「塚内さんって、恋人はいるんですか」
ラジオも無線も流れていない無音の車内。助手席から突然聞こえた台詞に驚きながら、ルームミラー越しで左隣の部下を見た。ミョウジの視線は窓の外に向けられており、色白の頬には夜景の灯りが反射している。
今は張り込み捜査の帰り道だ。定時をとっくに過ぎているので、俺が運転する公用車で彼女を自宅に送り届ける途中だった。
「ど……ど、どうしたんだい、藪からスティックに〜」
突拍子もない質問にドギマギしつつ、場を和ませようと昔テレビで見たギャグを言ってみたものの。ミョウジは微塵も笑うことなく「いるんですか?」と、静かに問いを重ねた。
「……いないよ」
盛大にスベッたことを恥ずかしがる暇もなく、正直に答える。かれこれ数年、俺に恋人という存在はいなかった。
「なら、好きな人はいますか」
「ええ?!」
今度こそ驚きで声を上げながら、若干ハンドル操作を誤って車体を揺らしてしまった。慌てる俺とは正反対に、彼女は相変わらず無表情のまま外を眺めている。
「め、珍しいね。君がそんなことを聞くなんて」
ミョウジが俺の部下になって長いが、プライベートな話をしたことなんて今までになかった。
「……気になっただけです」
素っ気ない返答の中に、俺を冷やかそうとか、馬鹿にしようとか、そういう雰囲気は含まれていない。ただ純粋に疑問だったのだろう。だって俺は独り身だってのに、他の部署の課長や同僚が持ってきてくれる見合いやら紹介やらの話を、全部断っているのだから。
「えっと……うん、いるよ」
「……え」
彼女が息を飲んでこちらを見たような気がしたが、俺は必死で正面を向いたまま運転に集中する。恥ずかしくて、顔から火が出そうだった。
「好きな人は、いるよ」
今、俺の隣にいる、君のことさ。
……なんて、さすがにそこまでは言えないが。誤魔化すことすら出来ず、咄嗟に出てしまった肯定の言葉に若干の後悔を感じながらも、俺はミョウジの方を見ないようハンドルを強く握った。
告白するつもりもなければ、この想いが叶うと思ったこともない。俺達は仕事仲間で、警察という特殊な組織に属する以上、恋愛感情なんてものに浮かれている場合ではないからだ。
けれど、感情ってやつは自分自身でどうにか出来るものではなくて。ミョウジの姿を目で追っていると自覚した時には、既にもう、どうしようもない程に好きだった。
せめて、本人にバレないようにしよう。俺の一方的な想いで仕事に支障をきたしてはいけない。そう肝に銘じ、適切な距離を保っていたつもりだったのに。
「……その人って、どんな人なんですか」
まさか本人から、こんなにも踏み込んだ質問をされるなんて。色恋沙汰に疎い上司の恋愛事情に興味でも湧いたのかもしれないが、なんと答えればいいのやら。
「えーっと……」
濁すように口籠っていると、「美人ですか」「女性らしいですか」「背は高いですか」「髪は長いですか」「なんの仕事をしていますか」「胸は大きいですか」などと矢継ぎ早に質問された。ちょうど赤信号に差し掛かったのでブレーキを踏んで助手席を見ると、とても真面目な顔をした彼女と視線が重なる。
「な、そ、そんな色々聞かれても……」
「どうなんですか」
戸惑っている俺をミョウジはじいっと見つめ、急かすように「教えてください」と続けた。
「……お、俺は、素敵な人だと思ってるよ」
「……素敵、ですか」
彼女は少々堅物だけれど、整った顔立ちで背筋はシャンとしており、とても綺麗だ。だけど俺は、何もミョウジの外側だけを見て好きになった訳じゃない。
「一緒にいたら、落ち着くんだ」
うまく言葉に出来ないが、彼女の隣は居心地が良かった。声を聞けば穏やかな気持ちになるし、笑顔を向けられるとたまらなく嬉しい。捜査でミョウジと組む時は、安心して背中を任せられた。守りたいと思う反面、一緒に進んでほしいとも思っている。
「……まあ、そんな、感じかな」
信号が青になったので、車をゆっくりと発進させた。俺は本人に向かって何を口走っているんだと、今更ながらに恥ずかしさが込み上がってくる。
「……そう、ですか」
小さく呟いた彼女が、また窓の外に視線を向ける気配がした。俺の答えに満足したのか、どうでもいいのか。車内はまた沈黙に包まれた。
***
「送っていただき、ありがとうございました」
「いやいや。お疲れさん」
あれから特に会話もないまま、ミョウジが住むマンションの前に到着した。ハザードを灯して車を道端に停める。シートベルトを外した彼女は礼を言ったあと、ふと思い出したように俺を見た。
「塚内さん、さっきの話ですけど、」
その表情はいつもと同じ愛想のないものだが、何故だか真っ赤で。
「私、素敵な女性になれるよう努力します。だから……いつか、恋人にしてほしいです」
――では、お先に失礼します。
そう言って、ミョウジは車から出て行った。
「え……え、え?!……ん?!え?!」
誰もいなくなった車内に俺のマヌケな声が響く。なんだ今の台詞は、恋人って言ったのか?恋人?恋人って誰の?俺の?なんで?
一気に顔が熱くなる。そんなまさか、幻聴だ、うん、そうだ。気のせいに違いない。もしくは恋愛事に慣れていない俺を揶揄ったのだろう。ミョウジなりのギャグだったのかもしれない。そう、冗談に決まってる。
若干パニックになっている頭を無理矢理に納得させた瞬間、助手席のドアが再びガチャリと開いた。ビックリして「うおお?!」と情けない声を出しながら顔を向けると、そこには、まだ赤い顔のミョウジの姿。
「言い忘れました。冗談ではありませんので」
「へっ?!」
「で、では今度こそ、お疲れ様でした」
バタンと少しだけ強めに閉められたドア。窓の向こう、小走りでマンションへと入っていく小さな背中を呆然と見つめたまま、彼女の言葉を無意識に復唱する。
そしてドアが閉まる瞬間。ほんの一瞬だけ見えたミョウジの顔が、今までに見たこともない、困ったような、どこか泣きそうな、可愛らしい表情をしていたから。
「あー……参ったな……」
あんな顔を見せられて、あんな言葉を貰ってしまっては、もう想うだけでは満足できないだろ。片道だとばかり思っていた俺の気持ちは、予想外にも同じ方向を向いていたようだ。
浮かれる思考を落ち着かせる為、ハンドルに額を数回ぶつけて痛みで気を引き締める。明日、俺からちゃんと伝えよう。
俺にとって一番素敵な人は、君ってことを。
20210315 プラス再録