本日晴天雲一つない洗濯日和。
FF本部別名レンの居城にて、アイチはよく知る男達3人に囲まれながら、完全に赤面していた。
アイチは必死に、申し訳程度にと被せられた薄いカーディガンを右手で押さえ、左手で下半身を隠すかのように服を下へと引っ張っている。
「よく似合っていますよ、アイチくん」
赤髪の少年は、そう言いながらにやにやと笑い。
「まーな。あんたにしちゃ、良いセンスなんじゃねェの?…なぁ櫂?」
金髪の少年は妖しげに瞳を瞬かせながら意味深に笑うと、隣の茶髪の少年に話しかけ。
「……」
そしてその茶髪の少年は黙ってはいるが、どこか熱い視線を送り。
更にその視線に気づいた金髪の少年は、更に笑みを深くした。
そんな少年達の笑みや視線にアイチは気づくことなく、ただどう対処したらいいのかと考えを巡らせていた。
今アイチの格好は、際どく露出度の高いメイド服。
スカートは短く、足元がスースーするために違和感と女物を着ているという羞恥が心を埋め尽くしている。
(レンさん、こんなことするなんて言ってなかったのに…!)
そう、今アイチがこうなっているのは、今朝のレンの頼まれ事が原因だった。
**
頼まれ事というよりか、そもそもの始まりはレンからの電話だった。
電話終了時、アイチの母であるシズカがアイチを困ったように手招きする。
ドアを開け待っていたのは、黒いリムジンをバックに立っている笑顔なレンだった。
「こんにちはアイチくん!元気でしたか?」
「え、あの。さっきまで電話してましたよね?」
「なに言ってるんですかー。電話でもお話したじゃないですか。『あと10秒くらいで着きますよー』って」
「いやいやいや!10秒じゃないですよ!ほぼ数秒じゃないですか!ってあの、心の準備とかその他諸々させてくれても、」
「まーまー。そうカタイこと言わないで。ささ、行きましょう!」
「ぇ、どこに、ですか…?」
アイチの訊ねにレンは特に応えることもなく、アイチをリムジンに乗せようとする。
「ちょ…!そんなに押さないでください」
半ば誘拐のような状態に、アイチは困ったようにレンを見たあと、ふとシズカの方を見る。そしてシズカがその様子に心配げな眼差しを向けていたことに気づき、アイチはとりあえず笑った。
「行ってくるね!お母さん」
そう言うと、シズカは安心したような笑みを浮かべ、手を振る。
それを見たところで、アイチはリムジンに乗らされ、いつの間にやら車を出発させていた。
レンはアイチの隣に座り、にこにこと笑みを浮かべている。
「ぇ、と。あの」
「どうしたんですか?アイチくん」
レンはおどけたようににこにこと笑みを浮かべている。
アイチは「これからどこに…?」と不安げに訊ねる。
何も知らされていない身としては、これから向かう先にはちょっと不安があった。別にレンを疑う気はさらさらないアイチには、それは本能的なものに等しい。
そんな不安げなアイチを安心させるかのように、レンはその無邪気な微笑みを絶やさずに言った。
「実はですよアイチくん。アイチくんにこれと言った頼みがあるのです」
「頼み…?」
訝しげにアイチが首を傾げると、レンは内緒話でもするようにアイチの耳元で囁いた。
「そうなんですよ、あのですね……―――」
レンが囁いているのを聞いているアイチは、みるみる青ざめていく。
そしてレンが囁き終えたのと同時に、アイチは首を勢いよく振った。
「む、無理です無理無理!絶対に無理です!!」
「えー。なんでですか?」
「だ、だってその、」
モデルだなんて、僕、出来っこありません。
レンに囁かれたことというのは、簡潔に言えば『モデルになってくれませんか?』だった。
敢えて訂正するとしたら、モデルの人が来られなくなってしまったから代わりにやってください、が正確なのだが。
だがどちらにしても、『モデルになって』というのは変わらない。そしてどうして自分そのモデル候補になったのか、そもそもどうして自分になったのか。どうしてこうなったのか。ここまでの経緯が全くと言っていいほど理解できないアイチは、暫く呆然とする他ない。
そんなアイチ見て、レンはいじけたように眉を八の字にした。
「駄目…ですか?」
「え、いや…!そんなんじゃなくてですね、」
アイチが口篭り、視線を逸らす。レンのうるうるとしたその瞳に、どうにもアイチは弱かった。なんだか泣きそうなエミを思い出すのだ。
そんなアイチの反応を見越してかレンは密やかに笑みを浮かべ、そして潤んだ瞳と打って変わり明るげな瞳へと変わらせた。その瞳の奥は、どこか獲物を狙う猫のように、鋭い。
「じゃあいいじゃないですか!そんなに堅くならないでください!すぐ終わりますし、ね?」
その無邪気さにやられてか、アイチは仕方なさそうに溜息をつき「わかりました」と頷いた。
いつものレンの気紛れと我が儘だろう。多分、すぐ済む話だ。…なぜ自分なのかは納得いかないが。
アイチはそんなことを思い、そっとレンを見る。レンは無邪気な子供のようににこにこと笑っている。そんな様子に、アイチは微笑ましそうに、仕方なさげでもあったが微笑した。
「決定ですね!!じゃ、もう着きますよ!」
そう言われ窓を覗けば、いつの間にかFF本部に到着していた。
レンは車を降りると、ふと呟く。
「それに安心してくださいアイチくん。優秀なスタイリスト達も揃ってますから」
その呟きはアイチの耳に微かに入る。
不思議そうにアイチはレンの表情を見るが、レンはそのままにこりと笑う。
そしてレンの進むままに、アイチもレンの後ろをついていったのである__
今から思えば、車に乗ってしまった時点でもうFF本部に向かわなければいけないという状況にさせられていたから、あそこで嫌ですといったところで無理矢理連れらてしまうのだろう。だから結局のところ、アイチには《断る》という選択肢がそのとき存在しなかった。与えられなかったのだ。それはきっと、レンの策略の内であったと言っても過言ではないのかもしれない。そしてそれに気づいたのは、本当に遅かった。これを所謂後の祭りとでも言うのだと、アイチは身をもって知った。
FF本部に来てからアイチを待ち受けていたのは、服が取り揃えてある大きな部屋(これをレンは小部屋だと言った)に、そしてその中にいたのは、櫂と三和だったのだ。
流石にアイチも驚愕し、櫂も目を瞬かせていた。ただ一人、三和だけはどこか意味深に笑みを浮かべてはいたが、それにアイチは気づくこともなく。
櫂と三和は、レンに呼ばれて来たのだと言う。
そしてレンは、
「さて!アイチくん、モデルになってくださいね!!」
その言葉に、アイチはキョトンとするしかなかった。どうしたらいいのかもわからず、いつの間にやらレンは服を手にしていた。それからレンにより渡された服を着、三和も悪ノリでか服を渡す。いつも気弱な性格なアイチは断ることもできず、仕方なく袖を通す。
それを繰り返し、その挙げ句の果てが冒頭へと繋がるのである。
「ぁ、あの。もう脱いでいいでしょうか」
「ダメです。ほらアイチくんカメラ目線で、ハイピース!!」
「ピースじゃないです!!っていうかもう脱がせてください!!」
アイチが困ったと言うよりかは、怒ったように言う。だが当のレンはと言えば、それをむしろ面白がっているようである。
櫂はなぜだか知らないが、飲み物を買ってくると行ったっきり帰ってこずじまい。三和は悪ノリ状態で、誰も止める者居ず。アイチはちょっとした絶望感に溜息をついた。
どうしたらこの状態を変えられるのか。そう思っていると、レンは他の服を探しに衣服の山がある小部屋へと入っていく。そのとき三和がそっとアイチに近づくと、罰が悪そうに苦笑いした。
「おふざけが過ぎたか?」
その言葉に、アイチはむすっと顔を険しくした。
「わかってるなら止めてくださいよ!」
「悪ぃ悪ぃ。俺もちょっと着せてみたい感あってさー。機嫌直せって」
「……」
アイチのジト目に、三和は詫びるようにアイチの髪を撫でる。
アイチはそれにくすぐったそうに身を捩るが、すぐに振りほどいた。
「そ、そんなこと言うなら早くレンさんを止めてください!もう脱いでいいですよね?服どこですか!」
服を探しに行こうと歩きだそうとしたアイチの腕を、慌てたように三和が掴んだ。
アイチが少し苛立たしげに、三和を見る。
できれば早く着替えたかったので、アイチとしては手を離して欲しかった。
そんなアイチの胸の内を知ってか知らずかはわからないが、三和はアイチを必死に引き止める。
「ちょ、ちょい待てってその格好で歩き回るのはまずいって!」
「え、ちょ、あっ?!」
どさ。
と、二人が倒れた音が室内に響いた。
三和の勢いよくアイチの腕を引いてしまったからだろう、アイチが三和を覆いかぶさるかのような形になってしまった。
思わぬことにアイチは目をぱちくりさせる。三和も想定していなかったのか、唖然と口を開けている。
「へ…?あ!ご、ごめん三和くん、すぐ退くから…」
そうアイチが言ったそのとき、アイチの身体が回った。
アイチ自身、何が起こったのかよくわからない。視界が回った。気がついたらアイチと三和の立ち位置が反転していた。アイチに説明できることと言えば、これだけだった。
「み、三和くん…?」
アイチは恐る恐る、三和の様子を窺う。
三和どこか遠いところでも見るように目を細め、アイチをジッと見つめていた。
三和のこの反応に、アイチは戸惑ったように「三和くん…?」ともう一度名前を呼んだ。
「ん、あぁ…」
どこか焦ったように前髪を掻き上げ、「あーぁ。やっちまったなぁ」と呟いた。
何がなんだかわからずに、アイチは「あ、あの」と何か話そうとするが、三和は聞いていない様子だ。
アイチはどうしたら良いのかわからずに、出入り口の方にふと視線を遣る。
そしてそれと同時に、扉が開いた音が室内へ響く。そしてそこにいた人物に、アイチはハッと顔を青白くした。
「か、櫂くん…!?」
それに対し三和は、「やっちまった」と言わんばかりに冷や汗をかいている。
敢えて彼の気持ちを記載するなら『殺される…!』だろう。
三和はすぐにアイチから退く。そして三和はアイチに謝罪した。
「アイチ悪い!ちょっと魔が差しただけなんだ
「え、あ、うん。…櫂くん?!」
「行くぞ、アイチ」
いつの間にか二人の目の前まで迫っていた櫂。そしてアイチの腕を引っ張ると、そのままどこかに行ってしまった。
三和が耳をすませば、『どこに…?まだ僕着替えてないよ…』『いいから黙ってついてこい、アイチ』『う、うん…』というような会話が耳に入る。
アイチの声はどこか嬉しそうで、櫂の声は苛立たしげだ。この櫂の行動はきっと、櫂の嫉妬心によるものだろうと、三和は確信している。
アイチのことは基本放置なくせして、時に遠くから見守って。そして誰か男が近づけば、嫉妬心を燃やして。そしてその対象は、三和も決して例外ではなかった。それを『恋』だと言うのだと、一体何度教えそうになったことか。だがきっと、櫂自身も自覚していることなのだろう。けれどあの負けず嫌いで、しかも頑固な櫂のことだから、その気持ちを受け入れきれていないのかもしれない。だから言ったところで、否定されるだけだろうということも、三和はなんとなく察していた。ずっと櫂のそばにいた経験は伊達ではない。
これから、一体どうなるのか。それだけは、どうにも読めない。だができれば、
「俺んとこに、来てくれればいいのになぁ…」
無意味にそう呟いてみれば、ひょっこりとドアから覗く赤が三和の目に入る。
三和はそれに対し、溜息をついた。
「何隠れてやがんだよ」
「バレてました?」
「バレてるも何も、ずっと盗み見盗み聞きしていやがったのに何を今更」
三和は呆れたように、両手に女物の服を抱え登場したレンに言った。
レンは悪びれることもなく、ただいたずらっぽく微笑んでいるばかりだ。
「どこまで見てた?」
「びわがアイチくんを押し倒すところからですね」
「びわじゃねぇ三和だ。…しっかりと全部見ていた、と」
「はい。見てました」
いっそ晴れ晴れしいくらいに言うレンに、三和はもう溜息する余裕も気力も失せてしまった。その代わりに、三和はわざとらしく落胆したかのように肩を落とす仕草をする。
レンはそれを見、手元の衣装に視線を落としながら呟いた。
「なんていうか。本当に苦労人ですね、びわは」
「…だろ?」
その呟きに、三和はもう訂正言うのやめようと思いながら応える。
三和のその顔は、どうにもすっきりしないような、しかし堂々とした、そんな複雑で、不敵な笑みを浮かべていた。
それに対し、レンは何も言わず、再び服に視線を下ろす。そして拗ねたようにレンは唇を尖らせた。
「ねぇびわ。この服着せたかったのに、なんで逃がしたんですか。見てくださいよ、この僕が厳選した服の数々を」
「頼むからその10着以上の服を見せるな。そしてそのいかにもグラビアアイドルの着そうな際どいのをひらひらさせるなコノヤロー」
そして、数日後。
レンと三和がアイチに口を聞いてもらえなかったのは、言うまでもない。無論、櫂にアイチに近づこうものならば番犬の如く睨みをきかせていたのもである。
ちなみに、
アイチと櫂がいつも以上に一緒に寄り添うかのように一緒になったことは、そしてその理由は、また別の話。