小さな望み


――今日、塚内警部が合コンに行くらしい。

昼休憩、コンビニ弁当の唐揚げを頬張っている時に聞かされた衝撃的な言葉。驚いた拍子に思わず咳き込みそうになりながらも、目の前で気まずそうにしている猫頭に視線を向けた。


「…玉川さん、それ新手の冗談ですか?」
「いや…本当だ」


さっき警部本人が言っていた。そう続ける玉川さんの声を聞きつつ、難しい顔でパソコンを睨んでいる上司を見た。彼のデスクは私と離れているから、こちらの会話に気付かれることはない。

塚内直正。三十六歳、独身、彼女なし。部下からの信頼も厚く、たまに目が死んでいるが温厚で優しい理想の上司であり――私の好きな人だった。そんな彼が合コンに行く、だと?そういった煌びやかなイベントに塚内さんが参加するということが意外すぎて、開いた口が塞がらない。玉川さんによると彼の同期が主催するらしく、彼女いない歴数年の塚内さんも誘われたのだと。ちなみに相手の女性陣は全員、モデルだと。

あんな淡白な顔をしているクセに恋人は欲しいのか、なんて失礼極まりないことを思う一方で、私はやはり彼の眼中になかったのだと痛感する。同時に、彼がどこへ何をしに行こうが、例えハイスペックな合コンに行こうが、ただの部下である私に口出す権利など無いということも。


「…いいのか、その…ミョウジは警部のこと…」


玉川さんは私の気持ちを知る唯一の人だった。だからこそ良かれと思って教えてくれたのだろう。けれど元々、上司とどうにかなりたいとか、この想いを伝えたいとか…そんな烏滸がましいことは考えていなくて。


「…私は塚内さんの元で働けるだけで、満足ですから」


自身に言い聞かせるように呟くと、玉川さんはもう何も言わずに自分のデスクへと戻って行った。その後ろ姿を見送ってからペットボトルのウーロン茶を一口すする。横目で上司を見遣れば、彼は未だに眉間にシワを寄せながらパソコンと戦っていた。



         ***



夕方。街をパトロール中だった私と玉川さんの元へ“ヴィランが暴れている”という緊急通報が入り、現場へと直行した。対応が早かったおかげで市民に被害は出ず、駆け付けたヒーロー達によって無事ヴィランは確保。その他諸々の後始末が終わった頃には定時をとっくに過ぎていた。あとはパトカーを駐車場に返すだけだったので、玉川さんを自宅に送り届けてから一人で警察本部へと向かう。

――今頃、塚内さんはモデル達に囲まれて鼻の下でも伸ばしているのかな。そんなことを考えながらパトカーで夜道を走る。嫌でも視界に入ってくる鮮やかなイルミネーションや僅かに聞こえる軽快な音楽に、ふと今日がクリスマスであることを思い出した。

こんな日に合コンに参加すれば、イベントマジックで絶対に恋人が出来ることだろう。元より彼は素敵な人なのだから間違いない。

…この報われない片想いも、ついに終わりを迎えるのか。溢れる寂しさとぼやける視界を誤魔化すように、ただ運転に集中する。


そうして警察本部に到着した時、時刻は二十一時を大きく回っていた。消灯時間を過ぎているので宿直室以外の灯りは消えているハズなのに、フロアは何故だか明るいまま。電気の消し忘れかと思いつつ部屋に入ると、そこにはなんと、予想外の人物の姿が。


「あ、おかえり。ご苦労さん」


驚いて目を見開く。なんで塚内さんがいるのだ。


「…どうして…今日、合コンなんじゃ…」


言ってから、しまったと口を押さえる。しかし塚内さんにはバッチリ聞こえていたようで、彼は目をパチクリと瞬かせた後、困ったような表情を浮かべた。


「…なんでミョウジが知ってるんだ」
「…えっと…、う…噂で…」
「噂って、みんなして面白がってたのか?」


玉川さんの名前を出すのは申し訳ない気がして誤魔化すと、塚内さんは苦笑する。そして、


「…ん?お前、その手…」


呟いた彼はデスクから立ち上がり、あっという間に目の前までやって来て私の右手首を掴んだ。あまりに突然のことに固まっていると引っ張られ、少し強引に近くの椅子に座らせられる。塚内さんは棚から救急箱を取り出し、すぐ隣の椅子を引き寄せて腰を下ろした。


「…怪我してるぞ。気付かなかったのか」


そう言えば、暴れるヴィランを取り押さえる時に引っ掻かれたような。確かに右手の甲には薄っすらと赤い血が浮かんでおり、傷口を見れば思い出したようにズキリと痛みが走った。

慣れた手付きで消毒液をガーゼに染み込ませた塚内さんの大きな掌が、私の手をそっと包む。少しだけ傷に染みて痛かったけれど、「我慢しなさい」と言われてしまっては黙って耐える他ない。そのまま無言で手当てを施され、絆創膏の上から防水テープまで丁寧に巻いてくれた上司に、私は小さく口を開く。


「…ありがとう、ございます」


思えば、普段からは考えられない程の至近距離に好きな人がいる、この状況。だんだんと顔が熱くなっていくが自分ではどうすることも出来ない。とにかく一旦落ち着く為には離れなければと立ち上がろうとしたのだが、それは叶わなかった。

塚内さんの手が、私の右手を握ったまま放してくれないのだ。おずおずと顔を上げれば、真っ直ぐにこちらを見つめる黒い瞳と視線が交わる。


「…部下が命を張って現場に出ている時に、合コンなんて浮かれた場所に行く訳ないだろ」
「…」
「…お前が無事で、良かった」


ふっと優しく笑った塚内さん。どうして、そんな顔で、そんなことを言うのだろう。私が部下だから心配してくれていただけ、きっとそれだけだ、深い意味はない。そう暗示をかけようとも、繋がれたままの手がどうしようもなく、熱くて。


「…なあ、ミョウジ」
「…はい」
「良かったら…飯でも行かないか。今日は、その…」


クリスマスだし。そう続けた塚内さんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。初めて見る彼の表情にどんな反応をしたらいいのか分からなくて、咄嗟に私の口から出たのは可愛げのない言葉だった。


「…どこも混んでますよ。もうこんな時間だし」
「あー…そうか、そうだよな…」


塚内さんはしばらく、うーんと唸ったかと思うと。


「…なら、うちに来ないか」


いつもハキハキ話す彼の、消え入りそうな声。ぎゅっと手に力が入って、握られている手首が痛い。でもそれ以上に、ただ温かい気持ちが胸に広がっていく。


「あ、そ、その、嫌なら断ってくれて構わないから」


塚内さんは早口で慌てているのに、手だけは放してくれないのが何故だか面白い。私は少しだけ笑いながら、目の前にいる好きな人を見上げた。


「…私、ケーキ食べたいです」


――上司とどうにかなりたいとか、この想いを伝えたいとか…そんな烏滸がましいことは考えていなかったけれど。でも。


「…じゃあ、買いに行こうか」


照れたように微笑んでくれる彼を見ていたら、少しくらい欲張りになってもいいのかな、なんて。

だって今日はクリスマス。一年に一度の聖なる夜だから。だから、売れ残りの白いケーキを一緒に食べることくらい、望ませて。




20201225 クリスマス
プラス再録。
※長い補足
塚内は元から合コンに行くつもりは全くなく、玉川に「どう断ればいい?」と相談しようとしたが、急な仕事の内線が入り話は中断。塚内は苦手なPC作業に合コンのことは完全に忘れてドタキャン(後で同期に土下座する勢いで謝罪した)、色々と早とちりした玉川が口を滑らしたという裏話。


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