例えるなら白い徒花(使用不可) | ナノ


▼ 彼女の手は冷たかった

嫌な夢を見た。

一度飛び起きてしまったせいか、先程見た夢のせいか、とにかくシ=オンはもう一度眠ることが出来なくて諦めて床を抜け出した。大部屋にはシ=オンのような孤児たちがたくさんいるが、みんなよく寝ている。起きているのはシ=オンただ一人のようだった。

月明かりを頼りに、音を立てないよう静かに部屋を出るとあてもなく廊下を歩く。皮肉なことに、薄暗い闇の中を歩くことには慣れていた。しばらくそうしていると、汗ばんだ体に夜気が心地よく絡んで、シ=オンの頭も身体も冷やしていく。ようやく人心地つくことができそうだ。シ=オンはそう思って、そっと息を吐きだした。しかし、


「シオン」


寛ぎかけた矢先の呼びかけに、シ=オンは慌てて後ろを振り返った。リアン。そう思ったが、振り返った先にいたのは見覚えのある少女だった。薄暗い廊下の奥に、いつからいたのか白い少女があわい微笑みを浮かべて立っている。廊下の暗さのせいか、どこかぞっとする立ち姿だった。


「……モミジ?」


ありったけの懐疑をこめて言葉を放ると、モミジは「うん」と笑ってかるい足取りで近づいてくる。特別忍んでいる風でもないのに、足音はしなかった。


「ひさしぶり。どうしたの、シオン。おかしな顔してる」
「おかしなって……」


頭が痛くなってくるモミジの切り返しにシ=オンが思わず額に手をあてる。絶句しそうになったが、とにかく言ってやりたいことがたくさんあった。その中から大事なことを選び出して、シ=オンは口を開いた。


「おまえ、本当にモミジか?」


シ=オンの問いに、モミジの大きな黒目がきょとんと瞬く。そこで彼女の足も止まったせいで、シ=オンとモミジの間は二人だけで話すには微妙な、わずかな距離が生まれた。


「どうして?」


頷きも否定もせず、ただ困ったように笑うモミジにシ=オンはますます警戒心を表すように瞳を光らせる。


「あれから大部屋にも、中庭にも、礼拝中にも食堂にもどこにもモミジを見なかった。いくらなんでもおかしいだろ、あれから二週間も経つんだから」


あの花摘みのあとに別れてから、シ=オンがモミジをどこかで見かけることはなかった。それどころか、だれの話を盗み聞いても「モミジ」の名前が出ることはなかったし、女子に聞いてみても「そんな子知らない」と答えるばかりだったのだ。シ=オンの疑問は至極当然のものだった。答えないモミジの代わりのように、シ=オンの言葉は続く。


「なあ、あんただれなんだよ。モミジってだれだよ?」


モミジは答えない。シ=オンは段々と、冷やしたはずの身体が頭が熱くなっていくのを感じた。


「どうして答えない!」


ほとんど悲鳴のように叫んでも、モミジはただ沈黙を守っていた。なにがそんなに苛立たしい? 頭の冷静な部分がシ=オン自身にそう投げかけたが、沸騰する脳内はその疑問を破り捨てる。黙って突っ立ったままの、この恐ろしく白い少女が不気味でしょうがなかった。熱に浮かされたように、シ=オンの口はさらに動く。


「なあ、ほんとうにモミジっているのか? あんた幽霊じゃないのか? 本当はオレをッ」


ころそうとしているんじゃないか。

そう言いかけて、シ=オンはなんとかその言葉を飲み込んだ。そんな訳ないだろ。そう思うのに、目の前の現実とさっきまでの夢がおかしな風に混じり合っていく。


夢の内容がリフレインする。


爆弾の投下が収まって、静かになった暗い荒野をシ=オンが走っている。やがて薄汚れた小屋が現れて、引き出しの中から食べ物を見つけた。そうしたら大人がやってきて、銃を向けられて――……それで、それで、オレが殺した。勝った? ……生き伸びた。


「後悔なんてしていないんだ。もう一度オレの前に出てきたら、やっぱりオレはそいつを殺す」


そうだ、そうだ。オレが殺したのはだれだ? 大人だ、兵士だ。こんなガキなんかじゃない。違う、じゃあ大丈夫。でもじゃあ、モミジってだれだよ? だれなんだよ? ほんとうにいるのか? どうしてこんなに、こんなに。


ぐるぐるぐるぐる、際限なく思考が言葉が脳みそを回って、小さなシ=オンの頭を乱していく。水分が足りない。乾いた口内に、シ=オンはぼんやりと水を求めた。


「しおん」


気付くと、シ=オンの目の前にモミジが立っていた。はっ、はっ、とだれかの荒い呼吸が耳につく。うるさい、と言おうとして、それが自分の呼吸であることに気付いた。全身にひどく汗を掻いている。

「あ、?」呆けたような、間抜けた声が勝手に口から出た。放心したままのシ=オンの頬に、モミジはそっと自分の手をあてる。シ=オンと違う、白くちいさな手だった。冷たい。シ=オンは感覚を取り戻したばかりの頭でそれだけを感じた。


「わたしは、モミジ。ここにいるから、どこにも行かない。ずっと、シオンのそばにいる」
「オレの、そば?」
「うん。シオンのそばにいる。だからお願い、泣かないで」


モミジの冷たい手がシ=オンの頬をなぞる。シ=オンはその心地よさに無意識に瞳を細めながら、額に浮かんだ汗も拭かないでくすぐったそうにちいさく笑った。


「オレ、泣いてないよ、モミジ」


シ=オンの言う通り、彼は泣いてなどいない。けれどモミジの手は彼の未だ幼い頬を拭うことを止めなかった。



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