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エバー・アフター

 ワンス・アポン・ア・タイム。と言うほど昔のことではありませんが、とある魔法学園に一人の異邦人がおりました。

いえ、異世界人と称した方が的確でしょうか。ともかく、その異邦人は兎を追いかけて穴に落ちた少女のように、どこか別の世界から魔法学園へやってきた迷子の女の子でした。優しい理事長の采配で、彼女はだれも使う者がいなかった古びた館を寮としてあてがわれ、帰り道を探しながら一匹の黒猫とともにこの魔法学園に通うこととなりました。

 おもちゃ箱をひっくり返したように騒々しい、おかしくて楽しい毎日の始まりです。

 彼女は学園に通う多くの者と交流を持ち、ともに勉学に励み、遊びました。女の子は残念ながら魔法を使うことはできませんでしたが、青い目の黒猫が時には彼女の杖となりました。

 親しい友、頼りになる先輩に囲まれた女の子はいつも微笑みを絶やさず、幸福そうです。それはだれの目にもよく磨かれた真珠のようにきらきらと光る、うつくしい青春の日々に違いありませんでした。

 ゆっくりと、けれど確実に移ろう時のなか、女の子に恋心を抱く者もおりました。

 このままここに残ってくれないか、と願いを口にする者がおりました。けれど女の子は静かに首を横に振って、帰り道を探すことを諦めませんでした。

 俺とともに国に来るなら居場所を与えてやる、と誘いを口にする者がおりました。けれど女の子は静かに首を横に振って、帰り道を探すことを諦めませんでした。

 神秘に満ちた海の底へおいでになりませんか、と懇願を口にする者がおりました。けれど女の子は静かに首を横に振って、帰り道を探すことを諦めませんでした。

 季節が一巡したある日、女の子はとうとう帰り道を見つけました。ある者は彼女とともに喜び、ある者は祝福し、ある者は餞別を贈り、ある者は寂しさに涙し、ある者は、ある者は、ある者は。

 ある者は、彼女の似姿を描きました。


*****


「ジェイドってばま〜たキノコ採ってきてオレに食わせようとしてくるんだけど、マジありえなくね? いい加減にしろっつーの」
「ジェイド先輩のキノコ好きも相変わらずですね」
「キノコ好きっていうか、あそこまでいくとキノコ狂いって感じ。なんか怖え」
「フロイド先輩にそこまで言わせるなんて……」

 よっぽどですね、と神妙に頷く少女にフロイドもげんなりと頷く。よっぽどなのだ。

「つーか小エビちゃん今日はオレがいない間なにしてたの〜?」
「えっと、そこの窓の外に遊びにきてくれた魚さんがいたのですこしお話してました」

 そこ、と言ってもフロイドの部屋の窓は一つきりだ。カーテンを掛け忘れた嵌め殺しの窓の外にはどことも知れない暗い海の世界が続いている。そういや最近泳いでなかったなあ、だとか、珊瑚の海で泳ぎてー、だとか、フロイドの思考はあっちこっちに飛んだが、彼は少女との会話を続けることにした。額縁のなかを覗き込む。

「小エビちゃん魚と話せんの?」
「いえ、私が一方的に話しかけていただけです」
「それ話したって言わなくね〜」

 フロイドがケラケラと笑うと少女はしゅんとした様子で顔を俯けた。いかにも繊細そうな少女らしい反応に、色の違う双眸が退屈そうに細くなる。ねえ、と呼びかけると思っていたよりも冷たい声が飛び出た。

「はい、どうしました?」
「ちゅーしていい?」
「ちゅ……?」

 よく分かっていないらしい。不思議そうに首を傾げた少女にフロイドは苛立ちを飲みこんでにんまりと笑ってみせた。

「いーからさあ、目ぇつぶってよ。オレが恥ずかしいじゃん」
「? えっと、こうですか?」

 意味を理解していなくてもフロイドがお願いすればこの少女はなんでも叶えてくれる。従順に瞳を伏せた少女をフロイドはしばらくの間眺めていた。

 彼女の頬は彼の故郷でよく見た珊瑚のように色づいている。よく笑い、喋る唇はハチビキのように鮮やかな赤色をしていて、いつも幸福そうに結ばれていた。そう、ちょうどこんな風に。

「フロイド先輩?」

 彼女の呼びかけに返事をしないままフロイドは唇を無造作に押し当てた。

 ざらりとした凹凸が唇をくすぐり、鼻の先が擦れる。ツンと香る独特の匂いがした。想像していたよりもずっと呆気ない、児戯のような触れあい。

 そうやってしばらく押しつけたあと、ようやく掴んでいた額縁を遠ざける。少女は目を閉じたままだった。

「もういーよぉ」

 おざなりに声をかけた途端、待ちくたびれたと言いたげに少女のまぶたがパッと開く。ちゅーの意味を知らない少女はなにをされたのかも知らないのだ。絵のなかの少女はただ、くすくすと楽しそうに笑って指先でちょんと自身の鼻を指した。

「絵の具が付いてますよ、フロイド先輩」


****


 ある者は、彼女の似姿を描きました。その絵は命を宿し、喋り、歌い、笑って家へ帰った女の子の代わりに彼を楽しませてくれます。幸福でした。女の子の肌に触れることはなくても、その温もりを知ることはなくても、きっと。

 だからお決まりの言葉で終わりましょう。エバー・アフター、と。

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