▼ 甘い声も冷たい唇も
「シオン、それはちがう」
モミジにそう言われて、シ=オンは心臓が潰れる音を聞いた。「ぐちゃり」。ああ、汚らしい音だな。シ=オンは表情を変えないまま、モミジの白い、青褪めた顔を見ている。
「なにが?」
心臓が潰されたのに、案外するりと冷静な声が出てシ=オンはおかしくもないのに大笑いしたくなった。頭の中で、『心臓って潰れても生きていけるんだな!』と、孤児院中を走り回ってそう叫ぶ姿を夢想する。しかし残念なことに、今日は雨が降っているから外に出ている人間は少ない。実行したところで、雨に濡れるだけ濡れて終わるだけだろう。
「ねえ」その代わり、シ=オンは楽しげに囁いた。
「なにが違うのか、教えてよ、モミジ」
ふふ、と微かに笑い声をあげるとモミジの長い睫毛が俯きがちになった。泣くのだろうか。そう思うと、余計にたまらない気分になった。かっと眼球が熱くなって、なにかがこぼれ出しそうになる。
「モミジ、おしえろよ。なにが違うんだよ、なにが、なにがちがうって言うんだよっ!」
ひどく惨めな気分だった。欲しいと思った。欲しいと思われていると思った。だから、これだと思ってキスをした。モミジの、いつか触れた唇に自分のそれを重ねた。それはあたたかいと思っていた。でも、シ=オンの予想と違ってモミジの唇は冷たく渇いていた。
「しおん」
モミジのあまい声がどこか空々しく聞こえる。モミジの本心が聞きたかった。それと同じくらい、耳を塞いでしまいたかった。
「わたしはシオンが好きだよ。でもシオンの思うような、好き、じゃない。シオンが抱いているわたしへの、好き、も、そうじゃない、よね?」
普段よりもたどたどしい、不安をいっぱいに抱いたか細い声にシ=オンは、はっ、と馬鹿にしたように息を吐きだした。
「……ああ」
声を絞り出して「モミジの望む答え」をシ=オンはただなぞる。それだけで、目の前の儚い少女は安堵したように笑った。例えその頬は青褪めて、黒い瞳が揺れていようとも、安堵したように装って一生懸命に笑った。
それに気付いていたから、シ=オンはモミジを詰ることが出来なかった。代わりに、ぽつりと呟く。
「モミジは、オレのそばにずっといるんだよな?」
「……うん、ずっと、いるよ」
モミジの黒い瞳は窓の向こうに投げかけられていた。土臭い匂いの広がる、雨粒混じりの冷たい風が吹く部屋の中でシ=オンのちいさな恋はひっそりと終わりを迎えた。