▼ 愚者の意地
そういえば、僕の予想は結果的に当たっていた。
あの家は確かに高層マンションの中の一室で、さらに言えば最上階だった。そして付け加えるとフロア貸し切りだ。
玄関を出てから気付いたその事実に、どうせ僕一人しか住まないのにとんだ金の無駄遣いだと思った。
呆れとかそういう感情も飛び越えるというものである。
理解したいとは思わないけど、ますます“神様”とやらが何を考えているのかがわからなくなった。
けれどそのおかけで、やたら目立つ…というよりも、正直この下町の風景から浮きまくっている建物を目印に帰ってくることができた。
これもあの少年のおかげだ。
いい子だったからまた会いたいなあ、と思いながら僕はジャージからきちんとした服装に着替える。
雷門中学校とやらに制服と生徒手帳を取りに行く為だ。正直中学なんて義務教育だし、僕にとっては二回目だしでどうでもいいのだけど、この家に一人でいることの方が嫌だった。
どこもかしこもがらんとしていて、音も人の気配もない。こんな家に閉じこもってたら、多分僕はそのうちダメになる。
“神様”がもし、僕がそう思うことを見越していたのだとしたらどこまでもムカつく野郎だ。
他の学校にしてやろうか、と一瞬考えないでもなかったけど、手続きの手間や他の学校とこの家の距離を考えるそこしか残されていない。
「さて、行きますかね……」
声に出して呟くと、僕は必要なものを手近なかばんに詰め込んで、本日二回目の外出を決行した。
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校門から入ると、校章らしき稲妻形のエンブレムが真っ先に目に飛び込んできた。
「また稲妻か……」
この町はどこを見ても稲妻形であふれてる。そういえば町の名前も稲妻町だった気がするし、そのせいかな。
そんな取り留めもないことを考えながら、僕はグラウンドの脇をたらたら歩く。 視線は真っすぐに、ただ稲妻形を目指して。
それでも、視界の端のほうにサッカーポストやラインの白さがちらつく。
ギリッ、と噛みしめた口の中で嫌な音がした。
たった一つだけ、僕は自分に決め事をした。
『この世界で、サッカーはしない』
練習は続ける。走ることも止めない。一日だってトレーニングは欠かさない。
でももう、あのピッチには立たない。
僕は、そう決めた。僕がどこにいるのかを理解した、昨日から。
元の世界にいたとき、藤代という後輩があるサッカーゲームにハマっていたことがある。
当時の僕が中学三年生ぐらいだったと思うから、今から二年も前の話だ。
そのゲームのタイトルは忘れてしまったけど、どこかの中学校のサッカー部が仲間を集めて数ヶ月で全国制覇する、といったはちゃめちゃな内容だった気がする。
話半分にしか聞いていなかったのでとにかくうろ覚えだけど、珍しいなと思ってなんとなく覚えていたことがある。
それが、必殺技だ。
元々子供向けのゲームのようだったから、派手なアクションを取り入れようとしたのだろう。
藤代はなにやらイレ込んで色々細かい所までこだわっていたようだけど、僕は興味がなかったので完全にスルーしていた。
他に覚えてることと言えば、オーエンジだかキトウだか忘れたけど、そいつらと戦いたいと藤代が騒がしかったことと、ドレッドマントのキャラクターくらいだ。
けど、そんなことはどうだってよくて。
僕はここがそのゲームの世界なのだろうとほぼ確信している。
備え付けのパソコンでも検索済みだし、その為に今朝新聞を買ったのだ。
元の世界じゃありえない、必殺技の存在。
それがここでは当たり前のようにある。
「馬鹿らしい」
口の端が引き攣れた。
わざわざ“僕”をこの世界に連れて来たということは、例の“神様”は僕にサッカーをさせる気なんだろう。
こちらの世界のこちら流のサッカーを、この僕に。
なら、わざわざその“神様”の思惑通りに踊ってやる必要はどこにもない。
ようは“こちら”のサッカーをしなければいいだけの話だ。
僕は、僕のサッカーを貫く。
その為に僕は、もう誰ともサッカーをしない。
……簡単なことだ。
必殺技なんてない、いつものサッカーを僕は一人で続ければいい。
一人が嫌になったら必殺技を禁止されてるらしいフットサルとか、まだきっとやり方は色々あるだろう。
思考に耽りながらようやく玄関にたどり着くと、僕は一度だけあのグラウンドを振り返った。
真っすぐに引かれた白いライン、ゴールポスト。
僕はなんだか泣きたくなって、薄く笑った。
帰って、もう一度みんなでサッカーがしたい。
それが、僕が心から望んだものだった。
あの世界にいる限り、僕らは別れてもサッカーで繋がっていられた。
だけど“神様”はその絆をあっさりと断ち切った。……憎いし、理不尽だ。どうして僕だったんだろうかと、今でもずっと考えている。
気を抜くと膨らんだ怒りで自分がどうにかなってしまいそうで、僕は大きく深呼吸をした。そしてまた蓋をする。
「大丈夫、まだ、大丈夫だ」
一人でもきっと耐えてみせるよ。
そして僕はグラウンドに背を向け、校舎へと歩み出した。