ジュエリー 2


「スクアーロさん?どうかされましたか?」


遠慮気味に顔を覗き込んできた京の声でハッと我に返る。十年前の出来事をぼんやりと思い出していたスクアーロは、あの頃よりも綺麗で、そしてあの頃と変わらない真っ直ぐな瞳で自分を見つめる京の頬に手を伸ばして笑った。


「なんでもね゛ぇ」




***






変なスクアーロさん。そう笑う京は、スクアーロが食べ終わったジェラードのカップと自分のを重ね噴水の近くにあるゴミ箱へと歩き出す。スクアーロが京の後ろ姿をぼんやりと見つめていると京が突然走り出した。何事かと思えば、公園の端の方で歩くリハビリをしていた若い男がよろけ、横で男を支えていた女が支えきれずに二人一緒に尻餅をついてしまっていた。そこに京が駆け寄っていたのだ。スクアーロも立ちかけたが、京が素早く男と女に手を貸したのを見て、静かにそれを見守ることにした。


「お怪我はありませんか?」


イタリアで暮らし始めて10年。今もなおイタリア語を熱心に勉強している京の発音はまだ少しぎこちないが、問題無く話せている。

日本人顔である京に少し驚いていた二人だが、京の助けを素直に受け入れ立ち上がった。男は申し訳無さそうに頭を下げる。


「ありがとうございます。ご迷惑をおかけしてすみません」

「いいえ、お気になさらず。リハビリですか?」


足元に転がっていた空き缶に躓いてよろけてしまったのだろう、京は空き缶を拾いゴミ箱に入れた。


「はい…足を折ってしまって。だいぶ良くはなったのですが、中々難しいです」


眉を下げて笑う男の寂しそうな表情を、隣の女は辛そうに見ている。きっと、何か自分にできる事は無いのかを考え、男の助けになりたいのに、上手くいかないことを悲しんでいるのだろう。

その姿が、表情が、過去の自分と重なった京は、スクアーロと出会った頃を思い出す。大怪我だった彼の為に何か出来ないかを考え、けれども体格が違い力も無かったせいで、彼をただ見守ることしか出来なかった時のことを。それでも懸命にリハビリをし、体の調子も良くなって、そして自分を真っ直ぐに見つめてくれた時のことを。




***





月曜日の夕方。学校帰りの京が父の病室の花を取り替えている時、一本の松葉杖だけでスクアーロがやってきた。京は驚いて、けれどもすぐにスクアーロの側に寄り、父のベッドサイドのパイプ椅子まで支えるようにして誘導した。

スクアーロは座り、酸素マスクをしている京の父、健介を見る。脳が死んだ彼の固く閉じられた瞼が開くことは二度と無い。日本支部の工作員で、トラッポラファミリーがリング戦時を襲う事態を守った男。京のたった一人の家族、父親。

穏やかに眠る健介は、ただ静かに、機械に繋がれて生きていた。


「スクアーロさん、来てくれたんですね」


スクアーロが以前、歩けるようになったら見舞いに行きたいと言ってくれたことを思い出し、京は嬉しそうに笑う。まだ僅かな幼さが残り、しかし優しく微笑む彼女の笑顔は、健介によく似ている。


「なんとか一人で歩けるようになったからな゛ぁ…」


目を細めて小さく笑うスクアーロ。眠っている時から端正な顔立ちだと思っていたが、自分に対して真っ直ぐに笑顔を向けられると、どうにも気恥ずかしくなる。こんなに綺麗で、女性が羨む銀色の長い髪を備えている彼は、外見とは裏腹に信念を持った真っ直ぐで男らしい性格をしていて、そこが、京はとても好きだった。


「…スクアーロさん」

「なんだぁ?」



そんなスクアーロを見て、京は聞きたかったことを、初めて言葉にした。


「…いつ、帰るんですか?」


彼らの居場所はイタリアだ。この病院には怪我をして入院しているだけ。そして、他のメンバーは一番重傷のスクアーロが回復するのを待っていたのだ。その彼が、まだ松葉杖は手離せないとしても一人で歩けるようになった。それはつまり、彼らの帰る時が近付いてきたということ。

京の瞳の中に寂しさが浮かんでいるのに気付いたスクアーロは、その瞳を真っ直ぐに見返して答えた。


「…今週の、金曜だぁ」

「金曜…」



…今週。そんなに早いとは思わなかった京は、金曜まであと数日しかないことに気付き、俯いて何も言えなくなる。


――ダメだ、何か言わないとスクアーロさんに気を遣わせてしまう。

そうは思っても言葉は浮かばず、代わりに膝の上に置いている両手に力を入れ、制服のスカートをギュッと握った。

そんなの様子を見てスクアーロは手を伸ばしかける。目の前の小さな身体を抱き締めてやりたいと。しかし、自分と彼女は別世界の人間だ。父親の健介がボンゴレに関わりのある者だとしても、彼女自身は何も知らない表世界に住む者。こんなにも血に塗れた手で触れてはいけない。けれど、でも…

義手ではない右手で、スクアーロは京の頭に手を伸ばし、自分とは正反対の漆黒の髪を撫でた。優しく、優しく、壊れ物を扱う様にゆっくりと。

京は、ゆっくりと顔を上げる。

窓から差し込んだ夕日がスクアーロの銀髪を茜色に染め上げキラキラと輝いている。いつも鋭い瞳は、今、悲しげな色を浮かべ、しかし自分を見つめている。

…綺麗な、瞳だ。初めて見た時から、とても綺麗で透き通った瞳だと思っていた。もう起きないのかと思った彼が目を開けた時、そのあまりの美しさに目を奪われたのが随分も前のことのように感じる。

何も言えずスクアーロを見つめるしか出来ない京に、スクアーロはゆっくりと口を開く。


「…京の髪は、柔らかいな゛ぁ」


小さく微笑むスクアーロ。優しい手付きと心地良い感触に、安心する癖のある声に、ずっと我慢してしていた一筋の雫がの目から流れた。音もなくゆっくりと流れ落ちる涙に、スクアーロは思わず手を止める。


「…寂しい」


一言。たった一言だった。いつも控え目で優しく笑い、我儘なんて一切言わなかった京がスクアーロにだけ見せた初めての表情、気持ち。

寂しい。その一言に、全てが詰まっている。

もう考えるのをやめ、スクアーロは京を抱き締めた。強く、二人に隙間が出来ないように強く。

なんて小さくて細い、けれども暖かい身体なのだろう。初めて触れる京は、少しでも力を入れたら壊れてしまいそうな程に儚い。


「…京」


名前を呼んで気付く。京が、京のことが、愛しいと。剣で強くなることと、XANXUSをボンゴレ十代目にすることしか考えてこなかったスクアーロが初めて抱いた感情だった。こんな気持ちは知らない、けれど、触れたくてたまらない。

京は突然のことに驚いたが、弱々しくも両手をスクアーロの背中に回した。自分と違う大きい身体は、なんと暖かいのか。スクアーロの銀色の髪が京の頬を掠める。嗚咽で言葉が出ない京はスクアーロの首元に顔を埋めるように擦り寄った。


「…俺も、」


普段からは考えられない程に小さな声。けれど京にはしっかりと聞こえた。


「俺も、寂しい」


重ねられる言葉は、とても優しく耳に響く。京はゆっくりと顔を上げ、スクアーロを見つめる。穏やかで真っ直ぐな瞳が京を捕え、そしてゆっくりと近付いてくる。


「スク、アーロさん…」

「京、」



スクアーロは何も言えない京に構わずに近付き、そして。

――ちゅ。

額に、触れるだけのキスを落とす。


「…例え、もう会えなくても…京を忘れねぇ」


京の頬に手を添えて、スクアーロは笑う。きっと、イタリアへ戻れば二度と会えなくなる。でも絶対に京のことは忘れない。自分を呼んでくれた、必要としてくれた、たった一人の小さな彼女を。


「…私も、絶対に忘れません」


京も笑う。その拍子に瞳からは止めどなく涙が溢れても、笑った。スクアーロの言葉から、再会は叶わないことは伝わった。けれど、でも。

大切な人が自分を想ってくれていることが嬉しくて、幸せで。

彼に会えなくても、京は一人でも強く生きていけると思えた。寂しくても、辛くなっても、スクアーロのことを想えば、きっと大丈夫だと。


「…泣くな」


困り笑顔で、不器用に京の涙を拭う。できればこの時間が永遠に続くよう、願いを込めて。



20170827





- ナノ -