望まなかった未来
「夕、夕…っ」
「と、も…」
知盛さんは震える手で私を抱き締め、頬に手を添える。
背中が、熱い…
私…斬られたんだ…
九郎さんは驚きに満ちた顔で、ただ私と知盛さんを見下ろしている。その後ろから、望美が泣きながら近付いてきた。
「い、や…夕…夕っ!」
望美は私に近付こうとしたが、譲君や先生さんがそれを止める。私は込み上げてくる血を我慢しながら言った。
「望…美…、私…望美を、殺すなん、て…やっぱり、出来ないや…」
「夕…っ」
「だっ、て…親友だもん…あんな事、言って…ごめん、ね…」
望美は涙を流しながら首を横に振る。それに笑顔を返して、私は抱き締めてくれている知盛さんを見上げた。
…知盛さん…泣いてる…
呆然とした切れ長の瞳から、ただ涙が流れている。その涙は知盛さんの輪郭を伝って私の頬に落ちた。
「何故…」
悲しげに揺れる瞳。
私はその涙を拭おうと、重い腕を必死で持ち上げ、知盛さんの頬に滑らす。
「…泣かな、いで…」
「俺を…一人にしないと、言っただろう」
「ごめ…なさ…、貴方を、守り…たかった」
「夕…」
ああ、視界が濁る。知盛さんの顔が、表情が見えなくなる。
体の熱が消えていく。私は震える唇を懸命に動かして、知盛さんに聞いてほしかったこと、伝えたかったことを、途切れ途切れに発した。
「…知、盛さ…ん…ずっ、と、……愛して…ま…す…」
知盛さんの頬に添えた手は、ゆっくりと重力に従い…
――――ゴト…
「夕…」
「…」
「…夕、夕…」
どれだけ名前を呼ぼうとも、夕はもう俺を見てくれなかった。
記憶が、蘇る。
夕ノ姫を失った時の記憶が…
俺は、また。
愛する女を死なせてしまった。
なんで、なんで。
こんな俺を守る?
俺は…俺は、
「夕…、愛している」
言えなかった、届かなかった俺の想い。
もう動かない愛しい女を抱き締め、俺はゆっくり立ち上がる。
絶望に染まる源氏の神子、敦盛、源氏の人間達を睨み、そして背中を海に向けて、御座船の端に立つ。
「今、平家は滅んだ…」
「知、盛…」
涙を流す源氏の神子を一瞥する。
「だが…俺と舞姫は、貴様らなんぞの手で死なん」
「待っ…!」
ゆっくりと海に重心を傾け…
「イヤァァアア!」
源氏の神子の叫び声を最後に、俺と夕は海へ飛び込んだ。
――バシャァアアン…
冷たい海の中。
俺は愛する夕をしっかりと抱き締める。
こんなに小さくて細い体で、平家を守って…俺を守った。
すまない…
だが、ありがとう…
俺は、お前を本当に愛している。
いつも真っ直ぐに俺を想ってくれた、夕を。
ゆっくりと顔を近付け、ずっと触れたかった唇に口付けを落とす。
もっと早く、気持ちを伝えていれば良かったのだろうな…
薄れゆく思考の中、俺はしっかり夕を抱き締めて…
暗く冷たい海の底へと沈んで行く。
最期に、暖かな光に包まれながら…俺は意識を手放した。
戦死
「嫌!夕!夕っ!!」
「やめろ望美!」
「離して!夕を斬った手で触らないで!」
「っ…」
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!
夕が死んだなんて嘘だ、こんな未来…こんな未来なんて嘘よ!
「神子、」
「先生…っ先生ぇえ!夕が、夕…うぅ…あっぁああ……!」
「…九郎は、源氏としての戦いをしたまでだ。責めてはならん」
その言葉に座り込んで、私はひたすら叫ぶ。
夕が平家の舞姫で、知盛を愛していた…
私は知盛を殺そうとしていたのに、夕は私を殺さなかった…
親友、だからと。
「…夕っ、ごめ…ん…!!」
初めて時空を越えた時、もう大切な人を失わないと誓ったのに。
私は一番大切な人を失ってしまった。そんな未来にしてしまった。
「神子、これは神子の望んだ未来では無かったか」
「先生…っ」
「ならば、また越えればいい」
「また…?」
先生は私の首の逆鱗を示す。
「神子が望む未来、それが我々の望む未来だ」
私は逆鱗を握って、ゆっくりと立ち上がる。
私が…望む未来…
知盛が落ちた場所に行き、海を見つめる。海面に血が混ざっていて、ゆらゆらと揺れていた。
「…夕、」
私は逆鱗を高く掲げる。それは眩しい光を辺りに撒き散らした。
「待ってて…私が絶対に助けるから…!」
真っ白に世界が染まる。
「時空跳躍!!」
私が、未来を変える。
みんなが、夕が幸せになる未来を、必ず見つけ出す。
もう誰の涙も見たくないから…!
「夕…!」
――――
――
――――
―――――……
そして泣きながら神子は、
時空を超える。
誰もが笑える未来の為に…
第二章・運命
完
20101207