calling you(使用不可) | ナノ


▼ 空気のように


「半田、ありがとう。やっぱりまだ道うろ覚えだったから、すごい助かった」


 下町の風景からは正直浮いている大きな建物が見えてきたところで、僕はそう切り出した。
 名残惜しいような、べつにそうでもないような不思議な気分だ。
 半田は良くも悪くも「普通」な奴で、だから特別気を遣うような必要もない。最初と違ってもう僕たちの間にギスギスした嫌な空気もないし、これなら明日からも上手くいきそうだ。
 半田は少し前からなにか考え事をしていたのかちょっと上の空だったのが気になったけど、それでもちゃんと返事は返ってくる。


「ん……いや、べつにたいしたことはしてないし」
「そうでもないって」


 ありがとうとバイバイを一緒に告げようとして、「なあ」という半田の言葉に遮られた。
 半田の顔を見ると、どこか深刻そうな表情で僕の顔を見ている。驚いて僕の言葉は余計に喉の奥に引っ込んでいき、ついでに足も止まってしまった。マンションの入り口は僕を知らんぷりしている。


「えーと、半田……?」


 僕はなにかしてしまったんだろうか。不安になって恐る恐るその顔色を窺うと、半田は意を決したように固く結びつけていた唇を緩めて、慎重に聞いてくる。


「あのさ、井端ん家って今日だれかいる?」


 僕は半田の妙な雰囲気にすっかり飲み込まれてしまって、ゴクリと唾を飲んだ。心臓が変な風に跳ねている。制服から剥き出しの首筋を冷たい風が撫でて、もうすぐ訪れる冬の存在を教えてくれるが、それがやけに空々しい。


「……いや、だれもいないよ。なんで?」


 じゃあさ、と半田が掠れた声で紡いだ。


「今日、井端ん家行ってもいいか?」





****
 

「……半田、ついたけど」
「……」

 僕は溜息を吐いて、学ランの袖にしがみつく半田をずるずると引きずりながらエレベーターを降り、このフロアにたった一つしかない扉を目指す。
 そこを開けばもう僕の部屋だ。押し込んでしまえば、なんとかな……ると信じたい。

 僕は廊下を歩きながら、隣で縮こまっている半田を見下ろす。
 マンションに入ってから何も喋らなくなって、僕の制服の袖にしがみついたままだ。


 どうやら、このマンションの雰囲気にビビっているらしい。


 最初は冗談だと思って腕を振りほどいたら必死な形相で今度は腰に抱きつかれたので、変な所よりは多少マシとあとはもう好きにさせている。
 僕と半田が並ぶと、僕の方が多少……本当にちょっと小さいぐらいなので、半田のつむじが見下ろせるというのはなんだか変な感覚だ。

 インターホンの下に付いている黒い機械にポケットから取り出したカードキーを指して、暗証番号を入力する。
 ちらりと半田の方を見ると、気を遣ってかぎゅっと目を閉じていた。気を配るだけの余裕はあるらしい。
 僕はなんだか呆れよりも面白さの方が勝ってきて、こっそり笑った。


「半田って可愛いね」
「はあ?!」


 心の中で呟いただけのはずだったのに、半田がぎょっと目を開いた。
 どうやら口に出していたらしい。
 でも半田の様子を見たら、誰だってそう思うと思うけど。
 いつもの調子が戻ってきたのか、半田は勢いよく僕から離れてどうのこうの文句を言ってくる。


「はいはい、ごめんって。大丈夫、そういう可愛い仕草って年上の女性から受けいいから気にしなくていいと思うよ」
「なんの話だよ!」
「半田の話。ほら、さっさと上がって」


 僕が扉を開くと、半田は少し気遅れしたらしく、視線を反らして急にきょろきょろし出したのでケツを蹴飛ばす勢いで部屋の中に入れてやった。


「……なんか、だんだん井端俺の扱いひどくなってないか?」
「ごめん、自覚ある」


 どうしてか、元の世界にいる級友たちに接するように扱ってしまう。
 きっと半田が良くも悪くも「普通」だからいけないんだ。

 僕は自分のずいぶん小さな掌を、握ったり開いたりしながら見下ろす。
 まだこの手には慣れていないのに、半田に慣れる方が早いなんて予想外もいいとこだ。


「なにしてんだよ?」


 半田が怪訝そうな顔で声をかけてくる。
 僕は笑いながら首を左右に振って、半田をリビングへと案内した。



「すげえ……! なんだこれ、本当にリビングか?!」


 ……やかましい。
 半田をリビングに通した途端、口を開けて呆けたと思ったら全力ではしゃぎ出した。
 お前いくつだ、とつい突っ込みそうになったけどそういえば半田はまだ中学一年生で、この間までランドセルを背負っていたような子である。
 まあしょうがないかと僕は妥協して、あまり荒さないでねとだけ告げてお茶の準備をした。


「まあ、一応」


 L字のロングソファと合わせて最初から設置されていたリビングテーブルの上にペットボトルを二つと、買い置きしていたお菓子を置く。
 最初から食器類は一人分しかなかったので、半田の分のコップがないのだ。
お客さんなんて全く想定してなかったし、ほぼ外食やコンビニでご飯を済ませていたので今まで気づかなかったけど。


「俺ん家のリビングの何倍だよ! うわ……信じらんねーニ階まである! この金持ちめ!」


 半田が興奮しながらもお菓子に釣られてか、ロフトから戻ってきた。
 ペットボトルを手渡すとキャップを開けて性急に飲み出す。どうやら喉が渇いていたらしい。僕がポテトチップスの封を開けると、さっと手を伸ばして頬張り始めた。忙しい奴だ。


「知らないよ、僕に言われたって。こんなに空間あったって、ほとんど使わないから埃も溜まりやすいし……」


 僕が溜息混じりに愚痴ると、ポテトチップスの欠片を口の端にくっつけた半田が不思議そうに首を傾げた。


「ほとんど使わないって、親とかは?」
「ああ、僕一人暮らしだからさ」


 半田の手が止まった。


「え、と……」
「? どうかした?」


 半田は急に居心地悪そうにもぞもぞ動きだして、視線を彷徨わせる。その動作は散々見てきたものだけど、リビングを眺め回していたような熱の籠った視線ではない。どちらとか言うと困惑しているような……。


「ああ、なんだ。一人暮らしのこと? 大丈夫、両親は離れた所に暮らしてるだけだよ。家族の仲は良好だし、半田が変に気遣うことなんてなにもないから」


 僕がペットボトルのキャップを開けながらしれっと言うと、半田はあからさまにほっとした顔をした。


「なんだ、そっか。なんか俺マズいこと聞いたのかと……」
「あはは、まあ僕らの歳で一人暮らしなんて普通ないもんね。半田って意外に心配症だよね」


 うるせーと言い返しながら半田はペットボトルの中身を傾けだす。僕はなんてことない顔でそれを眺めながら、ちくちくと痛みだす胸を無視した。
 嘘は言っていない。真実でもないけど、僕は信じている。いつかまた家族と会えることを。


「……井端、どうかしたか?」
「ん、べつに。ちょっと家族のこと思い出してさ……」
「へえ。俺、井端の家族ってちょっと興味ある」
「聞いても特に面白くないと思うけど……」


 半田がそれでもとせがむので、僕は請われるまま家族のことを話した。特に面白味もない、どこにでも転がってるような話だろうに、それでも半田は熱心に聞いてくれた。
 その相槌が心地よくてつい喋りすぎてしまったのだろう、気づけばもうすっかり外は暗くなっている。
 僕は慌てて半田に帰り支度をさせた。



「ここでいいって。家近いし」


 一階のエントランスまで来ると、半田がそう切り出した。半田の顔は行きと違って笑顔だが、僕の顔はさぞ情けないことだろう。


「ごめん、すっかり引きとめちゃって……」


 僕が謝ると、半田は楽しそうに笑った。


「いいよ、井端の家族の話すっげえ面白かったし。また遊びに来てもいいか?」
「……うん。今度僕も、半田の家族の話聞いてみたい」
「面白いことなんて特にないけどな」


 それでも聞きたいと僕が請うと、半田は照れくさそうに笑って頷く。そこで僕は、唐突に思いだした。


「そういえばさ、半田の用事ってなんだったの?」
「……用事? ああ! もう終わったからいいよ」


 そう言われても、あんな風に深刻そうに言われたことをそのまま放置出来る訳がない。


「気になるんだけど……」


 僕が眉を寄せて半田の目をじっと見つめると、半田は僕から視線を反らして頬を掻いた。


「……ずっとこのマンション気になってたから、入ってみたかっただけだ……」


 油断すると聞き洩らしそうな小声で言われて、僕は思わず噴き出した。
 そんな理由でよくあんな深刻そうな雰囲気を作れたものだ。
 僕が半ば感心しながら笑っていると、半田の羞恥心が刺激されたらしく真っ赤になって反論してきた。


「わ、笑うなっての!」
「ご、ごめん……。それで感想はどうだったの?」
「…………すごかった」


 膨れっ面ながらそう答えた半田に、僕の腹筋は仕事を放棄した。





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