漆黒の大きなステージ。そしてその中心を、煌びやかなライトが照らした瞬間、大きな歓声がステージを大きく震わせた。

ステージで照らされたそこには、先導アイチは立っていた。
煌びやかな蒼い髪に、瑠璃色の瞳。きらきらと、ライトに反射する衣装のラメ。手にはマイクを持っている。
ステージの向こう側にいる、沢山の観客。それら全てを見詰め、アイチはとある人を見つけると、微笑みからの満面の笑顔になる。
観客はその笑みを見た途端に、より一層の歓声が沸き起こったところで、司会が口を開いた。

「それでは先導アイチさんで、『約束のクロスロード』!」

観客側からのいっそ耳障りなくらいの歓声は、一気に静まりかえる。
観客達の食い入るかのような視線を受けるアイチは、微かに震える手を、マイクを握ることで抑え込む。
前奏が流れ出し、アイチはそっと口を開いた_






**






「お疲れ様、アイチ」

ミサキが椅子に座るアイチに水を渡す。アイチは少し疲れた様子で、「ありがとうございます」と言うと、水を口に運んだ。

彼女の名前は先導アイチ。今をときめく現役アイドルである。
今日は生ライブの日であり、スケジュールはそのライブでいっぱいいっぱい。そして今ようやくそのライブが終了し、時刻はあと数時間で深夜を上回ろうとしていた。

「大丈夫?アイチ、今日は送っていくよ?夜遅いし…」

このマネージャー戸倉ミサキは、アイチの幼馴染でもあった。マネージャーとしてでもあるが、幼馴染という立場からも出たミサキの言葉に、アイチは苦笑した。

「うぅん。今日は一人で帰ります」

その言葉に、ミサキは目を見開いた。こんな真夜中だ。誰かに襲われたりなんてしたら大変なことになるし、何よりいつもなら断ることなんてなかったのに。
一瞬の戸惑いにミサキは瞳を微かに揺らす。そして説得するべく、口を開いた。

「でもアイチ、一人じゃ危ないよ?どうする気なの?」

そう聞くと、アイチは口を噤んでしまった。一体どうしたというのだろうか。

(こんな表情、あんまり見たことないな)

どこか遠くを見るような、現実逃避でもしているかの表情を今のアイチはしていた。窓のないこの楽屋内で目を逸らそうと、壁や何かしら置いてある小道具しか目に映らないというのに。それなのに、そんなのは視界に入っていない、どこか虚ろげな感じがした。
仕事で疲れてしまったのだろうか。今日はリハーサルも本番もあり、衣装チェンジも忙しかったわけだし、ほとんど舞台に出っぱなしでもあった。眠たいのもあるからだろうか。

(なら、どうして)

そこまで思ったところで、アイチは口を開いた。

「今日はお母さんが送ってくれるって、さっきミサキさんがいなかったときに電話で。だから大丈夫です」

ミサキを心配させまいとしているのか、さっきの表情とは打って変わり優しく微笑んでいた。
それならそうと早く言ってくれればよかったが、きっと疲れていたのだろう。さっきの表情も、そんな心労から来ていたのかも。もう少し、休憩時間をとってあげていればよかったかも。
そんな反省を心に仕舞い、自分への呆れ半分ドッと押し寄せた疲れ半分、ミサキは溜息をついた。

「そう。ならせめて、待ち合わせの場所まで送らせて?ここのところだと、マスコミとか張り込みとか、案外してる奴いるかもしれないし」

警備員などは多く配置しているが、万が一というのもある。その考えにはアイチも賛成なのか「はい!」と満面の笑顔を向けた。






**







アイドルという稼業は本当に忙しいものだけれど、それでもやりがいはある。しかしまぁ、それは長く飼っているペットに愛着が湧くといったことと同じように、ずっと働いていればそう感じるようになるという心理的現象とでも取れることかもしれない。
そんなことを思いながら、アイチはミサキの車に揺られ、そう思っていた。
窓の外はもう真っ暗で、車が多く走っている。そんな風景は、夜やロケの移動中ときくらいしか殆ど見られないので、アイチにはほんのちょっぴりだけ新鮮で綺麗だった。
本当に、ちょっぴりだけ。
急にアイチの身体が揺れる。どうやら車が止まったようだ。
ほんの数十分しか乗っていないが、待ち合わせ場所についたためアイチはミサキに声をかけた。

「降りますね」
「うん。気をつけてね。…本当に平気?」

ミサキが心配そうに訊ねる。アイチは微笑み、安心させるように言った。

「平気です。もうお母さんも来る頃ですし。お母さん、エミも一緒に外食に行きましょうって、言ってくれたんですよ」

そうアイチが嬉しそうに言えば、ミサキはアイチの笑顔に応えるように微笑む。

「そっか。マスコミとかに知られないように、注意してね」
「はい」

そう言い、アイチは車から降りる。そして運転席からミサキはアイチに向かって手を振ると、車を走らせた。
それを見届け、アイチは携帯を開く。(ちなみにアイチは最新型は扱えないので、スマホ型ではなく普通の携帯__二つ折りタイプ__である)
携帯を動かし、画面を見たアイチは優しそうに笑った。寒冷な空気の中でアイチの吐息が、その空気を俄かに白く染めた。
アイチは携帯を閉じ、手持ちのバッグに入れると首に巻いてあるマフラーをギュッと握った。季節はもう二月で、あと一週間か二週間足らずで三月に入ってしまうけれど、まだまだ日本は寒い時期が続いている。夜となれば真冬とあまり大差ない寒さだ。
身体がじわじわと冷やされているのを感じているところで、アイチは足音を聞いた。
この夜中にあまり人も通らないし、車もあまり通らないこの場所。

そもそもアイチが降ろされたこの場所は、山の麓辺りの小道である。今回のライブ会場は、アイチの実家近くのところだった。それと同時に、アイチの好きな人がいるところでもある。
こんな山の麓にどうして、と最初はミサキにも怪しまれたアイチだったが、ここからレストランが近いのだとか言って誤魔化した。ついでにアイチの家も意外とここから近かったりすることもあり、ミサキは素直に納得してくれた。
だから指定したここに降ろしてくれたわけなのだが、前文の通りここはあまり人が通らない。だが万が一と言うのもある。アイチは足音を期待している人物のモノであることを期待しながら、アイチは足音が近付いたところで、そっとその方向を見た。

「……ぁ」

結果としては違った。歩いてきているのは懐中電灯を持った男(強いて言うならおじさんっぽい)のようだった。暗がりで性別判断までは難しかったのだが、体格的に男の人のものだ。アイチとは反対側の道を歩いている。しかしこんな真夜中に散歩しているなんて_しかもこんな人気のないところで_珍しいと思っていたアイチだったが、その男が歩いている軌道が自分のいる方へ変わったのを、アイチは察した。というより、現進行形でこちらに向かって来ている。
どうしたのだろうか。その男の前には特に障害物も何もない。こちらに向かってくる理由もないはずだ。
戸惑っている間に、その男はアイチと半径2mもないところまで来ている。そしてついに、アイチはその男の姿がはっきりと視認できる距離まで来た。

「…!」

男は警察帽を被っていた。お巡りさんというものだろうか。思わずアイチは、被っている帽子を少し目深に被り直す。
その警備員(お巡りさん)何も言わずに見ている。どうしたらいいのか戸惑っていると、警備員は急にアイチの目の位置までしゃがみこんだ。

「!?」
「君、迷子かい?」

どうやら迷子だと勘違いされているようである。
どう言い訳したらいいのだろう。そもそも、ここに警備員が来ているとは思わなかった。
返答に困っていると、警備員が自分の顔を凝視していることにふと気がつく。その射抜かれるような視線に、アイチは思わず後退る。

「あ、あの…」
「ねぇ…君…、もしかして先導アイチさんじゃ…」
「…!」

一応アイチは変装として帽子と赤縁メガネをしていたりするのだが__何かシンプルに身につけるだけで人の印象は変わるとミサキがくれた品物だ__ずっと見られていたというのもあるし、何よりも懐中電灯で照らされてそこからずっと凝視されれば、気づくのは当たり前かもしれない。そこまで考えが至ったアイチが、改めてその警備員の顔を見てみれば、警備員は完全に好奇の目になっている。先程の事務的な言葉と口調とは打って変わり、警備員はどこか興奮に満ちた声で言った。

「もしかしてもしかしなくとも君、先導アイチさんですよね?!」
「ち、違います。人違いです…!」

苦し紛れに小さな声でそう言うが、相手はどうみても「嘘だな」という顔をしている。顔をこれ以上見られたくなくて、アイチは顔を背け、頭の帽子をもっと深く被るために帽子の布を片手できつく掴む。そんなアイチの行動に警備員はにやりと笑い、腕を掴もうとする。
触れられそうになり、アイチは声を荒げた。

「やめてください!」
「その声…!やっぱりアイチさん!」

ずっと小さな声だったから、相手は今の荒げた声を『アイドルのアイチ』の声だと判断したのだろう。この道に人がいないことをいいことに、何の躊躇もなくアイチの腕を掴む。

(助けて…!)

思わずそう心の中で叫ぶ。そのときだった。

「おい」

地の底に響くようなその低音ボイス。警備員とアイチは、思わずそちらを向いた。
そこには、アイチのよく知る少年がいた。警備員はその少年を視界に入れた瞬間、パッとアイチの腕を離す。
見た目からして青年とも呼べるだろうその少年は、警備員に射殺すかのような鋭い視線を浴びせながらアイチに近付くと、そっとアイチの肩を抱いた。

「こいつは俺の連れだ」

そう言いながら、少年はアイチを連れて行こうとする。だが警備員は負けじとその少年に言った。

「なんなんだ君は!その人はアイドルの先導アイチさんだぞ!まさかお前、誘拐しようと_」

ごちゃごちゃと言いながら、警備員はアイチに近付こうとする。だが少年は、それを阻むように警備員の前に立った。

「こいつはそのアイドルによく容姿が似ているだけだ。それとも、こいつからその本人だと聞いたのか?」

少年の鬱陶しそうなその声に、警備員は「いや…」と曖昧に言葉を濁す。
その様子に少年は背を向ける。そして、言葉を静かに発した。

「それから言っておくが、お前の方がよっぽど誘拐犯だったな。…警察のくせして、情けないな」

少年はアイチを連れ、警備員の返事を待たずにそのまま山の小道を進んでいく。そして二人は、夜の暗闇に消えていった。

アイドルである先導アイチに会うという運命的瞬間をバッサリ否定され、そして少年により少なからずあったプライドに終止符を打たれたその警備員が、ショックで項垂れながらその様子を見つめていた。







**





警備員を振り払った後で、アイチはずっと肩を抱き歩いてくれている少年の顔を見上げた。

「ありがとう、櫂くん」

そう言い、アイチは頬を朱に染める。
少年――櫂はそんなアイチを見ながら、イラついたように溜息をつく。だがアイチを見るその眼差しはどこまでも優しいものだった。

「全く。どうしてもっと警戒しない。仮にもアイドルだろう」
「えへへ。油断しちゃったんだよ」

そうわざとらしく笑って言うアイチからは、あざとさを感じさせる。
そんなアイチに、櫂はもう一度溜息をつきたくなった。




この少年櫂とアイチの関係を簡単に言うなら、アイドルとそのファンというものだ。このような図では、どう見ても恋人同士にしかみえないだろうがしかし、今はまだそういう関係でしかない。
櫂は小さい頃、アイチと会ったことがある。苛められていたところを助けてあげたのだ。それから二、三回遊んだだけだったが、それは櫂にとっては充分過ぎる程に充分な思い出。初恋で、今も尚その恋は続いている。だがしかし、アイチは前に櫂と会っていることを忘れているようにみえた。会った頃でも今でも、そんな話はしていないし、話題にすら上っていないからだ。しかしそれも無理からぬことだろう。もう十年くらい前の話をしているのだから。
櫂がアイドルのアイチを初めて見たとき、櫂はもう十年近く逢っていないアイチを思いだし、そして好きになった。憧れなどではない、れっきとした恋というものだ。
それから、櫂はアイチを追いかけるようになった。ファンの一人として、ライブにも密やかに参加したりした。ステージで見るアイチは楽しげで、いつも輝いてみえた。
櫂が高校から帰宅するとある日。少し遠回りして帰ろうと、なんとなくこの山道を通っていた。ここの近くには川も流れていて、アイチとは丁度そこで出会った。ただし、さっきのように男に絡まれて。
そのときはまだその絡まれているのがアイチだと思わなかった。そのときのアイチはフードを被っていたからだ。その絡まれている方と絡んでいる方どちらも通るのに邪魔で、櫂は一言「どけ」と言い、そう言ったところその絡んでいた方がこっちに絡んできたので、リアルファイトで叩きのめした。

いや。…邪魔だったからという理由の他にもある。アイチと最初に出逢ったあのとき、アイチの苛められている場面と少し、否、とても重なったのだ。
そのときはどうしてそう思ったのか、自分でもよく分からなかった。けれど、今だからこそ分かるのだ。

邪魔者を排除し、いざ通ろうとすると、そのとき絡まれていた方(アイチ)が駆け寄ってきた。

「あの…!!」
「なんだ」

そのとき、その少女がフードを取る。そのときは、本当に櫂は吃驚したものだった。
ライブでずっと見守って来た、アイチがそこにはいたのだから。

「助けてくれてありがとうございました!…あの、貴方の名前は?」



それが、櫂とアイチの再会だ。はっきり言ってしまえば、これは櫂が一方的に思っているだけであって、アイチは『出会い』であると思っているだろう。
だがそれでも構わない。こうして、もはや手の届かないアイチと、少しだけ距離が縮まっていられるのだから。本当は、そんな社会的位置からも、アイチのファンからも、全てを攫って行ってしまいたい。だがそれは叶えてはいけない。そんなこと、もう頭では分かっている。だから、しばらくは、いつか壊れてしまうそのときまで、このままにしておく。それが、櫂にとっては最善の選択だと思えた。



通い慣れた山道をしばらく進んで行き、アイチと櫂は海の美しい崖まで来た。
天気の良い夜空には満天の星。そしてその下では、星の輝きを映した海が心地良い砂を運ぶ漣の音を発している。

「久しぶりに来たけれど…、やっぱり綺麗…!ね、櫂くん!」

そんな心地よさと素晴らしい景色に、アイチは歓声をあげる。それに櫂も「そうだな」と答えると、アイチは嬉しそうに笑った。
櫂と逢ってからは、時々来るこの場所。ここは、アイチと櫂が再会してから、アイチのとある発言で櫂が連れてきた場所だった。



再会し、それから時々逢うようになったアイチと櫂。
よくライブにも来てくれていた櫂。それがアイチにはたまらなく嬉しかった。
だからこそ「また会おうね」と言って、アイチは櫂と再会したあの場所を約束の場所として逢っていた。
きっと、ファンとして来てくれるのだろう。憧れとして、きっと。
そんなことをアイチは思いながら、櫂とよく話をしていた。
その話の中で、アイチはふと言葉を零した。

「星、見たいな」

と。
櫂には、仕事で見られたりしないのか、と訊ねられたが実際のところ、しっかりと見たことがなかった。ドラマなどの撮影でも、プラネタリウムとかで誤魔化していた時の方が多かったために、沢山の星なんて見たことなかった。ほんの息抜きにでも、行ってみたかった。だからそんな言葉が思わず出てしまい、アイチは慌てて口を噤んだけれど時既に遅しというもので。
それを聞いた櫂は、アイチの丁度休みのときに「連れて行きたい場所がある」と言って、アイチを今いる崖に案内した。そのときの感動は、今でも覚えている。
それからは、アイチのお気に入りの場所になった。




でも少しだけ、アイチはその発言をしたことを後悔していた。
漣の音を聞きながら、改めてそのことを思いアイチは海に向かい悲しそうに目を細める。
そんなアイチを見て不安になったのだろうか、櫂は「飽きたのか?」と俄かに声を震わせて言った。その言葉に、アイチは否定の意味を示すために首を振る。

「違うよ。そうじゃない」
「なら、どうしたんだ?」

櫂の質問に、アイチは一瞬肩をぴくりと震わせる。
アイチはそっと、海を見つめながらぽつりぽつりと言葉を落としていく。

「…こんな関係、いけないよね」
「…アイチ」
「僕だって、本当はこんなこと言いたくない。君との時間は、本当に楽しいから」
「…なら」
「でもね。それじゃダメなんだよ。きっと」

アイチは決意したように、櫂に向かい合う。
ずっと櫂の贈り物を、与えてくれるその感情を甘受し、そして利用してきた。こんな自分の身勝手な気持ちを、一介のファンである彼にこれ以上押し付けてはいけない。そう思って、アイチは言う。これはドラマの主演だと、そう自分に言い聞かせて。

「君には、色々迷惑を掛けている。わざわざこんな場所に付き合ってまで、僕と一緒にいない方がいい。マスコミの目や世間の目は、本当に鋭くて怖い。今更こんなこと言いたくないけれど、言いたく、ないけれど」

もう、終わりにしよう。

会うのも、ここに来るのも、全て。
そう笑い、アイチは空を見上げる。このときだけは、どうにもこのアイドルという立場が恨めしい。大嫌いだと思ってしまう。
櫂はずっと、黙ったままだ。納得なんていっていないだろう。だが、彼も彼なりに理解しているのだろう。だから、敢えて黙っている。そうアイチは判断した。そんなところは、昔と変わらずじまいだ。それを思うと、少し微笑ましくて、懐かしくて、だけどもう彼と他人となってしまうことを思うと、悲しみは消えない。
アイチは__


ゆっくりと歩きだした。

そっと息を吸った。








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