これはとある、吸血鬼のお話。


昔々の太古の昔。あるところに、純血であり、そしてとても冷たい孤独な心を持った吸血鬼の少女がおりました。その少女は、吸血鬼の中で“王”と称された階級である、ただ一人の娘でした。
“王”には、万能な運動能力と回復力、幾千年も渡れるだろう寿命を持っていました。そして、その吸血鬼の血を飲むと、不死身に成れるという噂がありました。
少女の力を、人々は無数に欲しがりました。
少女は、人々から逃れるために、山奥へと隠れ住みました。最初は、召使としての仲間は沢山いました。だから少女は淋しくありませんでした。しかし、仲間は時が経つに連れ、仲間は寿命が尽きたり、太陽の光で消し炭となったり、もしくは人に捕まり実験台となり、消えていきました。
千年の時が過ぎたときには、遂に吸血鬼は少女1人のみになってしまいました。
それから少女の心は、砕けてしまい、少女から感情が消えてしまいました。少女は既に、数千年を生きていました。だからこそ、人を、生物を拒絶したのかもしれません。悲しみから、逃れるために。
とある日。少女にとっては、千年のうちのとある日のこと。
少女は1人の少年に出会いました。
少女はその日、血を吸う為に外へ出ていました。そのとき路地裏で、たった1人、少年が踞っていたのを少女は見たのです。
少女は少年に駆け寄ると、言いました。

「どうして泣いてるの」
「…泣いてなんて、ない」

そう答えた少年に、少女は悲しそうにしました。

「悲しいの?辛いの?」

少女はしゃがみ込み、少年と視線を合わせました。
すると少年は翡翠の瞳を瞬かせ、ポロポロと涙を溢しました。

「……死んじゃったんだ、父さんや母さんが」
「…そっか」

少女は悲しそうに微笑みました。

「辛かったんだね。苦しくて、悲しくて、心細かったんだよね」
「…吸血鬼にも、こんな気持ちがあるのか?」

少年は少女に語りかけます。少女は悲しそうに微笑みながら、少年を抱き締めました。

「あるよ。悲しくて辛くて。慰められて、自分が孤独に感じる気持ち」

少女は少年の頭を撫でます。
少年は泣いた顔を少女の肩へと埋めました。
少女にとって、少年は自分とそっくりだったのです。悲しい、そう心の寂しさを敏感に感じ取り、少女は少年に惹かれました。少年も、また同じだったのです。
それから、吸血鬼の少女と人間の少年は毎度その路地裏で逢いに行きました。互いの存在が、慰めるだけから、傷の嘗め合いだったはずが、いつのまにやら、離れたくないと、まだ一緒にいたいと、二人は思ってしまったのです。
ある日、少年は親族の都合により、この町から離れなければなりませんでした。

「そっか、行ってしまうんだね」
「…離れたくない」

少年は、少女を離そうとしません。少女もまた、彼を離したくありません。でも、人間は人間同士でいなくてはなりません。
少女は心を鬼にして、少年を引き剥がしました。

「…」
「また、逢えるよ」

少女はそう言うと、少年に背中を向けました。
少年はその言葉を噛み締めるように俯き、言いました。

「俺、絶対強くなる。強くなって、きっとお前を守れるようになるから」

だから、待っててくれ。

その言葉に、少女は涙目のままに振り向き、少年にキスを落としました。
嗚呼、この子も辛いはずなのに。
少女は自分の弱さに、心を痛ませました。
それでも少女は最後に少年の頭を一撫でし、少年のもとを去ってしまいました。












「え、そのあとどうなるの?アスナお姉ちゃん」

まだ幼い少年は、物語を語る女性に聞く。
女性は、少年の自分と同じ蒼い髪を撫でながら微笑んだ。

「アイチ、そんなに聞きたいの?随分長く話したと思うのだけれど」
「うん!だって、アスナお姉ちゃんのお話、だいすきなんだもん」
「そう。じゃあ、もう少し話してあげようね。千年を生きし吸血鬼な女の子と、総てを喪った男の子の物語の先を」











それから、十数年の時が過ぎました。
しかし吸血鬼の少女は変わらぬままに、未だ同じ姿です。
まだ館に住み、少年が帰ってくるのを待っていました。何度もあの路地裏に通い、いつまでも待ちました。
それを繰り返し、十数年。
少女がそこに行くと、今度は誰かがいました。背丈も大きく、大人びた青年のような気がします。
近付いてみると、その顔には見覚えもあり、雰囲気も香りも知っていました。
そう、その青年はあの少年だったのです。
少女は青年が名を呼んでいるときに、青年を抱き締めました。

「久しぶり、だね」

少女は、少年_青年と再会を果たしました。
青年も少女を淋しかったとばかりに、甘えるようにその少女に寄り添いました。
それから少女と青年は、ずっと共にいるために、とある契りを交わしました。
青年は少女の主として血を与え、少女は青年の遣いとして、側にいるのです。
青年は、本当は自分も吸血鬼となり、少女と共に生きたいと願っていました。しかし、それを少女は赦しません。なぜなら、少女は自分のように永遠をさ迷ってほしくなく、青年にはヒトとしてその命を全うしてほしかったのです。ヒトの世に生まれれば、ヒトの世で生きるべきなのですから。どの世でも、その種族で生きるべきなことを、少女は知り得ていたのです。
青年はそんな少女の想いを汲み取り、少女の願いを尊重しました。
だからこそ、契りを交わしたのです。愛しきヒトとの暫くの安らぎと共存の為に、愛しき吸血鬼との幸せと尊重を祈るために、愛すために。
青年は成長し、大人へとなりました。何かを受け止められる、強い者へと。
それでも、少女への想いは溢れていました。しかし青年は少女へその溢れる想いを伝えませんでした。少女は、自分の意志を束縛するものを何よりも怖がっていました。だからこそ、言いませんでした。
しかし、とある日のことです。
少女と青年が共にいる姿を、青年の友人に見られてしまいました。その友人は、少女に恋をしました。しかしそれは見掛けだけのまやかし。それゆえに、青年が少女と共にいようともお構い無しに、少女にしつこく言い寄りました。
嫉妬した青年は、その友人に少女を諦めるよう話しますが、友人は聞きません。二人が言い合っていると、少女がやってきました。
少女はその状況を即座に把握しました。青年が酷く荒ぶっており、柄になく我を忘れていました。だからこそ、その友人への見せしめも込めて、少女は青年を抱き締めました。それをみた友人は、絶望し離れていきました。しかし、青年と少女は気にも留めません。少女は青年を館へと招き、そっと再び抱き寄せました。

「愛しい君。どうか嘆かないで。私は、貴方しか見えない。貴方以外には興味がないのだから。だからどうか、顔を見せて」

しかし、青年は首を振ります。
なぜなら、青年は自分のどろどろとした黒い感情を、少女に見せたくなかったのです。少女はヒトの心の闇を深くまで知り、そして嫌悪してきました。それゆえに、青年は少女に、嫌われることを恐れたのです。
しかし、その行動に対し少女はにこやかに微笑みました。

「嫌わないよ」

青年が顔をあげます。少女は微笑んだままでした。

「むしろ嬉しいの。私を束縛してくれる。私を大事にしてくれている。その感情の主が貴方だからこそ、愛おしい」

少女の言葉で、青年は今までの感情を吐き出しました。少女はただただ、青年を抱き締めていました。少女は嬉しかった。もっと、愛して、愛してほしかったのです。
それからより一層、青年と少女の絆と愛は深まっていきました。










「わぁ!幸せになったんだね!」
「そうだね。ハッピーエンドだね」
「うん!…これでおしまい?」

少年の訊ねに、女性は「そうだね」と開いている本に視線を落とす。開かれた分厚い本のページは少年には分からないが、だいたい半分ぐらいのところで本が開いていることから、まだまだ続きがあるではないのかと少年は目を輝かせる。
そもそも少年がこの物語を語るように強請ったのは、ここまでからの続きを知りたかったからだ。ここまでは沢山、飽きるほどに読んでもらっている。だが、話が長い故に、いつも少年は眠ってしまい、最後まで聞けず終いになってしまっていたのである。だからこそ、少年は続きをとても知りたかったのだ。
女性は少年の輝く目を見、にこりと笑った。

「あと少しだけ続くけれど、聞く?」
「うん!だって、この先はまだ聞いてないんだもん!」

少年の幼さ特有の生き生きとした純情無垢な頷きを聞き、女性は再び口を開いた。












それから、少女は青年の子を産み、普通の家族として過ごしました。しかし、生まれた子は吸血鬼の子であるために、その事実は隠して生きなければなりません。少女は子供に自分の知識総てを教えました。総ての事を終えた後には、青年は年老い、しかし少女は変わることは何もありませんでした。それでも、彼は少女を愛し続けました。少女も彼を、永遠に愛しました。それは最期まで、決して変わりません。
彼は、遂に天命を迎えてしまいます。彼の最期は、自分の頭を少女の膝の上に乗せ、幸せの風に吹かれる庭園で過ごしました。彼は最期まで、少女に寄り添いました。
それはどれだけ少女には幸せなことだったのでしょう。少女にとって、ヒトの命など儚いモノだというのに、彼だけは、どうしても愛おしく感じてしまうのです。
少女は、彼の亡骸を抱え、泣きました。泣き続けました。愛おしい彼が、今散り逝く様を少女が惜しむことはありません。むしろ、見送っていました。彼の安らかな笑みをしていました。ならば、自分も見送らなければと。
彼の亡骸は、至極幸せそうでした。小さな微笑みを浮かべたその顔を少女は見つめ、最期に少女は彼の額にキスを送り、言いました。

「……君の行く世界に、幸あらんことを。そして、私の意思は貴方の側を戦ぐ風となりて、貴方を永久に支える追い風となりましょう」

さようなら、私の君。
さようなら、私の愛しい貴方。
どうか、次の世界まで安らかに。
少女の寿命はまだまだ永い。
だからこそ、少女は少女の子供たちを見守ることにしました。最後の吸血鬼として、生きるために。青年が愛した、子孫のために。人間であろうと吸血鬼として生きようと、彼らの自由であることは変わりないのです。
だからこそ、少女は彼らの道標として、生きるのです__















長く、そして幾度かの休憩を挟み語られた物語は、漸く幕を降ろしていく。

女性は手に持つ本をパタンと閉じる。すると、少年は瞳を擦りながら、眉を八の字に曲げた。

「そのきゅうけつきさんは、本当にそんなこと思ってたのかな」

少年は小さく、舌足らずに呟く。そんな少年に、女性は目を細めた。

「どうして?」
「だって…。きゅうけつきさんはそのたいせつな人がいなくなって、きゅうけつきさんは悲しいんだよね。千年なんてどれくらいの時間か分からないけれど、とってもながいながい時間なんだよね」

きっとこの少年は、千年がどれほど『ながい』かは分かっていなし、想像だにしていないだろう。しかしその吸血鬼の気持ちは、もしかしたら誰よりも感受しているのかもしれない。
女性は少年を見詰め、彼の蒼い髪を梳いた。

「そのながい時間は、きゅうけつきさんが生きたいと思うだけの…時間、なのかな」
「……その吸血鬼には、その永い永い時間はあまりに有り余ってしまった。だから、死にたかったんじゃないかな。充分に、生きたんだから」
「アスナお姉ちゃん?」

少年は不安げに女性を見る。
女性は悲しげに笑っていた。

「不死は怖い。心の傷を癒やしても尚有り余る時間は、悲しいほどに残酷だから」
「…?」

女性は少年の深紅の瞳を見詰める。先程までは瑠璃色だったと言うのに、いつの間にやら鮮血色に染まっていた。

「アイチ、僕の目は何色?」

少年は、可愛らしく微笑んだ。

「あかいろー!」

その瞬間、女性は一気に目を見開き、そして片手で自分の顔を抑える。
嗚呼、この子は先祖返りなのだ。遂に来てしまった。この子がいざとなれば、きっと__同じ道を歩むのだ。同調した、とでもいうのか。

「アスナお姉ちゃん…」
「ん?」

少年は不安げに俯く。女性の顔は柔らかな表情へと戻り、少年に視線を戻した。

「怖いんだ。僕、怖いの。変な夢を見るの」
「どんな夢?」

女性は少年の頭を撫で、抱き締めた。少年は安心するように、彼女に顔を埋める。

「変なのに追われる夢。暗闇に独りぼっちで。それで僕が、それに噛み付いて、それを動かなくさせちゃうの。そんな自分が、怖いの」
「…そう」

女性は一瞬無表情になる。そして、にこやかに笑い、少年の額へ自分の額を当てた。

「もう観ないよ。大丈夫。君は、怖いんだね。もう大丈夫。君はもう、道を選んだんだね」
「アスナお姉ちゃん…??」
「大丈夫、大丈夫。僕の瞳を見てごらん」

女性の瞳が、赤から瑠璃へ変わる。その瞬間、少年の瞳も瑠璃へ変わり、そしてコテリと寝てしまった。

「忘れて。君は、忘れるべきなのさ。僕は、同胞の道を止めたりしない。……やはり、僕が引き起こしているんだね。ゴメンね」

女性は静かに、泣いていた。











戻る