いつかの未来で


両手から、するすると何かが落ちていく。まるで砂のように、水のように。抱き締めても、拾い集めようとしても、その何かは俺の意思を無視して、落ちて、消えていく。

そうして最期に残ったのは――罪悪感と、喪失感。





「ホークス、」


ひどく優しい声で名を呼ばれた。虚空の意識から這い上がるように、重い瞼を持ち上げる。


「ホークス、大丈夫?」
「え……」
「うなされてたよ」


視界いっぱいに映る、心配そうなナマエさんの表情。俺は今見たばかりの夢をぼんやりと思い出しながら、背中に嫌な汗をかいていることに気付いた。


「怖い夢でも見たの?」


こちらを覗き込んでいるナマエさんが、小さな手のひらを頬に添えてくれた。あまりにも穏やかな手つきに思わず泣きそうになりながら、彼女をそっと抱き寄せて首元に顔を埋める。


「……うん」


怖い、恐い夢だった。ハッキリとは覚えていないけれど、胸が空っぽになった感覚だけは強く残っている。滅多に夢なんて見ないのに、どうしてだろう。


「何か飲む?ホットミルクでも淹れようか?」
「……大丈夫。でも、このままでいさせてください」


背中に回された細い腕がとても温かくて、安心した。ナマエさんの手が剛翼をふわりと撫でるのが心地良い。ずっとこのまま、大好きな人に包まれて静かに生きたいと願うのは、我儘なのだろうか。

こうしてナマエさんと過ごすのは今日が最後かもしれないと、常にそう覚悟して。それでも最後の時まで離れたくないと願うのは、我儘なのだろうか。

――俺には枷がある。目には見えない、けれど決して外すことの出来ない大きな枷が。


「ホークス、貴方は独りじゃないからね」


ふいに聞こえた言葉は、とても単純で。そして俺一人ではどうすることも出来ない重い枷を軽くするには、充分すぎるほど優しくて。


「独りにしないよ。だから、大丈夫だよ」


眠そうな、けれどもハッキリとした声が心に広がる。失った何かが埋められていくような、そんな不思議な感覚だった。


「……ありがとう」


俺の本名も、ヒーローとは別の姿も、ナマエさんは何も知らない。なのにいつも、不安がる俺にいち早く気付いては、欲しい言葉を投げかけてくれた。

根拠のない自信はどこからやってくるのだろう。何も知らないからこそ、俺が背負うものを全部、まとめて一緒に抱えようとしてくれているのかな。


「……いつか、さ」
「ん?」
「いつか、たくさん俺の話、聞いてくれる?」


遠い未来になることは間違いない。その時までナマエさんが俺の隣にいるかは分からないし、俺自身が無事でいる保証もない。それでも、


「もちろん。待ってるね」


彼女はきっと俺を独りにしないだろう。そう信じられる相手がいるだけで、今は幸せだった。


柔らかく笑ってくれるナマエさんだけは、この両手から落とさないように。ぎゅうっと抱き締めながら、俺は再び目を閉じた。



20210315 プラス再録


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