訪れを告げているようなその威容に、僕は思わず視線を落とした。

 春。そう、僕は新しい季節を迎えていた。




****


「おはよう、井端!」


 聞き慣れた声と一緒に肩にぽんと載せられた手に振り返ると、僕の背後には予想通りの人物が立っていた。口元に小さく笑顔を作ると、それ以上の笑顔が返ってくる。


「おはよう、半田」


 おう、と鷹揚に頷きながら半田は僕の隣に並んだ。通学路は僕らみたいにベタな遣り取りを交わす制服姿の少年少女たちで溢れている。

 その顔はどれも楽しげで、僕の胸のむかむかは一方的に膨らんでいく。まったく、呑気な奴らだ。胸中でひっそりと毒づいていると、半田が早速口を開いた。


「なんかさ、久しぶりにおまえの顔見た気がする」
「そう? 一週間ぐらい前に僕の家に泊まったでしょ」
「それきりだろー」


 クラスも隣だし家も近所なのに、と口うるさい小言が飛んでくる。

 そう、二年に進級した僕らは見事にクラスが分かれていた。僕は一朗太くんと円堂と一緒になって、最近は(といっても新学期は始まったばかりだ)この二人と一緒にいることも増えた。

 けれどそんなことを言うわりに、隣に並んだ半田の顔は楽しげだ。

 こいつもか。

 思わず顔を顰めたのだけど、半田は気付かずに少し前を歩く可愛い女の子に見惚れている。
 よくよく視線を追いかけてみると、短いスカートから剥き出しの細い足を半田は鼻の下を伸ばして見つめていた。悪戯に吹いた風がスカートの裾をギリギリまで捲ると、さらに顔を緩ませる。

 惜し、……最低だ。半田は男の風上にも置けない。僕の好みだともう少し慎まし……いや、違う。

 不埒な欲望でいっぱいなその横っ面を張り飛ばすことも考えたけど、そんなことで朝から不毛な遣り取りをするのも気が進まない。
 その代わり、お互いがずっと避けていた話題に触れることにした。


「今日はサッカー部、朝練ないんだね」


 半田の顔色がさっと変わる。

 少し前から半田はサッカー部の練習をサボるようになっていた。けれどそれはきっと半田だけじゃない。
 僕が気になって時々河川敷を覗いてみても、円堂以外に部員らしき人を見ないのがその証明だろう。
 少し前までは待望の新入部員に半田も円堂も顔を輝かせて喜んでいたというのに。

 思い返すとまた胸がもやもやしてきて、シワになるのも気にせずシャツの胸元をにぎりしめた。

 理由ははっきりしている。
 僕は、半田たちに怒っているのだ。真剣にサッカーをやる気がないなら、いっそのこと部活なんて辞めちまえとすら思っている。
 けれど僕には、そんな風に言う資格がない。僕は所詮、部外者でしかないからだ。
 だから必死に堪えてきたのだけど、おさまることのないこの感情はもうずっと胸に渦を巻いている。

 半田の方もすっかり女の子どころじゃなくなったようで、悄然と溜息を落とすと重たそうに口を開いた。


「それがさァ、サッカー部廃部になるかもしれなくって……」
「は、」


 全く予想していなかった展開に思わず絶句してしまう。胸元を握り締めていた手からもするりと力が抜けたが、それ以上言葉は出なかった。半田は憂鬱そうな顔のまま話し続ける。


「昨日円堂が校長室に呼び出されてさ、練習試合することになったって言われたらしい。その試合に負けたら、サッカー部は廃部だって……」
「……そう」


 昨日の円堂の様子がおかしかったのはそのせいか、と納得すると同時に、ならどうして練習しないんだとも思った。廃部がかかっているなら尚更、こんなところで僕を相手にしている場合じゃないだろうに。
 そんな思いで口を開きかけたが、半田が零した単語のせいで言葉にはならなかった。


「相手は帝国学園っていう強豪校だし、そもそも人数も足りないし」
「帝国、学園?」


 引っ掛かりを覚える所じゃない。僕にとってそれは、忘れられない単語だ。
 呆然と呟いた僕に、半田は何度も首を縦に振った。


「そうなんだよ。FFを四十年も優勝し続けてる無敗の学校だぜ? うちなんかの弱小に勝機なんてあるわけないし、そもそもなんでそんなとこがうちなんかに練習試合を申し込んできたんだか……」


 あーあ、と心底憂鬱そうにうなだれた半田に、僕は生返事をすることしか出来なくなっていた。
 その後も続いた半田の話はもう僕の耳に入らない。周囲のざわめきすらも遠くに聞こえる中、僕はただ考え続けた。

 帝国学園、練習試合、雷門、弱小。

 頭に浮かんでは消えていく単語をぐるぐると追いかけていると、緩慢に動かしていた足がちょうど校門を抜けたところで突然の大声に襲われた。


「サッカー部員、募集してまーす!! あ、なあ! サッカー部に入らないか?!」
「やらねーって! 俺はもう部活入ってんだから、他あたれ!」
「そんなこと言わないでさー! 助っ人だけでもいいから! な!」


 逃げる男子生徒をプラカードを背負って追いかけまわしている奴は、よく見知った顔のように見える。ご丁寧にGK用のユニフォームまで着込んだ彼は、周囲から笑われても邪険にされてもめげずに食いついていた。


「……円堂だよね、あれ」


 初めて見たその光景に思わず言葉を失くしていると、半田が顔を顰めた。


「アイツ、まだ諦めてないのな。昨日の放課後からああなんだよ」


 なんとも言えない顔で半田はただ円堂を眺めていた。佇むだけの半田が何を考えているのか、僕にはわからない。けれど、じりじりと焦げるように疼き続ける胸がドクリ、と大きく鼓動したのを感じた。
 なにかが、始まるのかもしれない。そんな予感がした。





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