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陽炎にキス 11


「わ、私・・・」
「ん?」
「私、黒尾さんの事・・・諦めなくてもいいんですか」
「諦められると困りますねえ」


茶化すような言葉とは裏腹に、優しい眼差しが私を映す。ぺたりと座り込んだままだった私の手を握ったかと思えば、強く手前に引かれ体勢を崩した。けど、顔面から床に激突――なんて事はもちろんなく、行き着いた先は目の前にいた黒尾さんの腕の中。頬にシャツが触れて、温もりを感じるのと同時に強く抱きしめられた。
ずっと、この腕に抱き締められたいと願っていた。叶うはずもないのに、抱き締められたらどんなに幸せだろうって、想像してた。事実は小説より奇なりと言うが、現実は想像よりもずっとずっと幸せなもので、胸が歓喜に打ち震える。


「好き・・・」
「うん」
「好きです、黒尾さん」


今まで抑えていた想いも、もう我慢しなくてもいい。溢れ出してくる気持ちをうわ言のように口に出して、宙ぶらりんになっていた手を黒尾さんの大きな背中へと回した。
逞しい胸と、力強い腕。あたたかな温もり。そのどれもを堪能するようにぴったりと密着する。お互い膝立ちのままで微妙な体勢だったが、そんなの関係なかった。どくんどくんと響いてくる心音が私のものなのか黒尾さんのものなのか分からなくなるくらいの距離の中、お互いの体温がじわじわと混ざり合っていく感覚に浸っていると、ふと緩んだ腕の力。それに導かれるように顔をあげれば、視界いっぱいに黒尾さんが映った。
ふわりと触れるようなキスが一度、二度。唇を柔く食まれ、しっとりとした柔らかな感触を感じる。気持ちいいのに、嬉しいのに、触れ合う度に貪欲になっていく自分がいて、もっともっとと求めてしまいそうになる。
もっとキスしてほしい。もっと触れてほしい。だけど、そんな私の気持ちは届かなかったようで、温もりだけを残して唇はあっさりと離れていってしまった。閉じていた瞼を開き、黒尾さんの唇を視線で追っていれば、突然真っ暗に閉ざされた視界。


「そんな目で見んなって」
「黒尾、さん・・・?」
「何もしないって言ったのに、我慢出来なくなるでしょ」


そこで漸くペタリと目の部分を覆っているのが黒尾さんの手の平なのだと気付く。自分がどんな顔をしているかなんて分からないけど、もしかしたら心の中がそのまま表れていたのかもしれない。
だって、私達は子供じゃない。一つ一つのステップを手を繋いで一緒に登るのもいいけれど、もっと近づける方法を、もっとお互いを知る事の出来る方法を知っているから。そして、それを望むのは私も黒尾さんもきっと同じだ。
だから、私が取る方法は一つ。覆っている手を外して両手でぎゅっと握ると、しっかりと黒尾さんに視線を合わせた。


「我慢、しなくていいです」
「・・・は?」
「だから、」
「それ、本気で言ってんの?」
「・・・引きました?」
「いや?全然」


ニヤリと上がった口角と、ガラリと変わった雰囲気。再び抱き締められたかと思えば、お尻の下へ手を回され、そのままひょいっと抱き上げられた。急激に高くなった視界に驚いて、落ちないよう咄嗟にしがみつく。まるで子供を抱っこするみたいな抱き上げ方なのに、どきどきと煩く鳴り始める心臓は勝手にこの先の展開を想像して期待しているからだろう。
ガチャ、とドアを開ける音が聞こえた時には緊張から一度目を固く瞑ったが、電気がつくと同時に視界に入った景色に言葉が詰まる。
すとんと下ろされて床に足がついても、戸惑いから身動きがとれなかった。


「中のもの勝手に使っていいから」
「えっと・・・」
「何?一緒に入りたい?」
「え?い、いや、そういうわけじゃ」


連れてこられた場所はどこをどう見ても脱衣所で、明確に言葉にしなくてもシャワーを使えと言われているのは分かる。確かに一日中仕事をしていて、ましてやさっきまで居酒屋にいたのだから有り難い。でも、私はてっきり寝室に連れて行かれてそのまま・・・と思っていたので、些か拍子抜けしてしまった。
そうしてもらっても良かった。だなんて、はしたない女だと思われるかもしれないから口にはしないけど、顔に出てしまっていたんだろうか。苦笑いに近い笑顔を浮かべた黒尾さんが、宥めるように私の頭の上へぽんぽん、と軽く手を置いた。


「そういうコトご無沙汰だったし、家に無いんだわ」
「え?」
「つーわけで。コンビニ行ってくるけど、何か欲しいものある?」
「っ、あ・・・特に」


既に処理能力が追いついていない思考では黒尾さんが何を言っているのか分からなかったけれど、後に続いた言葉で繋がり、一気に羞恥が湧いて出る。
そっか、そうなんだ。家に置いていないっていう事は、そのくらい長い期間彼女が居なかったっていう事だよね?それはちょっと・・・いや、かなり嬉しいかも。
俯いているのをいい事に口元を緩ませていると、髪の毛を弄んでいた指先がするりと後頭部へ回されて、グッと強制的に顔を上げさせられた。瞬間、唇を塞がれて呼吸を奪われる。いとも簡単に侵入した舌が逃げ場を失った私の舌を捉え、ぐちゅりと絡められて軽く吸う。さっきのキスとはまるで違うキスに、頭がくらくらした。
ちゅぅ、っと唇を吸いながら離されたと思えば、舌先でぺろりと唇をなぞられる。至近距離でその仕草を目にしてしまい、心臓が止まるかと思った。


「覚悟しとけよ」
「・・・え?」


長い指が髪の毛を耳にかけ、露わになった耳元へ徐に唇を寄せられる。僅かにかかった吐息にぴくりと肩が跳ねると「帰ってきたら抱くから」と、いつもよりも低く艶を帯びた声で囁かれ、反射的にバッと耳を押さえた。
そんな私の反応がお気に召したのか、クツクツと楽しそうに笑う黒尾さん。でも、それ以上何かするつもりはないらしく、ひらりと片手を上げると扉の向こうへと姿を消した。
・・・なに、あれ。誰、あれ。今の、なに?仕事中に見せる優しい顔とか、気さくな感じとか、そういうのとは全然違う、男のもの。突然見せられた一面に呆然としたまま、彼の姿はもうそこにないというのに無機質な扉を見つめ続ける。ガチャンと玄関の扉が閉まる音で漸く我に返り、まだ変な感じのする耳をごしごしと手の平で擦った。


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