▼ 誅殺
僕に転学前の記録があるということ、それ自体はいいのだ。
少し冷静になって考えてみれば、僕に編入前の記録があることは当然のことだ。むしろ、無ければ不自然だろう。
けれど問題なのは、よりにもよってそんな強豪校が僕の前の学校として記録されていることだ。
そしてそこからさらに突き詰めて考えると、どうしてこの時期にこの学校に、わざわざ編入という形で僕は入学するのだろうか。
そしてそれらの疑問は、恐らくすべて―……。
「なにが特典だ……!」
憎悪をこめて吐き捨てた言葉は、チャイムの音に掻き消された。騒音に紛れて僕の小さな呟きは殺される。
“神様”の意図が読めないことが不快だった。
恐らくはすべてなにかしらに繋がっているのだろう。
だけど僕には、それがわからない。わからないから不安で、怖くて、それがまた怒りや憎しみに変換される。
この激情に、終わりが見えなかった。
階段の途中で立ち止まってしまった僕を気にしてか、教室から出てきた生徒達からの不思議そうな視線が突き刺さった。
ここにいちゃ、邪魔になる。
なんとかその思いだけで、僕は振り絞るように歩を進める。けれど何段も降らないうちに、背中から聞き覚えのある声がかけられた。
「あの、今朝の人……ですよね?」
その声に振り返ると、驚いているのか目を大きく見開いたポニーテールの少年が立っていた。
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ここじゃなんですから、と少年は僕の腕を引いて外に連れ出してくれた。
吹きすさぶ風と違って日差しが温かいから、日当なら外でも話せる。
グラウンドを見渡せる位置にまで連れていかれると、近くのベンチに座った。軽く周りを見渡してもほとんど人はいない。
「授業はいいの?」
「いまは昼休みなんです」
「え、ご飯食べなきゃダメじゃないか」
「大丈夫ですよ、おやつ食べてましたから。それより、今朝はあんなにお礼もらっちゃってすみません……。いきなりだったからつい受け取っちゃって」
申し訳なさそうに眉を八の字にする少年に、僕は笑いかけた。
そんなことを気にするなんて、やっぱりいい子だ。
「いいんだよ、僕も買い過ぎたと思ってたとこだし。それより、食べてくれた?」
「はい、友達と―……」
なんてことのない会話が穏やかに交わされる。
こうして誰かと一緒にいる時は、“神様”だとか僕自身についてとか、そんなことを考えなくて済むことに初めて気付いた。
人と話すということは、こんなに落ち着くものだったんだ……。
僕は自分の中で荒れていた感情の波が、ゆっくりと引いていくのがわかった。
肩の力が抜けて、自然と笑みを浮かべられるようになる。
……本人はわかっていないだろうけど、これはこの子のお陰だ。
「ありがとう」
ぽつりと呟いた僕に、少年は首を傾げた。
「なんのことですか?」
「さあ?」
くすくす笑いながら肩を竦めた僕を彼はきょとんと見つめている。
それから少しの間だけそうしていたのだけど、やがて気まずそうにしていた彼がふっと唇を緩めた。
「……もう、大丈夫そうですね」
「え?」
「顔色がずいぶん悪かったから心配だったんですけど、よくなったならよかったです」
ほっとしたように優しく笑った少年に、僕の笑い声は引っ込んだ。
自分よりいくつか下の子に心配させて、気遣わせていた。それを言われるまで気付かないなんて、なんていうか……すごく格好悪い。
そう思うのに、なんだか胸がつまって格好悪くてもいいか、と思った。別に格好悪くても、いいのかもしれない。
「……うん、ありがとう」
ちょっとぎこちなくなってしまったかもしれないけど、僕は今度こそきちんとお礼を言った。
少年はやっぱり、不思議そうにしながら首を横に振る。
「そういえば、どうしてここにいるんですか? 誰か兄弟でも―……」「風丸ーーー!!」
なにか言いかけた少年を、誰かの大声が邪魔をした。
なんだ?
驚いて声の聞こえてきた方に視線を向けると、何故か顔を引き攣らせているポニーテールの少年の背後から誰かが駆け寄ってくるのが見えた。
「サッカーしようぜ! サッカー!!」
そう言って現れたのは、頭にオレンジ色のバンダナを巻いたツンツン頭の少年だった。腕には大事そうにサッカーボールを抱えている。
「おい風丸ー……って、あれ、話し中だった……?」
「……見ればわかるだろ」
ツンツン頭くんの心底楽しそうだった笑顔が、少年の不機嫌そうな声にみるみる萎んでいく。それがなんだか僕の後輩に被って見えて、思わず笑ってしまった。
けれど、あ、と思った時にはもう遅い。
笑われたことが恥ずかしかったのか、ポニーテールの少年の顔がさらに不機嫌そうになった。
「あー、ごめんごめん。お友達が呼んでるみたいだし、僕もそろそろ帰るね」
言いながら立ち上がると、サッカーボールを抱えた少年の罰の悪そうな顔に笑いかける。少年は驚いたような顔をしたあと、やっぱりちょっと申し訳なさそうに頭を下げた。
「え、あの!」
「またね」
風丸くんというらしい彼に微笑みながら手を振ると、後ろから追いかけてきた声に聞こえないフリをして僕はそこを後にした。
彼とはこれから同じ学校になるんだし、今話し込まなくてもきっとまた会える。その時に改めて名前を聞きたいなあ、と思いながらグラウンドの脇を行きとは逆の方向へと歩く。
「サッカー、したいなあ」
零れでた言葉を、僕は殺した。