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陽炎にキス 08

部屋の中に閉じこもって日がな一日自分の気持ちを整理していれば、あっという間に月曜日がやってきてしまった。ずっと今日の事を考えていたせいか目覚ましよりも早く目が覚めたが、起き上がるのが億劫で布団の中で寝返りを繰り返す。
会社に行きたくない。昨日の夜から何度も思ったけど、朝が来た事で更にその思いは膨らんでいる。重く感じる体を何とか起こして勢いよくカーテンを開ければ、太陽が陰りどんよりとした空が視界に映って、小さくため息を漏らした。今にも泣き出しそうな空は私の心情をそのまま映し出しているみたいだ。
鉛のような足を動かして電車に乗り込み、毎日のルートを辿っていけば嫌でも会社へと辿り着く。ここまで来てしまえばもう後戻りは出来なくて、扉の前で大きく息を吸い込んで細く長く吐き出すと、ゆっくりと扉を開けた。


「おはよーございます・・・」


暗く静まり返ったフロアから返事はない。どうやら私が一番乗りらしく、その事にホッと安堵の息を吐きながら電気をつけて、ブラインドを開けた。ついでに空気の入れ替えもしてしまおうとガラリと窓を開けた時、「はよーございまーす」と間延びした声が背後から聞こえてびくりと肩が跳ねる。
誰が入ってきたか、見なくても声だけで分かってしまった。


「・・・高宮さん」


一番会いたくて、一番会いたくなかった人。
呼ばれた名前に導かれるようにゆっくりと振り返れば、いつものように少し背を曲げて立つ黒尾さんの姿が映った。射し込む光に眩しそうに目を細めながらも、黒の双眸はしっかりと私を捉えている。


「金曜日は、」
「黒尾さん、今日空いてますか?」
「え、何?」
「この間から言ってたご飯、行きませんか?」


黒尾さんが何か言いかけたのを、不自然なくらい明るい声を出してわざと遮った。まだ、確信に迫らないでほしい。もう少しだけ・・・今日だけでいいから、時間が欲しい。今日で最後にしようって、この週末の間悩みに悩んで決めたから。
自分勝手な私の申し出に、黒尾さんはどこか納得のいかないような微妙な表情を浮かべながらも「分かった」と首肯してくれた。笑顔を貼り付けた私が、きっとこれ以上話すことはないと悟ったんだろう。
ごめんなさい、ありがとうございます。どちらを言おうか少し迷って後者を選んだ私に、しょうがないな、とでも言いたげな笑みが返された。



◇ ◇ ◇



そわそわと落ち着かない気持ちのまま一日を過ごし、定時で仕事を切り上げると、待ち合わせ場所に指定した自宅近くの駅で足を止めた。
どう切り出そう、何て言おうと今日一日頭の中を占めていた考えが、現実味を帯びてきた事で慌しく動き始める。もっとちゃんとシミュレーションしておけば良かった。なんて後悔しても後の祭りだ。改札を抜ける一際背の高い姿が視界に入って、不安と緊張がどっと押し寄せてきた。


「お疲れ」
「お疲れ様です」


軽い挨拶の後、肩を並べて歩き出す。黒尾さんと偶然会ったコンビニを通り過ぎた時に、あの時交わした会話が鮮明に思い出された。最寄の駅が同じで家が近い事を知ったのも、この帰り道だったな。まだあれから日は経っていないのに、何だか随分と前の事のような気がする。
当たり障りない会話をぽつりぽつりと交わしながら道案内をし、黒尾さんの家と私の家のちょうど間くらいにあるお店へと入った。お昼休みに予約しておいたので、待たされることなく席へと通される。


「へぇ、やっぱり女子が選ぶところは違うなぁ」


一つ一つ個室になるように仕切られている居酒屋は、どちらかというと女子会に良く使われるような雰囲気のお店だ。居酒屋特有の煩い空間が得られるようなお店の方が気が紛れていいかもしれないとも考えたけど、話の内容を思えばこちらの方がいいだろう。
金曜の事を話すとなると、多分告白は避けられない。黒尾さん相手に自分の気持ちを隠し通して話せるとは思えないからだ。振られるのを前提で告白するのは初めてだし、気まずくなるかもしれない。だから出来れば帰り間際に告げて、立つ鳥跡を濁さずといった感じで終えたかった。


「金曜日のこと、聞いていい?」


だけど黒尾さんはそんな私の気持ちなんて知る由もなく、ドリンクの注文を済ますなり本題を切り出した。テーブル一つ分の距離は、少し身を乗り出すだけであっという間に近くなり、揶揄いなんて一切含まない真剣な瞳に射抜かれる。ごくり、と自分の喉が鳴る音が聞こえた。


「まだ、ダメです」
「ダメですか」
「もうちょっと待ってくださいよ」
「焦らしますねぇ」


ゆっくりと首を横に振れば、さっきまでの雰囲気を潜めて軽い口調で返してくれたので、小さく安堵のため息を吐く。きっと空気を読んで、重くならないようにわざと茶化して言ってくれたんだろう。黒尾さんのこういうところが好き。なんて、諦めるって決めたのに好きなところを見つけてちゃダメだよね。
これで最後なんだから。気持ちを伝えて、きっぱり振られて諦める。何度も何度も自分にそう言い聞かせるのに、会話の所々で「まさか誘ってもらえるとは思わなかった」とか「朝から楽しみにしてた」だとか、思わせぶりな事ばかり言う黒尾さんに決意が崩れそうになってしまった。


「そういえば、この前見逃した映画のレンタル始まってんだよな」
「何てタイトルですか?」
「あのシリーズの、知ってる?」


だけどもう本題を切り出される事はなく、同僚の話や得意先であった話を中心に盛り上がる会話。飲みすぎないように気をつけてはいたけど、これから起こることへの緊張を解すためにごくりごくりと酒量を重ねていれば、いつの間にかアルコールでふわふわとしていて、好きな人と二人きりのこの空間を楽しんでいる自分がいる。ここに来る前の私が今の状況を知ったら、本当に諦める気があるのかと呆れている事だろう。


「私もあのシリーズ、すきです!面白いですよね」
「高宮さんアクションとか見るんだ?新作面白かった?」
「それが、黒尾さんと同じで見に行けずにいるうちに終わっちゃったんですよね」
「マジか。じゃあ今度レンタルして一緒に見ようぜ」


でも、楽しかったのもこの瞬間までだった。黒尾さんの口からサラリと出た誘いの言葉に、水を掛けられたかの如く一気に酔いが醒めていくのを感じる。
レンタルして、一緒に見る・・・。それはどこでですか?そう問いかけたらなんて返すつもりなんだろう。
カラオケとかでも見れるのかもしれない。だけど、私たちの歳の男女だとまずどちらかの部屋で見ることを想像するだろう。もし黒尾さんがそういうつもりで言ったのなら、それは同僚の範囲を超えている。


「あの、金曜日の続き・・・いいですか?」


――言うなら、今しかない。
話に脈絡もなく突然の切り出しだったけれど、黒尾さんは心持ち居住まいを正してから「どうぞ?」と促してくれた。 緊張から酷く喉が乾いて、手元のチューハイをゴクリと一口流し込む。ドキドキと煩く鳴る心臓を宥めるようにふうっと小さく息を吐き出してから、しっかりと黒尾さんに視線を合わせた。


「もう、やめてください」
「・・・なにを?」
「私の気持ち知ってて、振り回すの」


様々なパターンをシミュレーションしてきたけれど、やはり現実は想像通りにはいかないようだ。こんな流れで言う事になるなんて思ってもみなかった。
刻一刻と近づいてくる終わりの時。声が震えないように膝の上へ置いた手を握り締めていると、私へ向けられている黒尾さんの双眸がスッと細められた。そして、テーブルに身を乗り出すように私との距離を詰めてくる。


「知らないよ」
「・・・え?」
「高宮さんの気持ち。知りたいと思ってるけど、何も知らない」
「嘘・・・ですよね」
「距離が縮まったと思ったらあからさまに拒否られるし」
「それは、」
「どう思ってるのか、教えてくれますか?」


――もう、逃げられない。


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