日差しの柔らかい暖かな日だった。淡い色の髪と優しげに細める瞳は、それにとてもよく似合っている。彼は日溜まりみたいだ。目を閉じれば、きっと、心地良い夢を見せてくれる。

「あれ」

 券売機から数歩離れて睨みつける電車の路線図は、私に目的の駅を教えてくれない。210円、230円、中途半端に持ち上がった指先と視線で並ぶ金額をなぞりながら、まずはこの駅の場所を探す。文明の利器ICカードに慣れてしまった私にとって、切符の値段を調べるのも一苦労なのだ。聞き覚えのある声が届いたのは、そんな時。
 優しい膜を通したようなその声を私は知っていたけれど、人ごみの中で聞いただけで誰のものか判別出来るほどとてもよくは知らなかった。視線を下ろして彼を見て、ようやく気づく。教室に時折響く、騒がしさの中には混じらない、柔らかな声。柔らかな笑顔。クラスメイトの柳くんとは最寄り駅が同じだったけれど、あまり話したことはなかった。

「苗字さん、こんにちは」
「こんにちは」

 何てことの無い挨拶が、少しだけ特別のもののように感じる。今日は休日で、ここは教室では無くて、彼も私も決められた制服を着ていないから、まるで違う世界での出会いみたいだ。もう少し可愛い服、着てくればよかったかな。私は服の裾を摘みながら、片思いの始まりみたいに緩やかに胸を鳴らす。
 改札の方から歩いてきた柳くんは、友人宅からの帰りなのだという。泊まりだったのだろうか、まだ早い時間の帰宅にそう思いながら私は頷いた。二人で話をするのは初めてだな、と、少しだけ浮き足立つような気持ちになる。

「苗字さんはお出かけ?」
「うん。散歩みたいな感じ」
「散歩?」
「そう、切符買って行くの」

 行き先を告げる私はちょっとした旅人のような気持ちだった。いつも通りすぎる、各駅停車でしかたどり着けないとある小さな駅に私はこれから向かうのだ。ホームから直接改札へと繋がる出口を抜け、広がる畑と緑をこんな明るい暖かな日に歩けたら、とても気持ちが良いだろう。コンクリートを歩きなれたこの足は土の柔らかさを望んでいる。
 私が行き先を告げると柳くんは、ああ良いですね、そう言って笑う。ただの自然な相槌のひとつに違いないけれど、その言葉が私はとても嬉しかった。

「あの駅、僕も下りたことないんだ」
「私も友達に聞いたんだけど、行ったことある子いなくって」
「じゃあ、未開の地だね」
「うん。開拓してくるね」
「開拓してらっしゃい。あ、」

 ふいに柳くんの指先がゆるりと持ち上がる。綺麗な手だと思った。伸ばされた人差し指、折り畳まれた中指、薬指、小指、親指。筋の浮かぶ甲。ふわりと和らぐ表情の先にあるその手はやはり男の子のもので、それを知った後に眺めた眼鏡の奥の瞳は、さっきまでと同じもののはずなのにさっきよりもずっと深くて、目が離せなくなった。190円だそうです、そう教えてくれる声すら、鼓膜に優しさを残していく。何て単純なのだろう。なんてことのない、何も特別なことなどない、おはようこんにちは、それくらいありふれた会話だというのに。

「どんなところだったか、今度教えてね」

 次への切符を彼はくれるから、今日私が見るもの全てはどんなものだって私の中で胸弾む風景となるだろう。もっと彼と話がしたいと気がつけば望む私がいて、何かのはじまりに気付きそうな自分をそっと隠すみたいに俯いた。
 うん、わかった、ありがとう。礼を告げてまた明日をして、今日の別れの挨拶をする。いってらっしゃいといってきますのようだった。傾けた首に滑る淡い色の髪も優しげに細める瞳も、穏やかに雲の流れる今日の晴れた空の生む日溜まりによく似合っているのだと、今知れるのは、私だけ。
 柔らかな陽の光の下微笑む柳くんがひらひらと振る手のひらは、まるで春の日の蝶みたいだった。





(2012.4.5)


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