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はつ、こい 番外編


「やっぱりありきたりすぎた?」


春とはいえまだ肌寒い風と海の香りを感じながら大きな建物の入り口で佇む。思っていたよりも人が多くて入り口前で撮ろうとした写真を断念したところだ。
予想外の人の多さに隣で同じように辺りを見回している黒尾くんに、立ち止まったついでにずっと気がかりだった不安をぶつけてみる。入場券を買う前の今ならまだ引き返せるから。


「初めてだから定番なことしか思いつかなくて……」


人の多さにも驚いているけれど、正直に言ってしまえばそれよりも子連れの多さに怖気付いていた。もう大学生になるくせに初デートが水族館だなんて、子供っぽ過ぎただろうかと。
しかし黒尾くんは私の不安を理解してなのか、ポンっと私の頭に手をのせて笑った。


「いーや、定番上等。っといいたいけど、実は俺も水族館デートって初めてなんだわ」


だから楽しみだという黒尾くん気遣いにほわっと胸が熱くなる。こういう気を遣わせ過ぎない気遣いが、黒尾くんは上手だ。おかげで素直に力を抜く事が出来るのだから本当にすごいと思う。やっぱりあの個性が強そうなバレー部員を部長としてまとめられる力があるってことなのだろう。


「じゃあ初めてにお付き合いお願いします」
「いやいやこちらこそ。リードは期待しないでネ」


互いにくすくすと笑い合いながら入場券を購入し、マスコットとの写真撮影待ち列の横を通り抜けながら入館する。奥へ進むほど薄暗くなっていく室内はドキドキと期待値を膨らませていく。


「ん〜! 早くも興奮してきた」
「フハッ、まだなんも見てねぇのに」
「だってずっと憧れてたんだもん!水族館デート!」


水族館自体も子供のころ以来だから楽しみだけれど、それよりも彼氏とデートできたというのが重要なのだ。そう告げれは少し目を見開いた後、なんとも照れくさそうに頭をかく黒尾くんにこちらも笑みが漏れる。


「んじゃ、定番ついでに手でも繋ぐか」


そう言って差し出された手に今度はこちらが照れ臭くなる番だ。もちろん彼氏と手を繋いでみたかったのだから拒否するわけはないのだが、何分初心者なもので一々過剰に反応してしまう。緊張しながら重ねた手は想像以上に大きくて、温かい。当たり前の様に指の間にするりと指を絡ませて恋人繋ぎをしてくれる黒尾くんが、デート初心者だなんて誰が思うだろうか。


「とりあえず順番に全部回る?」
「あ、うん! 後でイルカショーもみたい!」
「了解。んじゃ時間だけ確認しとくか」


早い時間のショーは子供たちが沢山いるだろうからと後回しにして、先に館内をめぐる事にする。無料のマップを二人で見ながら人の波に沿って順路を進んでいくだけで楽しいと思えるのだから私は相当浮かれていると思う。時々子供たちが集まり過ぎていて覗く事が出来ない水槽もあったけれど、また来たらいいだけの事。黒尾くんとはまた、何度でも来ることができるのだから。

人混みのおかげで必要以上に密着できたり、インカメラでツーショット写真なんて撮ったり、寒い中で一つのソフトクリームを二人で分け合ったり。お互いいつから好きだったのかとか、ちょっと恥ずかしい話までして。いままで憧れていたデートそのものを黒尾くんと体験できる喜びに終始顔が揺るんでいた自信がある。
私ばかりが楽しんでいるのではないかとちょっと心配になったが、黒尾くんは相変わらずの気遣いで自分も楽しんでいるアピールをしてくれるから楽しんでくれているという事にしておいた。

館内をくまなく回り終えてイルカショーもしっかりと楽しんでから、日が傾いてきたところで水族館を後にする。お土産に買ったお揃いのイルカのぬいぐるみストラップが鞄の端で揺れる度に妙に照れくさいけれど、嬉しくてつい揺らしてしまう。


「気に入って頂けたようでなにより」
「うん! ありがとう。今日は本当に楽しかった」


未だ興奮冷めやらぬ感じで弾むように歩いてしまう私にコケるなよと黒尾くんが言ったのと同時にくねっと変な方向に曲がった足首をかばう様に体がよろめいた。


「あっぶね。ダイジョブ?」
「っ、ありがと……」


繋いだままだった手に力が籠められ勢いよく引き寄せられる。そのおかげで転ぶことも挫くこともなく済んだが恥ずかしいことこの上ない。ありがとうとごめんねと申し訳ないが入り交じり、思わず口から出そうだった変な日本語を飲み込んでお礼を述べた。


「言う前にコケるなよデコちゃん」
「プッ! デコちゃんだって」
「きゃはは! へんなの〜」


恥ずかしさに追い打ちをかける様に子供ならではの無邪気な笑い声が耳に届く。まったく悪気のない可愛らしい声がデコデコ〜と楽しそうに連呼しながら遠ざかっていくのを二人して無言で見送った。


「……なんか、悪い」
「いや、こちらこそ」


そうだった。一年もデコちゃんが定着していたせいでまったく気にしていなかったが、このあだ名は変といえる分類だった。ここは学校とういう閉ざされた空間ではなく、公共の場なのだから可笑しさが浮き彫りになるのは当然。それをデートの最後に気が付くってのが残念で仕方がない。


「今更だけど……お互い名前で呼んだりしない?」
「賛成。ま、いい機会になったんじゃないですかネ」


いままで全然気にしてなくて悪かったと謝罪されるがそれはお互い様だ。恋人になったタイミングで変えればよかったのだろうが、舞い上がり過ぎてその発想すらなかったのだからしょうがない。漫画やドラマはもっと自然と呼んでいたような気がするのに、現実はなかなか上手くいかないみたいだ。
呼ぶときに間違えないようにしないと、と心の中で彼の名を呟いてみる。それだけで少し照れくさいと感じてしまうのは私の恋愛経験値が低いせいだろうか。


「ところでデコちゃん、俺の名前知ってた?」
「当たり前だよ。黒尾鉄朗、でしょ?」


変に気まずい空気を換えようとしてくれたのだろう一言に、緊張していると悟られないよう得意げに胸を張って答えてみせる。知り合う前から知っていたんだからとは恥ずかしくて言えないけれど。
正解! と、音のならない拍手をくれる黒尾くんに、そっちこそ苗字すら呼んだことのない私の名前を知っているのかと聞こうとしたが、私よりも先に黒尾くんの追撃がやってくる。


「じゃあもう一回、名前だけ呼んで」


気まずい空気を換えるための話題だと安心した数秒前の私に言ってやりたい。あれは私を救うための一言ではなく、心臓を破裂させるための序章に過ぎないのだと。
心の中でつぶやいただけで照れくさかった名前を声に出すにはどれだけの勇気が必要なのだろうか。言葉を発するのがこんなにも難しいと思ったのは初めてだ。


「……鉄朗」
「なに、葵」


あぁ、なんだこれは。全身がくすぐったい。少し前まで変に気まずい雰囲気が漂っていたなど微塵も感じさせない甘い雰囲気にくらくらする。私はやっとのことで絞り出したというのに、黒尾くんはサラリと言ってのけるのだからずるい。告げられた自分の名前は聞きなれたもののはずなのに、どうしてこんなにも嬉しくなるのだろうか。


「もっとこっち来いよ」


さほど離れている訳でもないのに差し出された手を取れば、驚くほど自然に黒尾くんの胸の中へと引き寄せられた。以前抱きしめられた時より薄着のせいか、触れ合っている箇所がほんのりと温かい。そのぬくもりにもっと触れたくて黒尾くんの背中へと腕を回せば、黒尾くんも同じように抱きしめ返してくれる。


「見られてるかもな」
「…うん」
「でも離したくねーの」
「うん。私も……離れたくない」


日が傾いてきたとはいえ行き交う人たちが大勢いる水族館近くの通路だ。こんなところで抱き合っていたら注目を引くことなど目に見えている。もの凄く恥ずかしいはずなのに、回した腕をほどくどころかより一層強く力を込めた。
この胸にすがりつきたくなるのは、付き合ってからまともに会ってもいなかった寂しさが溜まっていたのかもしれない。


「ついでに言うとこのままキスもしたいんだけど……ダメ?」
「その聞き方はずるい」
「ハハッ、ダメだったか?」


そう言って頬に手を添えられてしまえば上を向かざる負えない。覗き込んでくる黒尾くんの瞳に自分が写っているのが妙に恥ずかしいのに、その瞳に吸い寄せられているかのように視線を逸らすことができなかった。
何も言わずに見つめ返す私に、もう一度ダメ? と聞いてくる彼はやっぱり恋愛初心者だなんて思えない。周りの視線なんて忘れ、トクトクと沸き立つ熱い衝動に従って小さく首を振った。


「ダメ、じゃない」


私の返事にふっと表情を緩めた彼がゆっくりと近づいてくる。いつ目を閉じたらいいのかとか、背伸びをしたら強請っているように見えないかとか余計なことがグルグルと思考を支配していたが、唇が触れ合った途端、頭の中は真っ白になってしまった。
ただ唇が触れているだけだというのに、まるで電気が走ったように脳に甘い痺れが走る。ファーストキスは甘酸っぱいのだと思っていたのにそんな優しいものではなかったようだ。
それほど長い時間でもなかったはずなのに、時間の間隔が分からなくなるほどのぼせてしまっている。それなのに、離れてしまったのが寂しいと思うのはなぜだろう。


「本当ならこの後、俺に激似のぬいぐるみを見に行きたいところだがやめとくわ」


いま部屋なんかいったら抑えが利かない自信があるなんて恥ずかしいことを耳元で告げられ、全身が熱くなる。好きになったきっかけとしてチラリと話しただけのあのぬいぐるみの事を覚えていてくれたのは嬉しいしいけれど、確かに今日これ以上のコトへ発展するのは私の心が追いつかない。
小刻みに何度も頷く私をプハッと吹き出して笑った黒尾くんには私がいっぱいいっぱいな事がバレバレなのだろう。次に期待してるとさらに煽られ、火が出そうなほど顔が赤く染まる。


「代わりに、もう一回していい?」


その問いに私が答えるよりも早く触れ合った唇は、先程よりも深く長く重なり合って私をとろけさせ、夕日に照らされながらキスをする私たちを見つめる視線を感じさせる隙などありはしなかった。



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