女の人
「戦…ですか」
「そうだ」
もう日課となりつつある夕殿との鍛錬を終えて、縁側で空を眺めている時。
兄上が私の隣に腰を下ろして言った。戦が始まると。
「敦盛。お前にとっては、初めての長期戦になるだろう」
「それほどに…?」
「ああ。そして、環内府殿を始め、ほとんどの者が出兵する」
隣に座る兄上の表情がどことなく暗い。ふと嫌な予感がして、躊躇いながら言った。
「戦の間…夕殿は?」
「…」
「まさか、」
兄上は、目を伏せながら頷く。
「彼女も、出兵する」
持っていた手ぬぐいを握り締め、唇を噛み締める。
なぜ、どうして?
夕殿が戦に?
「…それは、叔父上が申されたのですか?」
「…そうだ。夕ノ姫が亡くなり、重盛殿も亡くなって、平家は衰退し続けている」
「…」
「だが…将臣殿が、そして夕殿までもが平家現れた」
兄上の言いたいことを理解して、思わず下を向いてしまった。
平家の頭だった重盛殿。そして、平家の士気を高める役割を担っていた舞手の夕ノ姫。二人は平家の希望、憧れ…士気上昇の要だった。
本物の彼らはもう居ないが、不思議なことに同じ顔の二人が現れたならば。
…連れていくのが、平家の為になるのだろう。
「…ですが、戦の経験のない夕殿を長期戦に連れて行くのは…」
「将臣殿や私も、みんな反対したんだ…けれど、清盛殿は断固として承諾しなかった」
「…っ」
…私の初陣は、小さな戦だった。
けれど、敵は死を恐れておらず。私達に何の躊躇いもなく向かってきて。
生半可な覚悟だった私は、怖くて怖くて仕方なかった。
そして…無我夢中で初めて人を斬った。あの感触。絶望感。
…あんなもの、夕殿に味合わせたくないのに。
「…彼女には、将臣殿が伝えてくれている」
「…」
「敦盛も、準備をしておきなさい」
「…はい」
穏やかな日常が、壊れる。
***
「戦って…戦争だよね…?」
「…ああ」
将臣君は、静かに頷く。私は将臣君の腰に差してある刀を見つめた。
「…これで、戦うんだよね?」
「…そうだ」
「…そっか」
「夕…ごめん」
「え…」
「お前を、戦に出すつもりは無かったのに」
俯いて、ひどく申し訳なさそうな顔をする将臣君に驚く。
「…将臣君、私は剣道をしてた。実戦では通用しないかもしれない。でも、少しは役に立てると思う」
「…」
「それに、友達の将臣君だけが危ない場所に行って、私だけ何もしないなんて…出来ることなら、手伝いたいと思ってる」
「夕…」
戦…戦争…体験したことのないそれは、正直言ってすごく怖い。
教科書やニュースで見たことしかなくて、数え切れないくらい人が死んでしまうなんて…想像出来ない。
けど…
「…守られるだけじゃなくて、将臣君やみんなを、守りたい」
「…そんな、甘ぇもんじゃねーぞ?」
「うん…でも、いきなりこの世界に来たのに、優しくしてくれた平家の人の役に立ちたい」
将臣君は頭を掻いて、私の目を見て微笑んでくれた。
「絶対…一人にはなるなよ」
「…分かった」
「…オッケー。まだ戦まで日があるから、ゆっくり準備しとけな」
「うん、ありがとう」
将臣君が立ち去った後、私は鍛練用の刀を眺めた。
鞘から出すと、シルバーに光り輝く刃に、私の顔が映る。
「…!」
一瞬。
それは自分でも驚くくらい一瞬、刃に誰か知らない女の人が映った。
「行くのね、戦に」
頭に響いた声。女の人の声。
まばたきをすると、もう刃には私の驚いた表情しか見えなくて。
「今の、声は…」
前に、一度だけ聞いた。
初めてこの世界に来た時、知盛さんに会った時に聞こえた声と同じ。
「……」
静かに刀を収めれば、座っていた縁側に冷たい風が一筋吹いた。
背筋が凍った錯覚がしたのは、寒さのせいか、それとも…
私の中にある、まだ見ぬ'何か'のせいか。
20090118