▼ 半田視点8~9話2
転校生の井端邦晶は嫌味な奴だった。
クラスのほとんどの女子に取り囲まれて、へらへら笑いながらご丁寧に質問に答えている。井端を囲んでない他の女子だって、気になるのかちらちらと視線を送っている始末だ。
俺が気になってた女の子まで井端を気にしている。ちらちらと人だかりの方を見ては友達と内緒話に花を咲かせて、頬を染めていた。
……顔か、やっぱり顔なのか。
眠気なんてすっかり吹き飛んでいるというのに、ショックで机に突っ伏した。別に泣きはしないけど落ち込む。そうしていると距離と声の大きさの問題なのだろう、元凶どもの声がよく聞こえた。
「そういえばさ、井端くんってなにかつけてる?」
「え?」
「なんかいい匂いするんだよね。爽やかな感じのー……柑橘系っぽい感じ」
あ、確かにわかるー、なんて声を遠くで聞きながら俺は眉を顰めた。学校に香水かよ、と心の中で毒づくと丁度良くチャイムが鳴る。
音と同時に先生が入ってくると、蜘蛛の子を散らすように井端を取り囲んでいた女子が退散した。やっと静かになった周りにほっと安堵の息を漏らした途端、急に右隣から話しかけられる。お願いだから空気を読んで、俺の存在など忘れていてほしかった。
「……なんだよ」
わざと突き放すように対応してやったのに、井端は申し訳なさそうな顔をしながらも教科書を見せてほしいと頼みごとをしてきた。
断ろうとした途端、俺たちに突き刺さっている視線の量がそれを怯ませる。渋々頷くと、井端は困ったように微かに笑った。
井端と机をくっつけると、俺にも井端の匂いがわかった。
確かに柑橘系の香りで、決して強くはないちょうどいいぐらいの匂いだ。
見た目によらず、チャラい奴。
その後は井端が何を言おうと、全ておざなりな対応しか出来なくなった。きちんと答えてやる気が起きなくて、案内役の件を聞いた時もどうにかサボれないかな、とそれだけを考えていた。
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結局案内係をサボることも、押しつけることも出来ずに俺は半分以上強制的に昼休みの時間を割いて井端を案内してやることになった。その時はムカついてムカついて、いつもなら楽しみにしてる弁当もかき込むように食べた。隣同士で食べてたのに、話しかけることすらお互いにしなかった。
俺たちは相性が悪い。そう思ってすらいた。
「で、ここが一年の校舎と特別教室の場所」
「うわ、やっぱり広いねー……。覚えきれるかなあ」
井端は不安そうな顔で、そびえたつ校舎を見上げる。校内の案内はまだ始めたばかりで、残り三十分程度で周りきらなきゃならないことを考えるとゆっくりしていられない。
「もう行くぞ」
そっけなく返しながら次に向けて歩き出すと、井端が慌てて追いかけてきた。視線をきょろきょろさせながら俺の隣をついてまわっているが、その顔はまだ不安そうだ。
そうだ、こいつは転校生だ。
何故だかその時初めてそのことを実感した気がした。不安がっている相手に流石に少し良心が咎めて、俺は言葉を付け足す。
「今覚えきる必要はないだろ。慣れたらその内覚えられるもんだって」
顔も見ずに早口で言いきると、弾んだ声が返ってきた。
「それもそうだよね。半田はもう全部覚えたの?」
井端の顔を見ると、嬉しそうに笑っている。
そういえば、さっき初めてまともに声をかけたのかもしれない。
ふとそう思って、なんだか悪いことをしているような気分になった。井端の顔を見ていると、ただのチャラいだけの奴にも見えない。
ふと柑橘系の香りがまた鼻孔を擽って、俺は眉を寄せた。
井端はいったい、どんな奴なんだ。
それはほぼ無意識に思ったことだったけど多分それが、俺が井端邦晶に覚えた最初の興味だった。
「普通に過ごしてたら覚えられるからな」
「そっか、半田はすごいんだね。僕、覚えられる気がしなくて……」
「……一々案内役なんかしてやれないぞ」
「う、頑張るよ……」
握りこぶしを作った井端に、俺は苦く笑った。