外は木枯らしの如く冷風吹いている中、カードキャピタル店内は昼時故なのか、あまり混雑していなかった。そんな中1人。少年アイチは、椅子に座りドアから見える空を眺めていた。
「アスナお姉ちゃん!」
「どうしたの?アイチ」
僕の呼び掛けに、アスナ姉さんはすぐに応えてくれた。
「今日は何のお話をしてくれるの?」
お母さんが仕事で忙しいとき、いつも遊んでくれた。でも一番好きなのは、アスナ姉さんの話す物語。日常生活の中で、一番好きで、よく思い出しては続きをイメージした。
「なんの話がいい?」
アスナ姉さんが本棚に手を掛けようとしたとき、僕は楽しみで仕方ない興奮を抑えながら、言った。
「きゅーけつきさんの話がいい!」
そう言うと、アスナ姉さんは困ったような顔をする。
そして、優しく頭を撫でてくれて。
「仕方ないね。また寝てしまうかもよ?」
「そ、そんなことないよ!ぼく、寝ないもん」
あの話の内容だけは、あまり覚えていない。だから、終わりを覚えていたかった。
「……そっか」
なんで、なんで。
どうしてそんなに悲しそうなの。どうして。
ぼくが夜中にこっそり来たときも。夜道を歩いたときも。歯が丈夫になったときも。怖い夢を見たときも。いつもいつも、悲しい顔をしていた気がする。
あのときだって。
ぼくが知ラナイ人ニ襲ワレタトキモ。なんで、ナンデ。
ナンデ、襲ワレタノハボクナノニ、首ガ真ッ赤ナ知ラナイ人を、心配シテルノ?
「……ぃ。…い。おーい!」
「っ!…三和くん?」
三和の声に、アイチはふと我に返る。三和の心配そうな表情に、どうやら長い間意識を飛ばしていたようである。
カードキャピタルに着いてから席に座って、それから空を見上げて。そのときからだ。…そのときに何か、何か頭に過った気がする。
…そうだ。叔母である、だが今では完全な音信不通(行方不明とでも言っていいかもしれない)となってしまっている先導アスナのことを、久し振りに思い出したのだ。しかし、あんまり分からない。一体何を思い出したのだろう。何か、お伽噺を話していたような気がする。
ざわめいた心から、なんだか悟ってはいけない気がした。本能的に、悟ることを拒んでいるような。アイチ自身さえも、その理由は分からなかった。
「ごめんなさい三和くん。ボーッとしてたみたい」
「そうか?ならいいんだけどよ!」
ポンポンと肩を叩く三和は、やはり兄のようなイメージだ。
アイチの乱れた心は、妙に落ち着いた。
季節は冬。じりじりと太陽が周りを照り付けるくせして、寒い北風が外を吹き荒れている、よく分からない微妙な空気へとなっていた。受験も終了してから、太陽がよく照り付けてきていたから、春が近いのかもしれない。
安心する冬から春への変わり目のせいか、それともアジアサーキットが終了してからアイチの気が抜けたせいだろうか。最近、周りを見るのが怖くなった。太陽が嫌いになった。なぜだろう。
アイチは再び背筋が寒くなって来るのを感じた。
「…アイチ?」
ミサキが訝しそうに首を傾げる。アイチは小さな声で言った。
「今日は帰りますね。なんかボーッとしちゃって…家で寝ようと思います」
アイチはそう言うと、フラフラと外へ出ていった。
カードキャピタル店内、カムイは元気が無さそうに呟いた。
「お兄さん、最近元気ないんだよな」
「なんか知ってる?カムイ」
ミサキがカムイに訊ねると、悩むような仕草をした。
「なんつーか……元気がないというか…なんか、意識が抜けてる?茫然実質?ってやつ」
「…茫然自失?それ」
「そっ!それ!」
ミサキは呆れ気味に溜め息をつく。だが、ミサキにも心当たりがあった。
なんだか魂が抜けているというか、脱け殻にでもなったかのようにボーッとしているときが最近多い。声を掛けても、返事がないのだ。それに気が付くと、返事があまり返らないときが多くなったことにも自動的に気付いた。
あのときの__惑星クレイと地球の運命を賭けたあの闘いが、影響しているのだろうか。それとも、アイチを悩ませるだけの何かがあったのだろうか。だが、後者の場合ミサキが見ている限りではそんな素振りは見せなかったと思うのだが。
ミサキはふとドア向こうの空を眺め、溜め息をつく。
…そういえばアイチ、陽射しを避けたり、何か切なげに空を見上げることが多くなった気がする。
×××
それから次の日のこと。
店長やミサキ、そして三和は、いつも通りカードキャピタルを運営させていた。櫂も珍しくいる。しかし、まだアイチ達は来ていない。まだ昼時だから、もう少ししたら来るだろう。
そんなときだった。
ミサキが店から外に出て、店の前を掃除していた。
なのにどうして、気が付かなかったのだろう。
目の前には、アイチに瓜二つの顔をした女性が、立っていたと言うのに。
その女性は、ミサキと同じくらいの背丈をし、冬だからこそだろう羽毛のコートを着込みブーツも穿いていた。だが、春の兆しがあるとはいえ、まだまだ寒い冬には珍しい漆黒の日傘を、彼女はさしていた。アイチとの違いは、髪の長さだけかもしれない、正に瓜二つの顔をしている。
そのとき女性の表情は、どこか辛そうに眉を顰めていて、そしてゆっくりと身を傾け始めた。
「あ、危なっ!」
ミサキは思わず女性を抱き止める。
女性は驚いたように目を見開くが、途中で微笑みに変わった。
「すみませんお嬢さん。君の後ろにある店にまで、少し運んでもらってもいいでしょうか?」
「言われなくとも…」
そんなに辛そうにして、何を言うのだろう。微笑んでいても、辛いという思いはミサキにひしひしと伝わってきた。
取り敢えずミサキは、その女性を店内に運ぶ。
それを見た三和や店長は驚いたように駆け寄った。
「ど、どうしたんだよその人!って、アイチにそっくり?」
「うっさい三和!それよりもシンさん!この人を早くスタッフルームに!」
「は、はい!」
新田がミサキの訴えに対応すると、女性は小さく言った。
「そんなに大袈裟なものじゃないから大丈夫です、お嬢さん」
女性はミサキの腕から離れると、よろよろと立ち上がる。
「でも…お水だけ、もらえますか?」
それから暫くその女性は椅子に座り、空を眺めていた。ミサキが心配そうに水を渡すと、女性は笑顔で受けとる。
「ありがとうございます、お嬢さん」
女性はそう言い、水を一気に飲み干す。すると、女性は申し訳無さげに呟いた。
「飲食禁止だったんでしょう?すみません」
きっと店内の張り紙を見たのだろう。ミサキはその女性を労うように言った。
「いいよ、あのまま倒れられても困るし」
「ありがとう」
女性はそう言い、くるくると店内を見回す。すると、女性はミサキに言った。
「ここは、ヴァンガードもおいてるんですか?」
「おいてるよ。あんたもやるの?」
「うん、一応。でも、ヴァンガードは確か、甥がやっていた気がしたんです」
「甥?」
ということは、この女性は見るからに童顔だが一応大人ということだろうか。
その女性は、にこやかに笑っている。それは大人の余裕というやつなのかもしれない。
「おみやげに買おうかな、ゴーパラとか収録されてるやつ」
「ん、何パック?」
「10パック」
本当に大人というやつは金をたっぷり持ってやがる。
ミサキの偏見的心中は少し荒ぶったが、無事に会計を済ませ終える。女性は優しそうな笑みをして言った。
「そういえば君の名前は?」
「ミサキ。戸倉ミサキだよ。あんたは?」
そう聞くと、女性は微笑みを崩さずに答えた。
「先導アスナだよ。宜しく、ミサキちゃん」
『先導』
その苗字に、ミサキは首を傾げた。それを聞いていた三和は、明るげに女性へと笑い掛けた。
「なぁアスナ…さん?俺、三和タイシ。『先導』って、アイチの知り合い?」
三和の言葉に、女性は目を丸くした。
「あれ?甥と知り合いなの?」
「甥って…」
三和が言い掛けたそのとき、自動ドアが開いた。
「こんにちはー!」
カムイの元気な声が、店内に響く。カムイと共にやってきたのは、アイチだった。
「こんにちは。櫂くん、ミサキさん、三和くん……。え?」
アイチは目の前の女性_アスナを見て驚愕したように目を見開く。そしてほんの少しの静寂から、アイチは漸く口を開いた。
「…アスナ、姉さん?」
その言葉は、皆を驚かせるには充分過ぎるものだった。