酔いに任せて


アルコールに弱い訳ではない。けれど、久しぶりの酒と明日が休みということも相まって、少々飲み過ぎてしまった。


「塚内さん、大丈夫ですか?」
「…ああ」


トイレに駆け込んだ後、顔面蒼白で戻ってきた俺に話しかけてきたのは部下のミョウジ。普段と変わらない様子の彼女が水の入ったグラスを差し出してくれたので、有り難く受け取り一気に飲み干した。

今日は職場の飲み会。現在、駅前の居酒屋を貸し切ってドンチャン騒ぎ中。事件の捜査がひと段落したこともあり、みんなジョッキを片手にワイワイガヤガヤと賑やかだった。三茶なんてネクタイを猫じゃらしと勘違いしているのか座敷の角でちょこまかと回っている。酔いとは恐ろしいものだと再認識しつつ、俺だって今さっき吐いてきたのだから人の事は言えない。


「お水、おかわり持ってきましょうか」
「頼む」


 
軽い足取りでカウンターに向かう小さな背中を見送り、散らかったテーブルに頬杖をついてグラグラする頭を支えた。


「(…ミョウジは、飲んでないのか)」


彼女が座っていたのは俺の斜め前の席で、そこには飲みかけのウーロン茶しか見当たらない。酒に弱いのだろうか。それとも単に嫌いなのか。

…思えば、俺はミョウジのことをほとんど知らない。知っていることと言えば、仕事が早くて優秀なこと、正義感が強いこと、努力家で、気遣いも出来て、あと…。

そんなことを考えていると、グラスとお手拭きを両手に戻ってきた彼女が俺の隣にそっと腰を下ろした。


「これで顔を拭いたらスッキリすると思うので、どうぞ」
「…ありがとう」


熱々のお手拭きを受け取り、言われた通り豪快に顔面を拭う。酔いは抜けないものの随分と楽になったような気がした。相変わらず思考回路は鈍っているが、これは確かに気持ち良い。

顔を拭いた勢いのまま首まで拭き出した俺を見ていたミョウジは、目を細めて笑った。


「ふふっ、男の人…って感じですね」


右手で口元を隠すように、くすくすと笑う彼女。

―思えば、俺はミョウジのことをほとんど知らない。知っていることと言えば、仕事が早くて優秀なこと、正義感が強いこと、努力家で、気遣いも出来て、あと…。


「…笑顔が可愛いこと、か」
「へ?」


大きな丸い瞳をパチクリと瞬かせて固まった彼女を、じっと見つめる。そうだな、あとは…


「綺麗な顔をしてるよな。声も透き通ってるし」
「…え、え?あの、塚内さん何言って、」
「それから、髪もサラサラだ」


言いながら、なんとなく手を伸ばしてミョウジの髪に触れてみた。俺の硬い髪とは正反対の、柔らかくて、指通りの良い艶やかな黒髪に。


「…っ!」


何故か顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせているミョウジに構うことなく、華奢な肩にかかる毛先を指先でいじって、感触を楽しむ。サラっと揺れた瞬間、居酒屋に似つかわしくない香りがふわりと漂ってきた。


「あと…いい匂いもする」


彼女の使っているシャンプーだろうか。甘いのに爽やかで、まるで花のようないい匂いだ。


「つ、つつ、塚内さん、あの、…」


ミョウジは慌てて、両手で自分の顔を覆うように俯いてしまう。黙り込む彼女が心配になって、髪を触っていた手をそのまま小さな頭の上に置いた。


「どうした?」


手のひらに収まるサイズの小ささに驚きつつ、出来るだけ優しく撫でてやる。そう言えば昔、歳の離れた妹の頭も、こうして撫でてやったっけ。

過去を懐かしく思いながら細い髪を梳いてると、ミョウジは指の隙間から俺を覗くように見た。隠しきれていない頬がただただ、赤い。


「…塚内さん、酔ったら饒舌になるんですね」
「いや、思ったことを言っただけだぞ」
「…もうホント、タチ悪い…」
「ん?何か言ったか?」
「い、いえ…」


小さく答えた彼女はキョロキョロ辺りを見渡したかと思うと「わ、私、温かいお茶淹れてきます」と言って、またカウンターへと向かって行った。


「あと気が利くよなあ…」


他の部下が酔い潰れる中、ミョウジだけは周りを見て、こうやって世話を焼いてくれている。しかも俺だけ特別手厚いようで、それがなんだか嬉しい。頬がニヤけるのを感じつつネクタイを緩めながら後ろの壁に凭れ掛かった。疲労が蓄積された体は重いが、心地良いのも事実。

いつもの凛としたミョウジとは違う、眉を垂れさせた可愛らしい表情。それを遠くに眺めながら、俺は迫りくる眠気に抗うことなく目蓋を閉じた。



  ***



「お、おは、おはようございます」


週明けの出勤日。何故かどもりながら挨拶をしてきたミョウジは俺の返事を聞くことなく、そそくさと自分のデスクに着いてしまった。いつもならこのまま今日の天気の話やら何やら雑談するのに。体調でも悪いのだろうか。

珍しい様子に首を傾げていると、猫頭がそっと近付いてきた。


「…塚内警部、飲み会のこと覚えてます?」
「ん?いや、途中から記憶がないんだよ。三茶がネクタイで遊んでたのは覚えているが」
「…そんなどうでもいいことしか覚えてないんですか」
「ハハッ。あれ面白かったぞ?」


飲み会の終盤。気付いたら寝ていた俺は部下達にタクシーへと押し込まれて這うように帰宅したのだが、情けないことに曖昧な記憶しか残っていなかった。


「…警部の爆弾発言と行動、みんな聞いてたし、見てましたから」
「え…俺、なんか変なことしたか?」
「…」


――そうして、呆れきった三茶から聞かされた内容に。絶句した俺が目を見開き、思わずミョウジを見ると。


「「!!」」


ほんのり赤い顔とバッチリ目が合ってしまい、思わず盛大に逸らした。一瞬で自分の顔まで熱を帯び、三茶に鼻で笑われたものの…どうしようもなくて。

酔った勢いで、心の奥に灯る淡い気持ちを大勢の前で口走った上に、髪と言えども彼女に触れた、だと?なんだそれは、もはやセクハラじゃないか。過去の自分を殴り飛ばしたい。

酒は飲んでも飲まれるな。先人達の格言が浮かぶが、時すでに遅し。酔ってもいないのに重い頭を抱えたのは言うまでもなかった。

これからミョウジとどうやって顔を合わせばいいんだ…ああ、俺の馬鹿野郎。



20201124 いい兄さんの日
プラス再録。11/23当日に上げたかったけど間に合わなかった…兄さんネタ一瞬というか、ほぼ無関係ですね。


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