「塚内警部、私と結婚してください」
「…勤務中だぞ」
「残念、まだ始業前です。だから結婚してください」
「…ハァ」
俺のデスクに両手を付きつつ、「はい今日のお弁当」だなんて、頼んでもいないのに毎日毎日手作り弁当を持ってくるコイツに、盛大な溜め息を吐いた。
「いいぞ〜もっとやれ!」
「今日もお熱いですね〜」
続いてフロアに笑い声が響く。面白おかしく囃し立てる部下共を一睨みするが誰も怯んではくれず、上司としての威厳とは、と頭を抱えた。それもこれも全部コイツのせいだ、三十六にもなって浮いた話の一つもない俺を揶揄っているのか馬鹿にしているのか、口を開けば「結婚しましょう」だの「私を嫁にしてください」だの…しかも真顔で。なんなんだコイツ。
「塚内警部、今日こそ返事を聞かせてください」
「…あのなあ、毎度言ってるだろ。俺は忙しい、恋愛云々してる暇はないんだ」
「なら、やはり私と結婚するべきです」
「は?」
「私は警部の多忙さを理解していますし、そんな警部が蔑ろにしてしまう家事全般も完璧にやり遂げる自信しかありません。つまり嫁にするなら私以外ありえない」
「何言ってるんだ…」
コイツが、ミョウジが俺の部下として配属されて一年。最初はこんな奴じゃなかった。俺より十歳若いがしっかりしており、正義感があり真面目、市民にも優しく、射撃・対人訓練の成績も良い、絵に描いたような理想的な警察官、だったのだが…気付いた時にはコレだ。
「それに私が作ったお弁当、文句言いつつも絶対に完食してくれますよね。私の料理に惚れてるでしょう?」
ギク、と肩が揺れる。しかしミョウジはフロアで笑っている部下共に「皆さん、ついに警部の胃袋を掴みました」との報告で忙しいのか気付いていないようだ。
「オイ勝手なことを言うな、食べ物を残すのが勿体ないだけだ」
「照れないでください。明日からはオカズ一品増やしますので、乞うご期待」
「…」
ふふん、得意げに鼻で笑われ、言い返す言葉が思い浮かばず口を閉じる。不本意極まりないがミョウジの料理の腕は大したもので、味付けもバランスも量も何もかもが絶妙に俺好みだったのだ。似たような勤務時間で忙しいハズなのに、よくもまあ、あんなにも手の込んだ料理が出来るのだと感心すらしてしまう。しかし別に惚れている訳ではない、そんなこと、ない。
「塚内さん、いい加減オッケーすればいいのにな〜」
「ああ。満更でもないだろうに」
腹を抱えてゲラゲラ笑う部下共。どいつもこいつも好き勝手言いやがって…と握り拳が震えるがパワハラ上司にはなりたくないので、「という訳で結婚しましょうよ」と飽きもせずにほざいているミョウジの首根っこを引っ掴んだ。
「痛、いてて、ちょ、触るなら、もっと甘く優しく触ってくださいよ」
「変な言い方するな!ちょっと来い!」
「恋?」
「ち・が・う!」
可笑しなことを口走るミョウジを引きずりながらヒューヒュー煩いフロアを大股歩きで出る。まだ始業前だってのに何でこうも疲れなきゃならないんだと思いつつ、休憩室に佇む自動販売機まで足早に向かった。
「こんな人気のない所に連れてきて、まさか愛の告白ですか」
ちょっと待ってください心の準備が、との独り言には無視をし、自販機に千円札を突っ込む。
「…選べ」
「え?」
「……弁当代だ。まあ、こんなもん代金に及ばんだろうが…好きなの選べ」
休憩室の硬いソファーに腰を下ろしつつ言うと、ハッキリとした口調で「結構です」と言い切りやがった。
「気にしないでください。お弁当は私から警部への…いわば無償の愛が具現化したものですので」
「ああもう、何でもいいから早く押せ!」
しばらく沈黙が続いた後、ガゴンッ、缶が落ちる音が人気のない廊下に響く。横目で見ると、渋々という風に受取口に屈んだミョウジの髪が揺れた。一瞬、チラリと覗いた耳が赤くて、思わず二度見する。いつも真顔で何を考えているか分からない表情なのに、その横顔は、とても嬉しそうに緩んでいて…これまでに見たことのないほどの、笑顔だった。…そんな顔もするのか、と。まさか、本当に俺のことを…?と驚いてしまい、「釣りはいらん」と言いたいのに言葉が出ない。
その時、天井に設置されているスピーカーから流れる、甲高い緊急通報のサイレン。
『――敵による立て籠もり事件発生!場所は…――』
俺が立ち上がると同時に目の前にやってきたミョウジは普段通りの、けれど、どこか柔らかい顔で俺を見上げた。
「…ありがとうございます。これ一生の宝にしますね」
そう言って、買ったばかりのアイスココアの缶を大事そうに握り、律儀にも釣り銭は俺に押し付けて走っていく。さすが体力測定の50メートル走で新記録を出した女だ、かなり速い。あの勢いのままパトカーのキーを握って現場に急行するんだろうと思いつつ、もう見えなくなった小さな背中を追いかけるように俺も駆け出した。
仕事も、…たぶん、俺に対しても猪突猛進なミョウジに振り回されつつ、慌ただしい一日が幕を上げる。さっきの笑顔、可愛かったな、なんて思う気持ちには、とりあえず蓋をして。
さあ今日も、昼に食べる美味い弁当を楽しみに、頑張るか。
20201009
プラス再録