「変わったお化粧ですね」
すこし言いにくそうに口にしたアイツに、ああ、と。落胆しなかったと言えば嘘になる。
左の目元に描いた赤いハートマーク。どこか道化じみたこの化粧を施していた日々と同じ長さの月日があの日の別れから過ぎていた。
その間も時間は互いの上に平等に降り積もっていたらしい。すっかり垢抜けて女性らしくなった面差しは知らない人みたいで、ついあの頃の面影を探してしまう。まあ、記憶を失った彼女からしてみればオレの方こそ正真正銘あかの他人なのだけれど。
それでも、あの日よりもずっと伸びた髪の長さが切なくて、どうしても綺麗だとは言えなかった。
あれもこれもそれも全部、オレの勝手な感傷だ。
ツイステッドワンダーランドを捨てたアイツの記憶が戻ることは絶対にない。
そう理解していても、なにか思い出すかもしれない、なんて。ほのかに抱いていた馬鹿みたいに甘い期待が舌を苦くしびれさせた。
「でも、」
曖昧に笑ったオレに気をつかったのか、彼女がたどたどしく言葉を繋げる。
「とてもあなたに似合っていて素敵です。それに、なんだかふしぎと−……」
ふしぎと。
赤い唇がもどかしそうに繰り返したが、結局、続きが生まれることはなかった。
「ごめんなさい、私なにが言いたかったのか……」
戸惑うように瞳を伏せたアイツに首を振る。
気休めの言葉だったのかもしれない。それでも、彼女のいまの心が嬉しかった。
褒めてくれてありがとう、とオレにしては直球に礼を述べてみても彼女の顔は晴れない。
……おまえがそんな顔する必要、ないんだよ。
相変わらずのお人好しっぷりを懐かしく思う一方で、ほんのすこしだけ悔しかった。吐き出せない感情の代わりにスゥと息を吸い込む。
「ハイちゅうもーく!」
いきなり声を張り上げたオレに彼女の肩がピャッと揺れた。ようやく、真ん丸に見開かれた黒瞳と正面から目が合う。
逸らされないようにしっかりと視線を絡めながら両手を持ち上げて掌を開き、そのなかになにもないことを見せつけた。
「あ、あの……?」
「驚くなよー?」
なんて、うそぶきながら掌を握りしめて両手を重ねる。あとは指輪に変えた魔法石に魔力を通すだけだ。
種も仕掛けもある、ちんけな子供騙し。
「わあ……!」
だというのに、頬を赤く染めてキラキラの瞳で見つめられれば悪い気分にはならない。微かな感傷には蓋をしながら魔法で生み出した花を彼女に差し出した。
「はい、ドーゾ」
「え、でも」
「いーから。男が花持ってても仕方ないでしょ」
肩をすくめるとようやく遠慮がちな指先が花を受け取る。
「きれいなシオン……」
「へえ、知ってんだ? オレの好きな花なんだよね」
「一緒です! 私もすごく好きな花なの」
知ってるよ。喉元までせり上がった言葉を飲み込む。
ほころぶように微笑んだ彼女がシオンの香りを嗅ごうと花に顔を寄せた。
無防備な赤い唇が口づけるようにやわらかな花弁にしっとりと触れて、やがて離れる。
たったのそれだけ。それだけなのに。
もう、これで十分だと。オレはそう思った。
「さてと」
その一声をあげるにはずいぶんな気力が必要だったのに、後の言葉はするりと出ていく。
「オレもう行くわ」
「え、」
「突然呼び止めて驚いただろ、ごめんな。……じゃ、良い休日を」
手を振ってあっさり踵を返すと、数歩も行かないうちに後ろから躊躇うような声が追いかけてきた。
「……っあの!」
彼女の言葉はそこで途切れる。アイツのことだからオレの名前を呼ぼうとしたのかもれない。でもそんなもの、彼女の記憶のどこにも残っているはずがない。
アイツにとってのあかの他人であり続ける為に、不自然な間が開くのにも構わずオレは足を動かし続けた。
「このシオン、大切にしますね。だから、あの……どうか、ずっと元気で、幸せに、」
聖女のように清らかな祈りを紡ぐ声は今にも泣き出しそうだった。
ヘタクソ、と唇だけで笑おうとして失敗する。
ずっと元気で幸せに、なんて。ありふれているクセに無茶で欲張りで傲慢な願いだ。あかの他人のくだらない祈りなんてとっとと忘れてしまうに限る。
そう思うのに、シオンに口づけた彼女の姿がまぶたにこびり付いて、二度と取れそうもなかった。
ほんと、残酷なヤツ。
言葉になりそこねた悪態がぽとりと爪先に落ちて、ただ、アスファルトを汚した。