胸の奥に淡く灯る


最近、轟君は忙しいらしい。現在授業中、彼は額の前面を机にくっつけてダイナミックに寝ている。両腕は体の側面にぶら下がるように力なく垂れており、先程から数分、全く動かない。よほど疲れているのか、ものすごい体勢だ。絶対に首を痛めるであろう。

ちらりと教壇に立つセメントス先生を見るが、堂々と爆睡している彼に気付いているのかいないのか注意をする素振りを見せないため、このまま彼の睡眠をそっと見守るべきか隣の席の者として起こすべきか、今、私は非常に悩んでいる。

確か、仮免試験の補講がとてもハードなのだとか。優秀な彼がこんなにも無防備な姿を晒すくらいだ。私はギリギリ本試験に受かったものの、もし補講組であればと想像するとゾッとする。たぶん耐えられない。珍しすぎる彼の姿を横目に、つくづく受かって良かったと実感しながら、そっと轟君を盗むように見た。

彼の高い鼻が残念なことに少し潰れている。それでも整っているのだから轟君はやはりイケメンだ。赤と灰色の二色の髪はこちらからは赤い部分しか見えず、まるで別人にも思える。イケメンなのは変わらないが。

それにしても。やはりとんでもない体勢だ。背骨が直角になっている。しかし微かに聞こえる寝息はとても規則正しく、私は顔には出さないが苦渋の選択を迫られている気分になる。普通に居眠りしているだけならばこんなにも気にならないのに、嗚呼どうしよう。

ちらちらと轟君に視線を送り始めて早数分、授業はあと三十分以上ある。せめてもう少し楽そうな姿勢になってほしいと願いを込めて、私は筆箱から付箋を取り出し、一枚をちぎって丸め、セメントス先生が黒板を向いている瞬間を狙い彼の肩に投げつけた。しかし、あろうことか付箋の塊は轟君の顔面方向へ飛び口元に着地した。そして彼の少し潰れてしまっている鼻から発せられる細い息により、カサ、と小さな音を立てて動き無残にも床に落下する。

…なんということだ。必死で笑いをこらえるも、気を抜いたら吹き出しそうな程にアレな絵面だった。イケメンで遊んでしまったことに罪悪感はあるが、もう一度見たいと思い再度、先生が見ぬ間に丸めた付箋を投げてみる。

……なんということだ。今度は轟君の頬に直撃してしまった。流石に起こしてしまったかと思い、即座に姿勢を正して我関せずの表情を貼り付け黒板を見るポーズをとる。それから五秒後、視線だけを横へ向けると、なんと轟君は顔をこちらに向けて、なおも熟睡していた。圧迫されていた高い鼻の先が少しだけ赤い。先程より幾分かマシな体勢だが、しかし後で痛めることは間違いないだろう。


「うっ…」


突然、ほんの小さな呻き声をあげた彼の眉間に、僅かな皺が寄る。きっと首が痛いんだろうと思い、やはりどうにかして起こした方が彼のためではないかと考える。
…それにしても、だ。彼は綺麗な顔をしている。こんな姿勢で顔の半分が机に押し潰されているのに整い続けるなんてイケメンはずるい。おそらく私が同じ体勢で寝たらヴィランもビックリして逃げ出すような世にも恐ろしい顔面になることは間違いない。顔が良いのは得だ、非常に羨ましい。

さて、どうしたものか。このままでは彼はこの授業の全てを寝て過ごすだろう。つまりあと三十分はこのまま。先程よりは幾分マシといえど、やはり一度伸びをして腕を枕にするなりして寝るべきだと思う。私も轟君のせいで授業に集中できないため早々にどうにかしたい。

何かよさそうな道具はないかと机の上や中を先生に気付かれない程度に探す。シャー芯や消しゴムは当たったら痛いだろうしイケメンの顔に傷が入ったら大変だ。リップクリームやハンドクリームは大きすぎるし、肩や腕を直接揺するには少し距離が遠い。

あ、そうだ。

私はノートに挟んでいた下敷きを使い、べこんべこんと音が鳴らない程度に轟君に向かって風を送ってみた。ゆっくり、そよ風のような風を。するとどうだろう、先程まで寄っていた彼の眉間の皺はやわらぎ、とても気持ち良さそうな表情を浮かべているではないか。

もしや暑かったのか?初めて見るイケメンの穏やかな寝顔に少しだけ胸をときめかせつつせっせと風を送っていると、黒板に向かっていたセメントス先生が勢いよくこちらを向いた。慌ててノートを取る振りをする。危ねえ、あと0.5秒反応が遅れていたら絶対に私の行動がバレていた、セメント漬けにされるところだった。

若干の冷や汗をかきつつペンを走らせる。先生が板書を再開したタイミングで小さな溜め息を吐いた時、ふと隣から視線を感じた。


「ミョウジ」


小さな声が聞こえて、そして轟君と視線が重なる。いつの間にか腕を枕のように動かしていた彼はこちらに顔を向けるような体勢になっており、しかも私をじっと見ていた。驚きすぎて何も言えずに固まっていると、轟君は見たこともないような、柔らかい笑みを浮かべる。


「さっきみたいに、扇いでくれねぇ?」




目を閉じた彼に向かって、私は無我夢中で、けれども音を立てない範囲で下敷きを動かし、風を送った。再度眠りの世界へ旅立った彼は首に負担のない体勢で、とても気持ち良さそうな表情だ。
初めて見たイケメンの暴力的な優しい笑顔の破壊力に、さっきから私の心臓が激しい音を立ててうるさい。ついでに顔も熱い、自分の顔を扇ぎたい。なんだこれ、どうなってんだ私。


…そして、あと数秒後。
問題を解くようにと当てられたにも関わらず扇ぐことに必死で気付かなかった私と、堂々と居眠りをしていた轟君。二人そろって温厚なセメントス先生の逆鱗に触れてしまい、放課後まで廊下にセメントで固定されることになるのだが、そんなことお構いなしに私はずっとドキドキしているのだった。



20200521


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